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第5話 ただひとつの愛
「え? アクセサリーなんか要らないよ。着けないもん」
「馬鹿」
言葉とは裏腹に柔らかく左手を握られ、薬指をチョンチョンと示された。
「ここにする指輪だ」
え……それって。
「け、結婚指輪?」
「そうだ。婚約の記念品は、ネックレスにしよう。ジュエリーショップはすぐそこだから、散歩がてら歩いて行こう」
「平良さんは?」
「もう先回りしてる」
いつの間に、そんな打ち合わせしたんだろう。
そう言えば、慶二は次に何処に向かうか、指示してない事に気が付いた。全部、打ち合わせ済みなのかな。
「でも僕、金属アレルギー」
「生半可な金属じゃないぞ。プラチナだ。アレルギーが出る可能性は低い。まあ念の為、チタンコ-ティング仕様にしようか」
「何、それ」
「チタンは金属イオンが溶け出さない素材なんだ。そこにイオン化したプラチナをコーティングする事によって、チタンの性質とプラチナの輝きが実現出来る」
「へぇ。そんなのあるんだ。詳しいね」
「ジュエリー部門所属だからな。金属アレルギー対策は、万全だ」
あ。慶二って、小鳥遊財閥の関係者だったっけ……。
嵐のようなショッピングデートで、訊きそびれていた。
「慶二。慶二って、何者? 小鳥遊財閥の関係者なんでしょ? 僕の会社に、大量注文した?」
「ああ。帝央大学を優秀な成績で卒業してるのに、面接が上手くいかないせいで、オフィス雑貨を扱う中小企業にしか就職できなかったんだよな。もう働く必要はないが、成績を上げて課長くらいまで昇進してから辞めた方が、ハクがつくだろう」
僕はその、上からの物言いに、沸々と頭に血が上るのを意識した。
「調べたの!?」
「ああ、プライベートまでは調べてないけどな。成績に、就職先が釣り合っていないのが気になった」
慶二は当然のように言う。
やっぱり、お金持ちって常識が違う!
「僕に訊かないで、探偵か何かを使ってコソコソ調べるなんて、常識外れだよ!」
僕の怒りに、慶二は何食わぬ顔をして言い放った。
「安心しろ。調べたのは小鳥遊の人間だ。口は堅いから、心配するな」
「そういう事じゃないよ! 普通は、付き合って色んな事を話して、少しずつお互いの事を知っていくんだよ! 人を使って経歴を調べるなんて、最低! 僕、帰る!」
そう言って、回れ右して、ズンズンと早足に慶二から離れていく。
だけど慶二とはコンパスの長さが違うから、すぐに追い付かれて、手首が引かれた。
「待て、歩。悪かった、謝る」
「僕、怒ってるんだよ! 離して!」
「だけど、信号が赤だ」
「……あ」
一瞬後、大通りの交差点に車が溢れた。慶二が引き留めてくれなければ、事故に遭ってたかもしれない。
僕は足を止めて、俯いて小さく言った。
「……ごめん。ありがと」
「俺の方こそ、悪かった。小鳥遊では、身辺調査は当たり前なんだ。お前が嫌がるとは思わなかった。もうしない」
「……うん」
「それに歩、ここから歩いて帰るつもりか? 腹も減ってきただろう。指輪を注文して、夕食をご馳走させてくれ」
大人の余裕は何処へやら、必死にも取れるトーンでお願いされて、思わず僕は振り返った。
困ったような角度に眉尻を下げて、慶二が途方に暮れていた。
……この人、本当に僕が好きなのかな。僕の悪い所だけど、すぐにほだされてしまう。
ジュエリーショップまでは、差し出された慶二の大きな掌を握って、ゆっくりと歩いた。
「そう言えば、歩はゲームが趣味だったな。どんなゲームが好きなんだ?」
「え? 何で知ってるの?」
反問すると、慌てて慶二が言い募る。
「調べた訳じゃないぞ。昨日、訊かれて答えていただろう」
