31 / 87

ピロトーク:郁也さんの特技②

***  明日の激務に備え自分の仕事に優先順位をつけて、あらかた片付けつつ、ぶっ倒れそうな人間をピックアップし、ソイツの仕事をする下準備をした。 「そんじゃ、お言葉に甘えてお先に失礼します!」  野戦病院と化した、編集部を逃げるように立ち去る。振り返るな、憐れむな、明日はわが身――  羨む視線を振り切って一路、周防のところに向かった。 「17時ちょっと前か。病院閉める時間だから、ちょうど良かったかもな」  腕時計で時間を確認して中に入ろうとしたら、上着を誰かにぐいっと引っ張られる感覚がした。振り向くと小学生くらいの女のコが俺を見上げて、もじもじしていた。 「どうしたんだ? 病院に用事なのか?」  ポニーテールに、可愛らしい花柄のワンピースが清楚な感じだ。女のコの視線に合わせるべく、膝に手をついて顔を見てあげた。 「あの、周防先生のところでお世話になってる、太郎の服を持ってきました」  背負っていたリュックを肩から下ろして、強引に手渡してくれる。 「周防が世話してる、太郎って?」  今時いるんだな、昭和チックな名前を付ける親。 「すみませんっ、余計なことは喋るなって言われてるので。それ渡してください」  まくし立てるように言って、俺が編集部を逃げたように走り去って行く。 「ちょっ、君の名前は?」  女のコの背中に慌てて訊ねると、 「えっと太郎の妹です。失礼します!」  きっちり一礼して、夕日に向かって走って行ってしまった。 「太郎の妹って、名前じゃないし」  リュックを手に困り果てながら、病院の中に入って診察室を覗いてみる。待合室に患者さんがいなかったから、多分周防ひとりだろう。 「ちーっす、土曜はどうもな」  自分の家の中に入るように、診察室に足を踏み入れる。パソコンと睨めっこしていた周防が、疲れた顔して俺を見た。 「ももちん……。随分顔色も良くなって、元気になったみたいだね」 「そういうお前は、大丈夫なのかって顔してるぞ。今日、忙しかったのか?」  心配になって周防の額に手を当てて熱を測ると、微妙な表情を浮かべて、すっと顎を引く。熱はないみたいなので、すぐさま手をどけた。 「ちょっと疲れが溜まっただけ。それよりもどうしたの、遠足に行くのにちょうど良さそうな、大きなリュックを持ってきて」 「おおっ、そうそう。病院前でいきなり、女のコに手渡されたんだ。何でも、太郎の服が入ってるらしいぞ」  「何だって!? その女のコは、どこに行ったの?」  先ほどの疲れはどこへ――鼻息荒くして、ぎゅっと俺に掴みかかってくる。 「悪い、帰っちゃった。名前を聞いたんだが、太郎の妹って名乗りやがってさ」 「そう……。どんな女のコだった?」 「ちょっと待ってろよ、こんな感じだった」  手に持っていたリュックを足元に置いて、ポケットに入れてるメモ帳を取り出し、覚えている人相を描いてやった。これでも結構、絵は得意な方なんだ。  顔は逆三角形で、髪型はポニーテール。身長はこれくらいだったから、140センチちょっとか。  向かい合ったときのことを思い出しながら、克明に描いていく。細身の身体に、花柄のワンピースっと。 「ももちん……期待はしてないから」 「何だよ周防、人がマジメに描いてやってるのに。ほらよ、できたぞ♪」  押し付けるように手渡したメモ帳を見て、周防が凍りついた。 「――やっぱりね。進化してると期待しなくて、よかった」 「何、言ってるんだ。すっげぇ似てるぞ」  どこまでも冷たい対応に、ちょっと怒りが湧き上がってくる。 「太郎! ちょっとおいで!」  診察室から廊下に顔を出し、どこかに向かって叫んだ周防。肩をすくめて椅子に戻ったとき、大きな声が背後から聞こえてきた。 「わんわん、用事は何ですか~?」  わんわんって、一体。  そのセリフに違和感を覚えて顔を引きつらせて振り向くと、そこには見たことのない男がこっちを見ていて、バッチリ目が合った。 「タケシ先生……誰、この人?」    明らかに年下だよな、コイツ――なのに周防を名前呼びしてるぞ、何者だ?  正直、俺を見下ろしてくる視線からは何となくだけど、友好的な感じがまったくしない。どちらかといえば、とっつきにくい印象を受けた。 「俺の親友の桃瀬。あのさ、この顔に見覚えある?」  周防が手渡したメモ帳を男に見せると、腹を抱えて笑い出した。 「なっ、何だよ、これ! こんな人間いたら、今頃テレビに出まくってるだろ! 宇宙人か!?」 「悪いが太郎、俺はこの絵を見てピンときたんだ。多分このコはお前の妹だ。よく見るとどことなく雰囲気が、お前に似ているからな」  言われてみれば太郎の顔、ちょっと似てるトコがあるような――? さすがは周防だ。俺の絵心を理解してくれているが。  ……その前に太郎の妹だって、女のコは自己紹介してるし……  しかし指差ししながら、困った顔をしてるのは何故だ? 「この人が描いたのか!? 何か以外……」  男から放たれる軽蔑の眼差しが何ともいえなくて、縋るように周防を見た。 「紹介するね、コイツは病院前で、わざわざ倒れてくれた面倒くさい患者なの。しかも自分の素性を明かしてくれなくて、俺が適当に名前をつけた」  珍しい――周防が見ず知らずの人間の面倒をみるなんて。