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第5話「連絡がつかない1日」
木曜日。
この日は朝から腹の具合が悪く、トイレにこもっていた。
といっても会社を休むほどではなく、よくある前日飲みすぎた時の「なんかお腹ゆるい」程度のものだった。
寝起きと、シャワー後にもトイレに行ったのに、出勤の準備が整ったあたりでもう一度腹の具合がイマイチ出し切れてない感じがして、もう一度行くことにする。
するとLINEが鳴ったのでスマホを手にしてトイレにこもる。
ナオキからのいつものおはようLINEだった。
「明日の夜、仕事何時に終わりそう?」
「多分定時かな。どした?」
「土曜が仕事昼からだから会えたらなーと」
何気ない朝の会話を交わしつつスマホの時計を確認すると、いつの間にかそろそろ出かけないといけない時間になっていた。
返事を後回しにし、慌ててトイレを済ませ、家を出る。
早歩きで駅まで向かう途中、時間を確認しようとスマホを取り出そうとするが、スマホが見つからない。
ポケットにもバッグにもない。
もしかして家に忘れてきたか?
最後に覚えてるのはトイレだ。
家を出てから10分ほど経過している。
出てすぐなら引き返していたかもしれないが、どちらかというともう駅寄りの位置まできてしまっている。
「今日1日スマホなしかぁ.....」
スマホを忘れると1日憂鬱だ。
これも完全に現代病だと思う。
ナオキのLINE返せないままスマホを忘れてしまった。まぁでも遅刻するわけにはいかないしと、スマホの事は諦めてそのまま駅に向かうことにした。
スマホがないと、いかに普段からスマホをいじる習慣ができてしまっているかを実感する。
まず電車に乗る際は時刻表アプリに頼りきった生活を送っていたので実に不便である。
待ち時間や移動中も、ネットやTwitterなどができないだけで退屈だ。
LINEだってそんなに色んな人とメッセージのやり取りをしているわけではないが、こういう時に限って大切な連絡が来たりするのではないかとソワソワする。
でも仕方がない。
スマホは家だ。
今さらどうすることもできない。
会社に着くと少しオフィスが騒がしかった。
まだ話してなかったが、うちの会社は雑誌出版社で、わりと有名な情報誌を扱っている。
どうやら明日発売の雑誌で誤掲載が見つかったようだ。それも、とある大型イベントの開催告知の中に記載されていた日程や出演者の掲載ミス。
その記事を担当したのは同僚の北島だった。
原因は単純で、クライアントとの校正のやり取りに行き違いがあり、最終稿の時点で修正が反映されていないまま校了→印刷→発売されてしまったようだ。
単純だが絶対に許されないミス。
会議の結果、対処法はかなりアナログだが、間違って印刷されている箇所に修正用のシールを貼るということになった。
幸いにも発売前なので、世には出回っていない。そして修正箇所は特集ページの内にある1箇所。しかも発売エリアは関東版のみで発売される雑誌だった。
すぐに班体制が組まれ、修正用のシールを作成する班や発売店舗の絞り込み、印刷会社からの配送ストップなど、とにかく慌ただしい会社の朝が始まった。
この日の業務は本当に慌ただしかった。
俺のチームが役割を終えた頃、時計は夜中の1時を回っていた。
終電は逃している。
自転車で帰る者、家族に迎えにきてもらう者、このまま会社に泊まる者、みんな様々に解散する。
北島はこの日、車出勤だったため、俺は便乗して送ってもらうことにした。
「ホントにごめん。迷惑かけました」
「まぁなんとか訂正は間に合ったし」
「会社のみんなにも申し訳ない」
「俺だって前やらかしたことあったし」
ひどく落ち込む北島は、俺のアパートに到着してもまだごめんごめんと謝るばかり。
「終わったことを悔やむよりさ、次起きないように気をつけよ。まぁそんな落ち込むな」
ありきたりな励まし文句でなぐさめながら北島の肩に手を添える。
「うん、ありがと.....」
ふと玄関に目をやると、玄関のドア前でしゃがみこんでる人の影が見えた。
ナオキだ。
ナオキはしゃがんだままじっとこちらを見ていた。
別にやましいことなどなかったが、北島の肩に乗せた手を反射的にどけ「じゃ、また明日な」と急いで車を出る。
ナオキ、いつからいたんだろ。
今日は家を出てからずっと連絡をしていないことを思い出し、慌てて玄関に向かった。
俺が近づく速度で立ち上がるナオキ。
「ごめんナオキ、今日......」
言い訳を口にする間もなく、頬にビタン!と左の頬に衝撃が走った。
「どんだけ心配したと思ってんだ!」
しばらく声が出なかった。
ビンタをくらったのは子供の頃、親から受けた以来じゃないだろうか?
殴られるなんて予想もしてなかったし、こんなに心配されるなんて思ってもみなかった。
「ごめん.....」
ビンタにビックリしたのと、殴られるほど悪いことはしてないのにという想いとが混ざりあって動転していたのか、うまく言葉が出なかった。
「誰だよ今の!」
「会社の......」
「なんで連絡無視すんだよ!」
「スマホを.....」
「どんな気分で1日過ごしたかわかんないだろ!」
「ごめんって!話聞い......」
ビタン!
俺の言葉をさえぎるように、再び同じ頬に彼の掌が飛んでくる。
不思議なもので、ビンタをされると一瞬何が起きたかわからなくなり、口が閉じてしまう。
「ホントに心配したんだからな!」
そう言いながら今度は俺を抱きしめてきた。
ナオキは泣いていた。
「ごめん.....。今日、多分トイレにスマホ置いたまま家出てきちゃったんだ。ほんとだよ。家に入ればわかる」
「.............そっか」
「会社でトラブルあってね、さっき車にいた奴同僚なんだけど、あいつミスて誤掲載しちゃって、編集部みんなで訂正してた」
「............うん」
「こんな時に限って連絡できなくて、ごめん」
そのまま崩れるようにしゃがみ込むナオキ。
「ナオキ?」
「慌て過ぎて、チャリで飛ばしまくったから太もも力入らない」
「チャリでここまで来たの??」
「気が動転してたからなのか、チャリの方が色々探し回れるような気がして。会社探したり家の近辺探したりしてた」
「夜中ずっと?」
「うん」
「ごめん.....ありがと」
ナオキをゆっくり起こして部屋に入った。
横に並んでソファに腰掛けると、ヒリヒリする俺の左頬に手をやり、「殴ってごめん、痛かった?」とさすってきた。
殴られた瞬間は痛みを感じなかったが、今になってようやくジーンとしていることに気づく。
「事情も聞かず殴るなんてサイテーだよな」
「ううん。心配してくれたんだなって嬉しかった」
「いや、殴るのはやっぱ反則だよ。気をつける。ホントにごめん」
スマホを探しにトイレに入る。
ナオキ着信履歴やLINEの通知が尋常じゃないくらい溜まっていた。
充電も半分以上減っていた。
人にこれだけ心配されるってことがなんだか幸せにも感じるくらいだった。
俺って愛されてる。
この時は、ただただそうとしか思えず、ジーンと熱を持った左の頬に手をあてた。
この時は───。
つづく
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