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第3話
「また早退?」
「はい。早退します」
「菅田 くん、総務も暇な部署じゃないんだよ」
いつもの嫌味。この上司は残業している社員が優秀だと勘違いをしている。
「本日分の仕事は終えました」
「……あ、そう」
「お先に失礼します」
「はいはい、お疲れ様」
自分の仕事が終わったなら、遅れている他人の仕事を手伝うのが筋だと言いたいのだろう。でも何を言われても譲れないものがある。それに有給はほとんど使ってなかったんだ、消化してなにが悪い。
会社の廊下を速足で通り抜けて行くと、給湯室から同じ総務部の女性たちのかしましい声。
「見たんですよ~! あれ、絶対菅田さんですよ!」
「男と手をつないで……って、マジ!?」
「うっそ~! あの歳で結婚してないから怪しいとは思ってたけど~」
……背後から聞えてくる声に、一瞬足を止めかけたが、どうでもいい。どうでもいい他人に時間を取られるのはごめんだ。今は優斗 が最優先だ。今日は病院の日で、優斗はきっと疲れているだろうから迎えに行ってやりたい。タクシーを使えと言ってるのに、一人だと優斗はタクシーを使わない。
「タクシー使えよ、優斗」
「電車でも平気だって。文 は心配しなくていいから」
「優斗」
「タクシーって好きじゃないんだよ……」
「好きとかの問題か? 倒れたらどうする」
「……分かった。使うよ、タクシー。でも調子の悪い時だけ、な?」
「仕方ないな……」
俺に対して金銭的な遠慮をしているのと、優斗は実は人見知りだ。
高校時代、クラスでは誰とでも話し、周りのみんなから慕われ人気者だった。そういう姿を見ていたから、天文部の天体観測に誘ってみた。優斗なら知らないクラスの人間がいても楽しく盛り上げてくれるだろうと思ったのだが……
蓋を開けてみると、優斗の人懐っこさは、仲間意識のある人間だけに発揮されるものだったんだ。観測にはクラスの人間より、そうじゃない人間が多かった。先輩もそこそこの人数がいた。優斗は途端に黙りこみ、俺の後ろにずっとくっついていた。モジモジとしていつもの元気はどこへやら。
そんな優斗が新鮮で面白く感じ、観測のたびに優斗を誘った。しかし優斗も回を重ねるごとに慣れて行き、いつもの元気で楽しく周りを盛り上げる優斗になっていって、俺は少し寂しく思ったもんだったな。俺の背中にひっついてたの、かなり可愛かったから。
☆
病院から帰宅して優斗は疲れているようだったので、そのまま寝かしつけたあと、俺は冷蔵庫の食材を眺めた。正直言って、料理のレパートリーはあまりない。ネットでさっぱりして、俺にも作れ栄養が摂れそうな物を探してみよう。
優斗は病気になってから、食欲が落ちてだいぶ痩せてしまった。好きだったスポーツも出来なくなっていつも怠そうで。
そんな姿を見るたびに俺は泣きそうになる自分を叱咤する。一番つらいのは優斗なんだ、俺が泣いてどうする。
「……煮こぼし、ってなんだ?」
良く分からない調理方法をスマホで検索しながら、優斗の為に料理に勤しんだ。
鍋を煮込んでいる間に、俺は赤い装丁のアルバムを棚から取り出した。優斗が病気になってからは写真を撮らなくなった。いや、そのまえから、あまり撮ってない。特に二人一緒に写っている写真が少なくなった。
ああ、そうだ。病気が治ったら旅行へ行こう。二人で一緒に写真に写ろう。仕事は楽しかったしやりがいもあったが、優斗を犠牲にしてまでする仕事に何の意味があるんだろう?ずっとゆっくり優斗と過ごす時間を持てなかった。俺はいま、すごく時間を無駄にしてしまったように思えてならなかった。
「写真、もっと撮ればよかった……」
思わず、ぽつりと出た自分の言葉に、俺はちょっと驚いて口をつぐんだ。心の声ってたまにポロっと口に出るな。歳をとったせいか?
「優斗……俺、お前ともっと一緒にいたいよ……」
ぽつりとまた呟いてみた。なんだか胸が苦しくて、鼻がツンと熱くなった。泣いてる場合じゃないけど、俺は溢れてくる涙を止める事が出来ない。優斗に見られたくない。でも、優斗が眠っている間、ほんの少しだけ泣かせて欲しい。泣き終われば、俺はまた頑張れて、前を向けるから。
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