あ、でも患者だから医者として、仕方なく世話をしているのか。 「大丈夫なのか? 防犯上のこととか、いろいろさ」 「何とかね。ソイツまだ高校生だし、躾るのにちょっとてこずってるけど」 「……高校生だったのか」 「何だよその目は! ああ、どうせ俺は老け顔ですよ」  若いだろうなぁと見た目だけで判断したのだが、まさか高校生だったとは。しかし高校生にしちゃ、ちょっと大人びてるかも。 「涼一くんが通っていた学校の、高等部の制服着ていたよ。ほら太郎、着替えだってさ」  足元においていたリュックを拾い上げて太郎に手渡すと、リュックごと周防をぎゅっと抱きしめた。 「おい、コラ! いきなり何するんだっ、離しやがれ!」 「えっ!?」  明らかにブチ切れてる周防をぎゅっと抱きしめながら、挑むように俺を見る。  思わず―― 「お前たち、デキてるのか?」  なぁんて野暮なことを聞いてしまった。ふたりの様子はどう見てもちぐはぐだったが、周防が激しくテレているだけかもしれないしな。 「デキでるワケないでしょ! 誤解しないでよ!」  そんなこと言ってるが、男は俺に対して敵意を抱いてるぞ。人の機微に鈍いと散々涼一に言われてるが、見てるだけでも分かる。  ――これは俺のだ、絶対に渡さない――  そんな想いが、ひしひしと男から伝わってくるから。 「周防否定しなくていいって、俺ら親友だろ。隠してくれるなよ」  男に分かるように、友達関係をアピールしたのに。 「んもうぅ! 本当に違うんだって! だって俺は――」 「うん?」  身体に巻きついた腕を解きながら、顔を引きつらせて周防が固まる。 「どうした?」  訊ねる俺の視線を一瞥してから、男の手の甲をぎゅっとつねりあげた。 「いって~!!」 「とにかく、頼むからももちん勘違いしないでよ。コイツはただの面倒くさい居候なんだから」  両腕をW型にしてやれやれポーズをしながら説明する周防の傍で、恨めしそうな表情を浮かべる、太郎と呼ばれた男。 「もう一緒に寝てる間柄なのに、激しく否定しなくてもいいじゃん」  ぽつりと告げられた言葉に周防を見ると、顔を真っ赤にしている。やっぱり何だかんだ言って、しっかりデキてるんじゃないか。 「いい加減にしろ太郎! 余計なことを言ってくれるな! 桃瀬が絶対に誤解するだろ!」 「だって、一緒に寝てるのは事実だろ」 「だけど何もヤってないし、起こってもいない! そして勝手に布団に忍び込んでくる、お前が悪い!」  息を切らしながら怒りまくる周防に、肩を優しく叩いてあげた。 「そんなに叱るなって。太郎はお前のことが好きなんだから、しょうがないだろ。見てるだけで分かるぞ」 「なっ……?」 「そうだよな、太郎?」  太郎に向かって聞いてみる。 「ああ、その通りだよ」  スタスタこっちに歩いて来て、周防の肩に置いてる手を払い除けられながら告げられる。 「俺はタケシ先生のこと、すっげぇ好きだし。誰にも渡すつもりはないから」  おおっ、やっぱり――珍しく俺にしては冴えてるかも。 「そうか。周防のこと大事に想ってやってくれよな。俺はただの親友だから、捕ったりしないぞ」  俯いた周防を隠すように、太郎は俺の前に出た。 「どうだかな」  相変わらず、疑うような視線を送ってくる。 「俺、恋人いるし同棲もしてる。だから安心してくれ」  これだけじゃ、説得力に欠けるよな。なぁんて思ったとき。 「周防先生もう患者さん見えないので、病院閉めましたよ」  ベテランでおばちゃん看護師の村上さんが、診察室に入ってきた。 「こんにちは、村上さん」  爽やかに挨拶をした俺を無視して、眉間にシワを寄せる。 「なぁんかココ、よくない雰囲気が漂ってるわね。太郎ちゃん、ケンカしたんでしょ?」 「してねぇし。……あだっ!」  ケッという表情を浮かべながら答えた太郎の頭を、無言で周防が殴った。 「すみません村上さん。病院閉めてくれて有り難うございます」 「いいのよ、そんなの。いつもの晩御飯、冷蔵庫に入れておいたから、太郎ちゃんと食べてね。たくさん作ったから桃瀬さん、持っていっても大丈夫よ」 「有り難うございます。でも恋人が大量にワケの分からない物を作ってると思うので、今回は遠慮しますね」  俺が寝込んで以来、涼一が一生懸命に料理を作ってくれているのだが―― 「ワケの分からない物?」  村上さんに聞かれ、返答に困ってしまった。 「えっと見た目がいろいろ問題なんですが、味は大丈夫みたいな」  頭をポリポリ掻きながら、そう答えるしかない。  調味料をしっかり量ってくれてるお陰で、そこから何の料理かを判断してるくらいだ。 「あらやだ、ちゃっかり桃瀬さんってば恋人の自慢してくれちゃって。ご馳走様です」 「いえ、そんなつもりは――」 「そんなつもりはなくても、いっつも自慢してくれるよね、ももちんってば」  ため息をつきながら椅子に座り、パソコンの電源を切る。何となく、周防の態度が冷たく感じた。そんなに自慢してる覚えはないのに。 「太郎ちゃん、あまりワガママ言って、周防先生を困らせたらダメよ。それじゃあお先に、失礼しますね」  デカい太郎の頭を優しく撫でてから帰って行った村上さん。俺も邪魔しないうちに帰らねば。  そう思って二人に簡単な挨拶をし、病院をあとにした。

ともだちにシェアしよう!