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第16話 まっくろ【船山さんはブラック-1-】
結局一睡もできなかった。
東の空が白々と明けてゆく、その紫のグラデーションを目で追いながら、夜明けのコーヒーを年下の上司に差し出す。
こんなに早く、船山さんとこんな風に朝を迎えることになるなんて……。
一流と呼ばれる某電機メーカーを辞め、ベンチャー同然のこの会社に転職して半年。経験者として受け入れられ、この上司 船山昇さんの下に配属された。船山さんはとても優しい。僕が納得するまで作り込むことを許してくれる。納期が押している時は、延長の交渉をいつの間にか済ませていたりする。
自分の工夫したシステムが、働く人の役に立つ。とてもやりがいのある仕事に関わっている。若い会社で、同僚に同世代が多く、気兼ねなく会話が楽しめるのもいい。前の会社では、休日まで同僚と過ごすなんて考えられないことだった。
望みを遠慮せず言える、会社の同僚を通り越した親近感。
いつかこうなる気がしていた。船山さんには申し訳ないが、僕は喜んでいる。でも、軽々しく言いふらしてはいけない。これで彼の評価が下がるようなことがあったらどうしよう…。焦る反面、秘密の共有にワクワクしているのだ。こんな展開、むしろ心の何処かで望んでいたのかも知れない。
ボタン1つで一杯毎に淹れるコーヒーは、そのまま飲むには熱すぎるくらいの熱を孕んだまま、手から手へと移る。立ち昇る薫りが、気だるい身体に染みて行く。今日はまだ金曜日。残念ながら、今からひと眠りする時間は無い。
窓の外をぼんやり眺めていた船山さんが僕に言う。
「仙道さん、ホントは後悔してるんじゃないですか?こんな面倒臭いことに片足を踏み入れてしまって。前の会社だったらあり得ないでしょう? こんなこと……」
問い掛けているクセに、こちらを見ようともしないで呟く。感情が含まれない発声に一瞬ひるんでしまった。なんと返答しようか、働かない脳をフル稼働させる。
「何を今更。後悔なんかする訳無いじゃないですか。自分で望んで、こうしたんです。自分の手で、気持ちで、選んで紡いだ結果ですよ。悔むだなんてとんでもない」
予想した通りの返答だったのか、船山さんの頬が緩んだ。2歳しか違わないのに、可愛らしい表情。この人は笑うと途端に幼く見える。
「流石に、2人して昨日と同じ服、というのはマズくないですか? 着替えに戻ります?」
「ああ、寮なら近いから、始業前に往復出来ますね。……うちは少し遠いので諦めます」
あと1時間もすれば、早い人なら出社するだろう。肌寒かった昨日と打って変わって今日は夏日らしい。ウールのジャケットは脱いでしまおう。同じシャツだと気づく人はいるだろうか。
靴下と一緒に買い置きしてある無印のコンビニ専売ネクタイを下ろしてみようか。お手頃価格に驚いて、つい買ってしまった、あの細かなチェック模様のシルク100%のネクタイ。紺と臙脂の、真面目なのに派手に見えるレトロな印象の柄行きだから、ジャケット無しで付けるのにちょうど良いかも知れない。露骨に『この2人帰宅していませ〜ん』なんてバレバレでは、船山さんが恥をかくだろう。ここは年上の僕がしっかり手を打たなくては!
コーヒーをコクリと呑み込み、ひと呼吸。
目線を上げると、窓の外を眺めていた船山さんの目から一筋の涙か零れ落ちた。
ーーー!?
ちょ、ちょっと!!大丈夫ですか船山さん!?
「あ、すいません! 昨夜のことを思い出したら…今頃になって、つい。気が緩んだんです、きっと。もう大丈夫。これで良かったんだ。結果オーライです」
長すぎないまつ毛に雫を光らせたまま、船山さんがほほ笑み、ブラックコーヒーを啜る。
「あっついコーヒー、好きなんです。いい香りごと体に入って来る感じがして」
湯気で雫を誤魔化そうとしているのか、蓋を外したカップを深く顔に当てたまま、息を吸い込む音がしている。
…ああああああ! 泣かせてしまったぁぁぁぁぁぁっ!!
昨夜の失態は、やはり、しかと詫びねばならないだろうなあ。
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