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下克上のNOIR13(2)
「何すんだバカッ! いきなり何だってこんなっ……剛っ!?」
「うるせえーなぁー、ちょっとおとなしく言う通りにしてなって! これからおもしろいことしてやろうってんだから」
楽しげに剛は笑うと、『これで仕上げだ』と言って、甘い香りの液体を口移しに帝斗へと飲み込ませた。何故そんなことをするのか、脱ぎ捨ててあったズボンとブリーフまでをも素早く拾い集めると、力の抜けたままの帝斗の脚先へと引っ掛けるように穿き直させた。
その様は一見すれば無理矢理に服を剥がれて抵抗真っ最中の現場に他ならない。剛の言う通りの”犯されている現場”そのものだ。
剛の真意が解らずに、帝斗は戸惑った。それとほぼ同時に再び湧き上がるような欲情が、全身に沸々と疼き始めるのを感じて、ビクリと腰を浮かせた。
「おっと! そろそろ薬きいてきた? じゃ、今からめちゃくちゃにあんたを犯してやるからな? せいぜい声振り絞って助けでも呼べば?」
そう言うや否や、剛はいきなり帝斗の頬を数度平手打ちにした。
「なっ……!? 剛っ、お前っ……何をっ!?」
自身を組み敷き見下ろす瞳は野獣のようにギラギラとして、たぎっていた。
たぎっていたのだが……。
何故かほんの一瞬、酷く寂しそうに瞳が翳るのが垣間見えたような気がして、帝斗は呆然とし抵抗の言葉さえ思いつかないまま硬直してしまった。
剛はそのまま自身のベルトを引き抜くと、勢いよくそれを振り上げて、側にあった花瓶を倒し割って見せた。
――なっ!? いったいどういう……
ガシャーンと大きな音がして、花瓶が割れ、テーブルと床を濡らした。そのはずみで卓上にあったグラスやら物が次々と床へ落ち、ガシャガシャと音が響き渡る。何事が起こったかといった様子で、宴席にいた者たちが次々と集まってくる気配を感じた。
◇ ◇ ◇
「何をしているっ!?」
おぼろげに鋭い怒号のようなものが聞こえた。それが頭領白夜の声だと分かっても、帝斗にはどうすることも出来なかった。
剛に組み敷かれ、大きく両脚を開脚させられた恥ずかしい格好のままで、強く喉元を押さえられて身動きさえ儘ならない。言葉も発せず、言い訳など以ての外で、羞恥に満ちた状態のまま、白夜の気配を感じ取るしかできないでいる。
意識が遠退きそうになっていた。
じわりとこみ上げた涙が滲み、鼻の奥をツンとさせた。
「貴様ッ――! 自分が何してるか解ってるのかっ!?」
怒りに満ち満ちとした鋭い声音と共に、ガチャリという鈍い音が聞こえた。トリガーに掛かった白夜の指が、剛をめがけて真っ直ぐに狙いを定めているのがスローモーションのように瞳に飛び込んできた。
――よせっ、白夜ーーーっ! やめろっ……!
悪いのは剛じゃない、すべては僕の責任だ。そう叫ぼうにも未だに剛によって押さえ付けられた喉元はビクともしない。
焦ってもがく帝斗の耳に、意外な言葉が掠めたのはその直後だった。
獣のようにたぎっていた剛の瞳が一瞬、くしゃりと苦そうに歪み、薄く笑んだ口元が僅かに震えているように見えたのは錯覚ではない。
「ふ……ん、帝斗さん、あんたの為に死ぬんなら本望」
――えっ!?
ようやくと放した喉元の手を左右に高く上げて、白夜に降参を示しながら剛は言った。
「お館様、今のこのヒト、帝斗さんは欲望に飢え渇えて可愛そうな状態なんですよ。ほら、そこの……俺が盛った催淫剤のせいでね? だから早く抱くなり何なりして慰めてあげないと辛いはず」
その言葉に、白夜の眉間に更に深い怒りを伴ったような皺が寄せられた。
余程の怒りだったのだろうか、無言のまま剛の長髪の髪ごとグイと掴み寄せ、乱暴に床に叩きつけると迷わずに銃口を突き付けた。
ベッド上で蒼白な表情で焦り身を起こし掛けた帝斗を他所に、剛はほんの一瞬不適な程満足そうな苦笑いを浮かべて見せた。
――そうだ、これで本望だ。
お館様に恋焦がれて苦しむあなたを慰める内に、あなたに魅かれてしまった俺の本望だ。
誰かに心を寄せて報われない想いがどんなに切なく甘苦しいのかを知ってしまったから……。
これでいい。俺に穢されるあなたを見て、お館様が少しでもあなたを気に掛けてくれるのなら、そしてできればあなたの想いが報われたらいいと……。
覚悟を決めたように、静かにゆっくりと閉じられた瞳は、穏やかな笑みに満ちていた。
「よせっ、白夜ーーー! 悪いのは剛じゃないーっ!」
魂の叫びのような絶叫が、喉を焦がし血飛沫が飛び散るような絶叫が部屋中に響き渡った。
トリガーに掛かった白夜の指が、
声を嗄らした帝斗の悲痛な叫びが、
最期を待つ剛の静かな吐息が、
切り取った絵画のように、それぞれの思いを抱え込んだままで時がとまった。
◇ ◇ ◇
「本当に俺でよかったんですか? 後悔は……してない?」
背中ごとすっぽりと抱きすくめられ、耳元を掠める吐息がくすぐったい。
窓辺に腰を下ろしたまま、寄り掛かる体温が不思議な程の温かさと穏やかさを与えてくれる気がしていた。
あれから白夜は『もうしばらくは此処を任せる』と言って香港へと戻って行った。
次に彼が帰って来る時には、今度こそ真の腹心として迷いなく迎えられるだろうか、まだ少しの小さな痛みを胸の奥の方に感じながら遠く窓の外を見やった。
「何を見てるの? 何を……考えてるの? ねえ帝斗さん……こっち向いてくれよ? キスしてもいいか?」
あなたが好きだ。
あなたを、抱きたい――
チュっ、と首筋に落とされた口付けからこぼれる言葉が、胸の奥の小さな痛みを甘い疼きに変えていく。生暖かくなり始めた夏の風を追うように、帝斗はキュッと瞳を細めると、自身を包み込んでいる広い胸に体重を預けた。
◇ ◇ ◇
砂で造った城はいずれ風にさらわれて形を失くす――
一見穏やかに思えるこのひと時が、ほんの夢幻であるなどと、この時の帝斗には想像さえできずにいた。
香港に帰った頭領、白夜から帝斗の元へ奇妙な一報が届いたのは、それから間もなくしてのことだった。
- FIN -
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