「あー……」
趣味なんて高尚なものじゃなかったけど、苦し紛れに言ったんだった。
「格闘ゲームとか。ゲーセンでやるようなの」
「ゲームセンターか。俺は行った事がない。俺でも出来るようなゲームはあるか?」
「え?」
「歩の趣味を、俺も体験してみたい」
俺より二回りくらい逞しい掌に、きゅっと力がこもった。
この人、こんな高級なスーツでゲーセン行く気なんだ。アラサーなのに。
そう思うと、何だか少し可笑しかった。
「何を笑ってる? 歩」
「何でもない……良いよ。ゲーセン行って、祭りの太鼓やろう」
「それは何だ?」
「和太鼓を叩くゲーム」
「洋楽器は一通り経験があるが、和楽器は初めてだな。出来るだろうか」
「大丈夫。初心者モードでやれば、簡単だから」
そんな事を話している内に、ジュエリーショップに着いた。うわ……凄く大きなお店だ。
小鳥遊のお店だって言ってたな。今まで回ってきたお店も、「慶二様」って呼ばれてたから、ひょっとしたら全部、小鳥遊系列のお店かもしれない。
僕は誕生日が二月だったから、ネックレスはチタンコーティングのプラチナチェーンに小さな薄紫色のアメジストが三連に輝くネックレスを、慶二が選んでくれた。
「よく似合ってる、歩。専門店でもないのにチタンコーティングが注文なしに手に入るのは、小鳥遊の店くらいだぞ」
慶二が僕の首にかかったネックレスを、二人で鏡を覗いて眺めながら、ちょっと得意そうに言う。
「確かに、金属アレルギーのお客さんにも、優しいお店だね」
「そうだろう。さあ、指輪を合わせよう」
まず、色んな大きさの指輪がジャラジャラ着いた道具で、薬指のサイズを測る。
金属アレルギーで何もアクセサリーを着けた事がなかったから、初めて測った。九号だった。
「次はデザインだ。好きなのを選べ、歩」
結婚指輪のコーナーがあって、ショーケースの中には、金銀の指輪がライトアップされて光ってた。
凄い。綺麗。何かもう、見ただけでお腹いっぱい。
でもそういう訳にもいかず、僕は視線を彷徨わせた。
「あ。これとか、どう?」
銀色に輝く、少し太めのシンプルな指輪を差す。
「ああ。それが気に入ったんなら、そうしよう」
ホントの所、全部は見てなかったけど、お腹が空き始めたのと慶二とゲーセンに行きたいので、パッと目に入ったのに決めた。
「そちらのチタンコーティング加工の九号なら、ご用意がありますよ。刻印を決めて頂ければ、すぐにお手配出来ます」
「刻印? って?」
店員のお姉さんに首を傾げると、ものを知らない僕を馬鹿にする風もなく、ニッコリと教えてくれた。
「指輪の裏に刻印するメッセージです。一般的には、結婚記念日などの日付と、お互いのイニシャルを入れます。もっと凝りたい方は、英語などで一言添えられます」
「へぇ。どうするの? 慶二」
すると慶二は顎に拳を当てて、ちょっと声を低めて言った。
「シンプルに、『One Love』ではどうだろう」
スラッと出てきたって事は、考えてきたんだろうな。
「『ただ一つの愛』、か。慶二ホントに、僕をただ一人になんてする気、あるの?」
何気なく訊いたんだけど、店員さんの笑顔が凍り付いたのが分かった。
そっか。小鳥遊の店だっけ。
「もちろんだ」
「ふぅん。まあ良いや。それにしよ」
「では、こちらにご記入ください」
「ああ」
内ポケットから例の万年筆を出して、慶二が注文書にアルファベットを綴っていく。
『01.30. K & A One Love』
ただ一つの愛? 見栄なのか、建前なのか。僕は事ここに至っても、まだ慶二と結婚したんだって実感がわかないのだった。
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