3 / 37

第3話 お迎え

 結局昨日眠ったのは、三時過ぎだった。  くよくよ悩むのは得意だ。女性と話せなかった事や、慶二と結婚させられてしまった事を考えていたら、いつの間にかそんな時間になっていた。  枕元で、何か鳴ってる。うるさいな……こんな朝早く……。  だけどチラと目覚まし時計を見たら、もう十時半だった。  ――トゥルルルル……。  携帯だ。僕は慌てて飛び付いて、通話ボタンを押した。 『もしもし、歩ちゃん?』  僕が話す前に、向こうから声がかかる。いつもそうだ。  そうして押しに弱い僕は、何でも言う事をきかされてしまう。昨日の婚活パーティみたいに。 『お持ち帰り、成功した? ちゃんと話せた?』 「……姉ちゃん! 姉ちゃんのせいで、僕、男と結婚する羽目になったよ!」 『あら』  姉ちゃんは、目から鱗みたいな明るい声を出す。 『歩ちゃん、女性と上手く話せないけど、男となら対等に口がきけるし、話が纏まって良かったじゃない。で? 男って事は、歩ちゃんがお持ち帰りされたの?』 「されてないよ! 僕の恋愛対象は女の子なのに……無理やり、結婚させられたんだ」 『え? 婚約したんじゃなくて、結婚したの? 昨日?』 「そうだよ。慶二っていう、アラサーの遊び人と!」  明るかった声が、急に諭すような口調になる。 『歩ちゃん。物事には順序があるのよ。性格の相性とか、身体の相性とか、色々試してからでないと、離婚する率が高いのよ。これ、(あきら)姉ちゃんの実体験』  何を聞いてたんだ!   確かに六歳年上の姉ちゃんはバツ一だけど、そんなお説教喰らってる場合じゃない。 『性格の相性は、少なくとも一ヶ月は付き合わないと分からないわね。身体の相性は? 確かめたの?』  うっ。幾ら姉ちゃんだからって、その質問はデリカシーがなさ過ぎるだろ! 「そっ、そんなの、確かめてないよ!」 『あら。歩ちゃんは、その慶二さんの何処が気に入ったの?』  やっぱり僕の話を聞いてない。思わず喚いた。 「気に入るも何も! だから、無理やり結婚させられたんだってば!」 『えっ。歩ちゃん、手篭めにされちゃったの?』 「されてない! 名前を書いたら、契約結婚の同意書だったんだよ!」 『契約結婚……?』 「そう!」  途端、姉ちゃんが胸をときめかせたのが分かった。声が、さっきにも増して弾んでる。  質問責めが始まった。 『遊び人て言ったわね。イケメン?』 「う……格好良いとは思う」 『お金持ち?』 「フルオーダーのスーツ着て、ロールスロイス乗ってた」 『歩ちゃんの事が好きなの?』 「え……」  頬がまた一段、熱くなる。 『俺はお前が好きになった、歩』  落ち着いたバリトンの響きが蘇る。 「好きになった……って、言われた」 『ちょっと歩ちゃん! それ、乙女の夢、玉の輿じゃない!』 「僕は乙女じゃないし、恋愛対象だって女の子だよ!」 『受け入れなさい、歩。幸せになれるわよ。今まで苦労したんだもの、それくらいのご褒美があったって良いわ』 「だから聞けよ、姉ちゃん! 僕は女の子が好き……」  ――トゥルル、トゥルル。 「あ、キャッチ入った。その話はまた後でね、姉ちゃん」 「はいはい、お幸せに」  語尾にハートマークが付いている。  だから何で、そういう結論になるんだ、姉ちゃん……。  キャッチ通話を取る。 「はい、佐々木です」 「佐々木くん、お疲れ様! 草苅(くさかり)です」  部長だ。休みの日に部長から電話とか、百万円単位の損失ミスをしたとしか思えない。  僕は震え上がって、ベッドの上で正座した。  でも、いつもは恐い部長の口調は、何だかウキウキと弾んでいる。 「お、お疲れ様です」 「佐々木くん、君、小鳥遊財閥にコネがあるのかい? 何で今まで言わなかったんだ。コピー用紙六万枚に、ホッチキス二千個、セロテープ五千個……とにかく、君をご指名で注文がひっきりなしに入ってるよ。今度の人事会議では、出世が望めるぞ」 「……え、あ、小鳥遊財閥、ですか!?」  訳が分からず他人事(ひとごと)みたいに聞いてた僕だけど、タカナシ、という単語に気付いて汗がドッと噴き出してきた。  慶二って、『あの』小鳥遊財閥の人間!? 「ああ。我が社始まって以来の、大量注文だよ。すぐには揃えられないと言うと、佐々木くんに世話になっているから、是非我が社から買いたいと」  ――ピンポーン。  あ、誰か来た。  それは携帯の向こうの部長にも聞こえたようで、そそくさと話を打ち切る。 「ああ、来客のようだね、佐々木くん。じゃあ、明日から忙しくなるから、今日はゆっくり休んでくれたまえ」 「は、はい。ありがとうございます。失礼します」  ――ピンポーン。 「はいはいはーい!」  貧乏アパートだから、インターフォンなんか付いてない。  僕はチェーンと格闘して、勢いよくドアを開けた。 「やあ、歩」 「げっ」  そこには、上品な濃い茶色のオーダースーツを着て、両手をスラックスのポケットに入れた、長身の慶二が立っていた。

ともだちにシェアしよう!