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第6話 行きつけのお店
ロールスロイスに乗り込んで、晩ご飯を食べに行く。嫌な予感がして、僕は訊いていた。
「慶二、何食べるの? フランス料理とか、僕やだよ」
ものの見事に当たったようで、慶二は残念そうな顔をした。
「そうか。歩は、フレンチが嫌いなんだな。覚えておこう」
そう言って、手早く電話をかけて予約をキャンセルする。
「じゃあ、何が好きなんだ。イタリアンか? 懐石料理か?」
思った通りだ。慶二は、お金持ちの感覚だ。
僕はフランス料理なんか、姉ちゃんの結婚式で一回しか食べた事がなかったし、そのダラダラ時間をかけて小さな肉を啄むような食べ方が苦手だった。
……そうだ!
「慶二、奢るから、僕の行きつけの店に行こ」
「ん? 構わないが、歩が金を払う必要はない」
「僕は、結婚したからって、夫に頼り切りになる妻は嫌なんだ。慶二に甲斐性があるのは充分分かってるけど、ここは僕が出す」
「……そうか」
慶二が、何か言いたそうな、不思議そうな顔をした。
「ん?」
僕は促す。
「……俺にそんな事を言ったのは、歩が初めてだ」
「奢られた事、ないの?」
「家族以外に金を出して貰うのは、初めてだな」
「その歳で初体験なんて、貴重だね」
僕はアラサーの慶二をちょっとからかって、ぷっと噴き出した。
* * *
「ここは何だ? 鉄板焼きの店か?」
テーブルに鉄板がついているのを見て、慶二が疑問符を上げる。
「そんなようなもの」
「カウンターじゃなくこんなに席があるとは、シェフが沢山居るんだな」
あ、慶二ってホント典型的なお金持ち。
鉄板焼きは、シェフが松坂牛とかを、血の滴るようなレアに焼いてくれるもんだと思ってるんだろう。
僕は慶二と向かい合わせに座り、悪戯を仕掛けるような上目遣いで教えてあげた。
「違うよ。自分たちで焼くんだよ。お好み焼きって知ってる?」
「ああ……聞いた事はある。祭りの出店なんかにあるやつだろう」
「へぇ。知ってるんだ、慶二」
違う星に来た異星人みたいに、周りをさり気なくキョロキョロと眼球だけで窺う慶二に、僕は笑いが止まらない。
「知識としてはな。だが、実物を見た事はない」
「何、食べたい?」
僕はメニューを慶二に渡す。
「豚玉? 海鮮? 餅チーズ?」
「お……お任せで」
僕はカラカラと笑った。声を上げて笑ったのなんか、何年ぶりかの気がする。
「あはは、回らないお寿司屋さんじゃないんだから、お任せはないよ、慶二。何が食べたいか、言って……くく」
掌で半顔を覆って笑いを堪えると、バツが悪そうに慶二は薄い唇を引き結んだ。
「肉と野菜が食べたい」
「慶二、ネギ食べられる?」
「嫌いなものはない」
「へぇ。好き嫌いだらけかと思ってた」
「出されたものが食べられないでは、纏まる商談も纏まらないからな。小鳥遊の躾 だ」
小鳥遊の躾って、厳しいんだな。慶二みたいに末端の人間まで行き渡ってるなんて。
「じゃあ、豚ネギ焼きがお勧め」
「それと……何か酒を頼む」
「ビールで良い? ワインとかないよ」
「ああ、構わない」
「ビールは呑んだ事ある?」
「ドイツビールなら」
うわぁ。冗談で言ったんだけど、慶二ってホントに、普通の居酒屋とかでビール呑んだ事ないんだな。
豚ネギ焼きと餅チーズと、生ビール二杯を頼んで、僕はふと思い出した。
慶二が、何者かまだ訊いてない事を。
すぐにきたビールで乾杯して、水を向ける。
「で、慶二って、小鳥遊のどの辺の人なの?」
「俺か? 俺は、小鳥遊孝太郎 の次男だ」
え? 唐突で、話が見えないよ。
「いや、小鳥遊の家系なんか知らないから、名前言われたって分かんないよ。どの辺の階級の人?」
「ああ。現総帥の次男だ」
ぷぷぷ。僕は唇を覆う。
「何それ。慶二、冗談なんか言うんだ。そんな上の人が、契約結婚なんてする訳ないでしょ。選びたい放題でしょ」
「それが……」
憂鬱そうに、慶二は溜め息をふうっと吐く。
「小鳥遊の男は、代々男好きが多くてな。家系を絶やさない為、三十までに結婚相手を見付けられない場合、強制的に親の選んだ女と結婚させられる。長男がすでに三十で政略結婚したから安心していたが、四年経っても子供が出来ない。どうやら、嫁に全く手も触れていないらしいんだ。そこで俺にお鉢が回ってきたけど、忙しくてゆっくり相手を選ぶ時間もない。寄ってくるのは、小鳥遊のブランド目当ての輩ばかりだしな」
殆ど息継ぎもせずに一気に言って、慶二は生ビールを美味しそうに呑んだ。
「だから何とか二十九歳最後の日に時間を作って、婚活パーティに紛れ込んだんだ。歩を見付けられて良かった」
前半は頭に入ってこなかったけど、後半の言葉が不意に心に引っかかった。
「ちょっと待って。二十九歳、最後の日? じゃあ慶二、今日誕生日?」
「ああ、そうだ」
何の感慨もなく、平坦に答える。
僕は思わず声を高くした。
「何で言わないんだよ! プレゼントあげるのに!」
でも言ってから、慶二はどんなものでも望めば手に入る身分なんじゃないかと思って、口を噤んだ。
じわりじわりと、慶二の言った言葉が五臓六腑に染み渡る。
小鳥遊の総帥の……次男? 僕、そんな大物と結婚、しちゃったよ。
慶二が、笑い皺を優しく刻む。
「ほう。ゲームセンターには、UFOキャッチャーというものはあるか?」
そこへお好み焼きのボウルが二つきて、僕は作り方を簡単にレクチャーした。
「あ、これ、混ぜるんだ」
「なるほど。本当に自分で作るんだな」
慶二は不器用に割り箸を割って、豚ネギ焼きを混ぜる。割り箸を割るのも、僕の見よう見まねみたい。
「UFOキャッチャーがどうしたの?」
「それで取ったものが欲しい。プレゼントしてくれるんだろう?」
「え、うん。そんなもので良いんなら」
それから僕たちは、お好み焼きを焼き始めた。慶二は生地を丸く落とす事が出来ず、歪な形になる。
勿論ひっくり返すなんて高等技術が出来る筈もなく、オーダースーツが汚れちゃうのが恐かったから、僕がひっくり返してあげた。
「シェフみたいだな、歩」
冗談でも何でもなく、真剣に言って慶二は僕を笑わせる。
昨日出会ったばかりの、住む世界が違う筈の人なのに、お好み焼きを食べてビールを呑み、
「歩が作ってくれたから、美味しい」
と、細 やかに口説かれる。
いつもは一杯しか呑まないけど、これを乾杯したくてもう一杯ビールを呑んだ。
「三十歳の誕生日おめでとう、慶二」
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