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第16話 まっくろ 【社長さんのブラック-3-】
リフレッシュルームの一角に、見慣れない来客達とフラッシュの閃光。仕立ての良さそうな三つ揃えの背広で指を組み替えながら談笑しているのが、この会社の代表取締役社長、その人だ。
「あれなに?」
「社長の取材だって」
ランチタイムの社員食堂。取材の様子を覗き見ながら、素朴な疑問に場が持ちきりになった。
「…社長のアレって、日サロですかね?いつも程よく健康的な顔色」
「ツヤツヤさせるのは、鍛えてる人特有の盛り方だよね」
「ボディビルですかね? それとも某”結果にコミットする”ジム? 」
「手を見ろ、日サロで焼くなら、指先まで抜かりなく焼くだろ?
手の甲は白い。よって機械焼きでは無い」
「手袋焼けした男性の多くは、ゴルフ場に生息する」
「ゴルフ?接待で?」
「ベタ過ぎて、うちの社長らしく無いなあ」
ゴルフじゃないんだよなあ。あの人、ガーデニング焼けなんだよ。ベランダ園芸男子なの。
……皆さんが食べているそのプチトマト、社長が、社長室で作ったヤツだから。
秘密でもなんでもなく、発表すればいいのに。
あの日、僕の実家で猫除け・虫除けに良いと聞いて実践しているエコ堆肥を、社長に伝授した。
いつものコーヒーベンダーが毎日大量に吐き出すコーヒー豆のカス。そこに腐葉土を合わせ、毎日混ぜながらひと月ほど寝かせると、栄養分豊富な『コーヒー堆肥』が出来上がる。
バケツか厚手の段ボールがあればベランダでもできるのだ。捨てるのにも一苦労だと零していたゴミ問題が一気に解決!害虫除けになるとの噂もあるので、ビルのベランダ園芸に試す価値はある。
定期的に混ぜ返し、空気の滞りを一掃できたか観察。このところ気温も上がり、とてもいい感じに仕上がっている。
社長室のテラスで太陽を浴び、コーヒー堆肥の養分を存分に吸って、ミニトマトはすくすくと成長していく。
枝葉を揺らすと、青臭い夏の香りが立ち上る。数日目を離すと驚くほど様子が変わるから、外出先からの直帰が多かった社長が、夕方は本社に戻るようになった。
僕が様子を見に行った際には、根に近い所の余計な脇枝を根本から切り取る作業を手伝う。ちょっと間が開くと脇芽だらけになってしまうので、社長に小言を言いながら摘み取るのが日課だ。
社長室の皆さんが手塩にかけて育てた甲斐あって、やっと社員食堂に出せる収穫量になった。わざわざ言い触らすほどのことではないから、と、こっそり提供されているんだけど、育てている側からしたら感想が聞きたいのだろう。
取材が終わり、仕切り代わりの観葉植物の向こう側を社長と秘書の小林さんが歩いている。今だ! とばかりに、船山さんに話を振った。
「船山さんのAランチ、付け合わせも美味しそうですね! あれ? トマト嫌いでしたっけ?」
「ああ、ミニトマト、とても甘かったので、1個は最後まで取っておくんです。好きな物は残しておく主義なんですよ」
「トマト、甘かったよね! これなら単品で冷やしトマトとして小鉢の棚に並べて欲しいな」
「ヘタまで新鮮で、香りが鮮烈だね! どこ産なんだろう?」……
ーーほら、声に出ていなかっただけで、大好評でしょう?
仕事のモチベーションを保つって、案外些細なことなのだ。「美味いエスプレッソが待っている」「社員食堂のランチが美味い」「ミニトマトが日々成長中」……これで十分だ。
社長の耳に届いただろうか? ゆっくりと歩く社長の口角が、ニッと上がった。
<社長さんの手はまっしろ編 おしまい>
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