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第277話
「ぅぅ……」
頭を押さえゆっくり起き上がると見慣れたベッドルーム。
そう、彼――桜渚の部屋だ。
慌てて逃げることも出来たが、和民はそうしなかった。
あるいは巣窟にいては、もう逃げることは出来ないと悟ったのだろうか。
「わたみ」
「……」
丁度よく部屋に入って来た彼を見ることは、まだできそうになかった。
俯く相手にこっち向けと声をかけたが、首を横に振るだけ。
痺れは当の昔に切らしていて、桜渚はガっと伸ばした手で顎を掴み自分の方を無理やり向かせる。余りに行き成りのことで和民は一瞬驚いたのだが、次には不安に瞳を揺らがせた。
「なんて顔してんだよっ!あ?」
目を反らせたいのだが動転して一点を、彼の顔から視線を外せずにいた。
そうは言われても、問い正したいのは自分の方である。
眉間に皺を寄せ苛ついた態度で、それなのに桜渚は顎を持つ手の反対で和民の手を握っていた。
態度とどこまでも違う優しい力で、目覚めたばかりの彼をより混乱させた。
「俺、なんとなくわかってた」
「………ぇ」
何を?
なにが?
なんとなく?
どこまで?
どうして?
なんで?
誰が?
不意に投げかけられた一言に疑問はぶわああと膨らんだ。
でもだからと言って何を問いかけられるかと言えば、えっと。あ……え…と口ごもり話せそうにない。
桜渚もそれをわかってるから、待たずに続きを述べる。
「お前だってことも、気紛れだってことも」
「ぁ……」
例え本当のことだとしても、本人から言われるとどうにも悲しい気持ちになるのだなと、まるで小説でも読んでいる時のように感じていた。
「すみ、ません」
「は?」
「いえっ!あの、ですから!」
「なんでお前が謝んだよ」
「え」
「俺が謝るならまだしも、感謝されるはずのお前が!なんで!俺より先に謝ってんだ!?」
今の会話にブチ切れる要素はあったのだろうか?
先ほどの小説の続きで他人事のように感想を思い浮かべていた。
この頃には、もう顎を持ち上げる彼の手はなくて、和民は少しづつ自信と共に顔を下げていく。すると自分の手を握る様子が見えてしまい、更に居た堪れない気持ちになっていった。
「それは、僕が貴方の探し人かもしれなくて、でも違うかも知れなくて、だから、貴方を混乱させて、しかも男だから、えっと……女神ではなくて……その……だから……」
「ああ。俺の言葉で不安にさせたんだな。和民、傍にいてくれたのに気づかないで悪かった。あの時、偶然でも仕方なくでも気まぐれでもなんでもいい。助けてくれてありがとう」
「ぼ、ぼくは!助けてなんていない!ただ、少し血を拭っただけで!!」
例えそれだけでも!和民を上回る声で話しを遮る。続けてこう言った。俺には初めてだったんだ!初めて、人に……消えてしまいそうな声に最後まで聞き取れはしなかったが、唇を読んでしまった。
初めて、人に優しくされた―――と。
声を読んで、ふと彼の身辺調査をした時のことを思い出した。
桜渚の家は代々続く名家。故に皆、幼い頃から優秀に育てられていたことを。
優秀にと言えば聞こえは良いが、その実、同級生と遊ぶことも許されず日々学ぶため机に向かう。
彼の親に親戚、従兄弟もその様に育てられており、甘えることなど許さなかったと使用人は言っていた。
それに耐えきれず、中等部から鈴慟に入ると告げ家を出たと言う。
「どうして、僕だと……それに、なんで……」
直接に聞いてしまえば、ここまで苦労することもなかったのではないか。
自らで混乱させておいて言うことではないのだけど。
だからと言え、知りたいと思ってしまう。
「迂闊に聞けば、お前がいなくなると思ったからだ」
「あ……」
林であの彼も言っていた。
何か引っ掛かる。でも、聞いてしまえば逃げるような気がしたと。
桜渚にとっては、それほど会いたいと願い、探していた相手だったのだ。
「お前だと感じ始めたのはつい最近だ。それこそ、羽葉に会う少し前」
「え」
「なんでかあの日、お前は様子が可笑しかった。いや、場合によってはいつも通りなんだが、どこか浮かれているように見えた。で、その時の資料もなんかいつもと文章の雰囲気が違っていて、でもそこに、ある店の名前が記されていた」
聞きながら、和民も思い出していた。
一度だけ渡す資料を間違えたことがあったと。
アレは確か……
「後から知ったことだが、お前が浮かれていたあの日、羽葉がこの学園に来た」
「……」
「なあ、これは俺の憶測なんだが、お前ら2人、本当は顔見知りなんじゃねえか?そう言えば歳の差夫婦がどうのって言ってたよな?ん?和民お前、同い年じゃないのか?」
その頃にはもう何も言えなくて、目を泳がせることしか出来ずにいた。
「なるほどな。まあいい。この件は今度じっくり聞いてやるよ」
先ずは。そう言うと和民の肩をグッと押し、ベッドに寝かせ自分は彼の体を跨いだ。
「す、すすぐ、くんっ……?」
焦る彼をものともせず自らの上唇を舐め、まるで獲物を狙う蛇のようにじぃと見つめた。
「待ちにまった再会の相手がお前で、ベッドいたんじゃ、仕方ないよな?」
やめて下さいっ!
叫び声は、彼の口に吸い取られてしまう。
×××
あいつは、あいつは可愛い
年上の男の子♪
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