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続 親知らず 8

東城は、なんで自分がここにいるのか、だんだんわからなくなってくる。 早く帰って、テレビでもみていたい気分だった。乾きものとビールだけでは、腹も減ってくるし、第一、祖父と二人きりでいるなんて、居心地が悪かった。 そのうち、他にも客が入り、ママはそちらの相手に行った。 祖父は、突然東城に話をしはじめた。自分の子供の頃の話だった。 東城と同い年くらいの頃。自分も結構やんちゃで、育った田舎の町で、喧嘩はよくしていた、という。 幼馴染のああちゃんというのが地元では番長で、自分はナンバースリーくらい。 あるとき、隣町のヤクザといざこざになって、喧嘩しに行かざるをえなくなった。 番長とかいっているけれど、まだ、学生だ。怖いから、行きたくない。ああちゃんは侠気があるから、自分ひとりでいく、といった。仲間はああちゃんだけ行かせられないということになり、みんなで行くことになったのだ。 だが、祖父は行かなかった。約束もしたし、待ち合わせの場所の近くまで行ったが、どうしても足がすくんで行けなかった。 行かなかったのは仲間の中で自分だけだった。みんなが行くのを陰からみながら、自分は逃げたのだ、と祖父は話した。 みんなヤクザにやられて、ああちゃんは右手をつぶされた。その喧嘩の後もヤクザは彼らを忘れず、報復はきつかったらしい。 祖父は、仲間の中でただ一人、無傷だった。当然、仲間からは裏切り者と呼ばれた。 地元にいづらくなり、逃げるように東京にでてきた。その後は、苦学して医大に入り、医者になり、絵にかいたような立身出世だ。 ああちゃんは右手を使えなくなったが、地元で商売をはじめ、今では人望もあって町会の世話人をしている。 地元のかつての仲間の中で、ああちゃんだけは祖父に毎年欠かさず年賀状を送ってくる。たまには顔をみせろ、といつも書いてある。 東城はそこまで話して上をむいた。 「俺、今でもあの話の落ちがわかんないんだよな。じいさんの話は正直なまりもあって、わからない部分も多かったし。あの話はなんだったのか」 自分がかなわないものを怖れて逃げては一生後悔する、ということだったのか、怖かったら逃げてもいいということだったのか、それとも、逃げてもわかってくれる人がいる、ということだったのか。 「ただの昔話だったのかもしれないけど」 そんなふうに銀座のスナックで祖父と話をした後、しばらくして、東城は、母親の待つ家にもどった。 泊めてくれていた女に祖父にあったことを知られ、家に帰れと言われたのだ。遊びには終わりがくるのよ、と彼女は言ってくれた。 そして、一人で生きるなんて恰好つけていながら、実際は女に養われるような生活はし続けられない思ったのだ。解決できない問題に対して、逃げるにしてもそうでないにしても、自分でどうにかしなければ、と。 その後も、祖父は、東城をその小汚いスナックには何度も連れて行ってくれた。 そして、ただ、自分の話をし、東城の話を聞いていた。家出した時もそうだったが、東城の考えも生活についても、いいとも悪いとも、何も評さなかった。どう生きるべきか、とか、なにをすべきか、そんなことも一言も言わなかった。 東城が警視庁に勤めだし忙しくなったころから、祖父は体調を悪くし、入退院を繰り返した。回復することはなく、亡くなってしまった。 一回だけ、銀座ならたまには高級クラブにも連れて行ってくれといったら、「その資格ができたとわたしが判断したら連れて行ってやろう」とこたえた。 それがどんな資格なのか、東城にはわからないままだ。 どうして、家出した東城に急に会いにきたのか、どうして、怒りと自己憐憫の闇に沈んでいた高校生の頃の自分を理解してくれたのか、もう理由を聞くことはできない。 広瀬は、東城が泣くのをはじめてみた。彼は目を片手でおおい、泣いていた。 途中でポケットからハンカチをだして、目に当てていた。「くそ」声がわずかに震えていた。「今日は泣く気はなかったんだ。明日の葬式のときにとっておこうと思ってたのに。だれも泣かない葬式なんて、見栄っ張りのじいさんが怒るだろうからって」 「大丈夫ですよ。明日もちゃんと泣けるから」と広瀬はこたえた。「大事な人だったんだから、何度でも泣けますよ」 そのあと、東城が気が済むまで横で広瀬はだまって座っていた。

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