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続 親知らず 4
「中学に入る頃まではまあ、どうにか普通にやってたんだけど、中学2年くらいから、授業が全くわからなくなって、そっからだな。いや、その前から悪かったんだろうけど。勉強したくない。してもわからない。学校周りは、医者になるとか、有名大学にいくのが目標とか、なんかそんなやつばっかりでつまんねえし、家族とも誰とも顔もあわせたくなくなって、とにかく、どうしようもなくなったんだ」
学校にはほとんど行かず、不良グループに入って遊んでいた。
「不良グループに入ってっていえば、悪い奴に誘われたみたいに聞こえるだろ。母親はそういってたけど、実際は、俺がそのグループの首謀者そのものだったんだ。周りのみんなもそれはよくわかってた」
大柄で喧嘩が強く小金ももっている東城は、不良グループをひきつれて遊び歩いていた。
自分の学校だけでなく、他校の生徒や街の不良グループと喧嘩ばかりしていたらしい。
夜の繁華街に出歩き、体格がいいのをいいことに、大人の顔をして盛り場にいき、すき放題だった。
「トラブルおこすと、母か祖母があやまりにいってた。忙しい中、病院の仕事ぬけて、学校やらトラブル相手やらのところにいって。でも、全然悪いな、なんて思ってなかった。むしろ、出来が悪いのは自分のせいじゃないし、親が頭下げるのは当たり前だ、くらいな感じで。今から思うと、ほんと、なさけないガキだよな」
弘一郎は落伍者だ、と病院関係者や親戚には言われていたことはよく知っていた。
母親や祖母に甘やかされるだけ甘やかされ、どんな悪さをしても金や人脈で尻拭いをしてもらい、だめにされたクズだ、と。
そのうち警察のやっかいになる、いや、いっそ早く捕まったほうがいいのでは、とも言われていた。
多分、いつも自分をかばっていた当の祖母や母でさえも、心のどこかでは、この子はもうだめなのだろうと思っていたのも、知っていた。
だが、一度、転がりだした生活がもとにもどることはなかった。いや、周囲の考えを知れば知るほど、さらに、ささくれだち、自制ができなくなっていた。
高校2年生のときに大きな騒ぎを起こし、それまで放任主義の事なかれ主義だった学校からも、とうとう退学を通告された。
「そしたら、オヤジがでてきて、猛烈怒られたんだ」
父親は彼が幼いころからほとんど家にはいなかった。
父親も医師だが、ほとんど臨床はせず、亡くなった祖父の市村剛とともに、病院経営に携わり、市朋グループを大きくしていた。
やり手の父は、全国を飛び回っていた。さらに、外に若い愛人を囲っていることも家に帰らない理由だった。
家にいたらいたでいつも疲れて不機嫌で、自分に話しかけるのは何かを注意するときくらいだった。
小さい頃に悪さをすると叩かれたのは覚えている。
祖母や母がいつも自分をかばって体罰はだめだと言っていたが、それも不機嫌の理由の一つだったのだろう。東城が成長するとますます家にいなくなっていた。
息子に無関心、無干渉だった父親が、高校を退学になると聞いて、急に怒ってきたのだ。
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