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第2話
「あんたとは一度ゆっくり話をしてみたいって思ってた」
近寄り難い見掛けを裏切るような懐っこい表情でそんなことを言われれば、瞬時に身体中が汗ばむ程の高揚感に包まれる。そんな気持ちを抑えつつ、なるたけクールに――だが目一杯感じのいい愛想の会釈も忘れずにヤツの隣に腰を落ち着けると、マスターも交えてしばらくは和やかな雰囲気で会話が続いた。
これがオトナの対応ってやつだろう、この男に対して如何に前々から興味があったかなどということはおくびにも出さずに自然な会話を心掛ける。 『上手くやれている』自分に若干誇らしげな気分になったりするのも心地よい。
だが、ふと我に返ればそんなことにいちいち一喜一憂している自分がかなりダサくも思えて、楽しい反面、苦笑いが漏れ出すのをとめられなかったのも事実だ。
こんなことを考えている自体、既にヤツに引けを取っているようで情けない。
完全に自分の方がイカれてしまっているのを突きつけられるようでバツが悪い。
そんな俺のモヤモヤを他所に、ヤツとマスターはいい具合に盛り上がっている。
へえ、こいつってこんな顔もするんだ。
屈託のない笑顔、硬派で堅物なイメージをあっさりと裏切る親しみやすい雰囲気、割合ナンパな話題にも楽しげに花を咲かせ、下ネタにも食いついている。
時折は声をあげて笑い、そんな様は酷く意外にも感じられた。
だが、それとは相反して、例えば唇に挟んだ煙草を煙たがるように瞳を細めたりしている仕草を目にすれば、妙にドキッとさせられたりもして、俺は何だか苦虫を潰したような心持ちでヤツのすることひとつひとつに釘付けにさせられていた。
――外はまだどしゃ降りの雨がやまないようだ。地下にあるこの店にいても分かるくらいの雨音がザーザーと反響している。
「まだ降ってるみてえだな」
本当は雨宿りに寄ったんだが、と言いながらヤツが手元の時計を気に掛けた様子に、何故だが胸の奥がキュッとすくむような心細さがよぎった。
もう帰っちまうのかよ――
言葉にならないそんな俺の心の底を覗くかのように、今日は車で来ているから、というヤツに送ってもらう算段になったことも信じ難い。
たった今、見舞われたばかりの心細さがヤツのそのひと言で楽園気分にとって替わるだなんて、俺、相当イカれてる。
こんな気持ちになったのは初めてだ。
助手席に乗せてもらい何気ない会話を流麗に交し合い、こうしていると何故今までこの男に話し掛けることをあんなにもためらっていたのかが分からなくなるくらいに自然な感じがした。
互いの趣味の話から始まって、仕事は何をしているのか興味があった、などと悪戯そうな顔つきで言われれば、全くもって悪い気はしない。どんどん会話が弾んで、このまま送ってもらうだけでは物足りないような気にさえなってくる。
そんな気持ちを読み取るかのようにヤツが放ったひと言、余程俺が物欲しそうな顔でもしていたのか、
「時間、あるんだろ? このまま送っていっても勿論いいが……少し遠回りしてドライブでもしないか?」
若干遠慮がちにそんなことを言っては俺の意向を尊重するように、チラリと視線を投げ掛ける。
そんな仕草にドキリとさせられて、
「――こんなどしゃ降りなのに?」
鼻先に軽い嘲笑までをも携えて、咄嗟にそんな高飛車な台詞が口をついて出てしまった。
せっかくの誘い文句に、俺ときたらバカな返事をしたもんだ。
だが素直にそうですか、とホイホイ付いていくのも癪な気がして、ついそんなふうに返してしまった。
だがヤツは残念がるわけでもなく、悔しがるわけでもなく、その整った唇を満足そうにゆるめながら、意味ありげにニヤリと笑ってこちらを見つめた。
「なら二択だ。この先ちょっと行った所に俺の馴染みのバーがあるんだが――そこで飲み直す。じゃなければ……俺の部屋に来る? どっちがいい?」
どっちがいいったって……。
この場合、普通に考えれば 『馴染みのバー』 が正解だ。妥当な答えだ。
だがありきたりに答えるのもこれまた小粋さに欠けるような気がして、俺はヤツの不適な笑みに受けて立つとばかりに、
「じゃあ、あんたの部屋――」
そう言って少し挑発的に顔を近付け微笑ってやった。
そうさ、あんただってもう分かっているんだろう。
俺たちが互いに同じ立場の、相容れない者同士だってこと。
そんな男を部屋に呼んだからといってどうなるわけでもない。それでも尚且つ俺を部屋に招くメリットがあんたにはあるのか?
ふと、脳裏に浮かんだそんな想像に俺は半ば勝ち誇ったような、それでいて妙に寂しいような不可思議な気持ちにとらわれていた。
この男に興味があるのは本当だ。この男の言うようにもう少し一緒にいたい気がするのも本当。
だが、だからといってこの男と自分がどうかなるのかといえば、そこのところの想像が曖昧だった。
この男に抱かれるというにはいまいち踏み込みきれない感があるし、では抱くのかといえばそれもしっくりこない気がしてならない。
よくよく考えればこの男だってゲイバーに自ら足を運んでいるわけだし、そういう目的を持ち合わせていたって不思議ではない。というよりは、そうでない方が不自然だろう。
この男がいつも独りでいるのが当たり前のようになっていたからすっかり抜け落ちていたが、元を正せばソレ目的でない方がおかしいくらいだと、改めて俺はそう思った。
「あんたさ、いっつもあのバーに何しに来てるわけ?」
ついそんな疑問を投げ掛けてみたくなった。
わざわざゲイバーに足を運んでいるくせに、いつも独りで飲んでいるだけだなんて、どういうつもりなのか訊いてみたくなるのも当然だろう。それ以前にあそこがゲイバーだということ自体を知らない可能性も強い。
確かにあの店は落ち着いた感じの造りな上に、客層からしても一見ではそれと気付かないケースも多い。
マスターの意向で会員制というわけでもないから、やはり何も知らずに単に飲みに来ているだけなのかも知れない。
いや、案外それで当たりだったりして――それなら本当のところを教えておいてやるのが親切というものか、ついぞそんな節介な気持ちまでもが湧き上がる。
だがヤツはそんな俺の思惑をあっさりと翻すような意味ありげな視線でこちらを見やりながら、
「そういうアンタは何しに来てるんだ、なんてな? 訊くのもヤボだな?」
そう言って薄く笑ってみせた。
――雨に滲んだ信号機が赤に変わる。
ハンドルに肘をかけながらチラリと流し目に見られれば、格好悪くも視線が泳ぐのをとめられなかった。
「あんた、いつも綺麗なボウズを連れてるもんな? ああいうのが好みなのかって思いながらあんたがそいつらと連れ立って店を出てくのを見るたんびに、かなり焦れた。妬けたって方が正解かな」
「は……?」
信じ難いセリフだ。
一瞬、何を言われているのかよく分からなかったくらいだ。
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