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ピロトーク:郁也さんの特技③
***
僕は郁也さんのことが大好きだし、誰にも渡したくないくらい愛してる。
だけど一生懸命に作った茶色いものばかりが並ぶ食卓を前に、得意げにさっき起こった事を話す郁也さんを引っ叩きたい気持ちなんだ。
僕に対して無神経が発動されるなら笑って許してあげるけど、それを周防さんに対してやるってどうよ?
正直胸が痛い、辛すぎる――
それは食事が始まって間もなくだった。
「明日からまたこき使われるから、セーブしながら仕事するな」
「やっぱり2日間、休んだのが響いちゃったの?」
和やかな会話から始まったんだけど。
「いいや。俺がウイルス撒き散らし他のヤツに感染させて、編集部を壊滅状態に追い込んだから」
「えっ!?」
それってあんだけ咳してたのに、マスクをしないで仕事をしたからなのでは。
「で、体力温存させるのに、今日は早上がりだったんだ。ついでに周防のトコ寄ったら、小学生の女のコに声をかけられた」
「へぇ、郁也さんの格好良さに、小学生の女のコもクラクラなんだ」(棒読みですwww)
「違うって。周防が世話してる太郎ってコの服を無理矢理、手渡されたんだ」
茶色い卵焼きを箸で摘んで、笑いながら説明する。
「太郎って、また古風な名前だね。小さいコなの?」
小学生の女のコが持ってきたから小さいコってイメージしたけど、どうしてそんなコの世話を、周防さんがするんだ?
「小さいコじゃない、高校生だ。涼一の出身校の高等部の制服を着てたって、周防から聞いた。口をつぐんで、本人が自分に関することを教えてくれないんだと。だから周防が適当に名前をつけたらしい。ソイツ、俺の前に現れたときは、いきなりワンワンって言ってきたぞ」
怪しすぎるだろ、そんなワケの分からない高校生を自宅に入れるなんて。しかもいきなり、ワンワンって一体……?
頭の中で整理しようにも郁也さんから与えられる情報だけでは、僕の想像力が追いつかない。
「大丈夫なの? 周防さんの身に何かあるかもよ?」
眉根を寄せて言ってやると、何故か嬉しそうな顔して俺を見る。
「何かあったと思うぞ。既に、一緒に寝てる仲らしい」
「ええっ!?」
ちょっと待て! この間チラッと僕は思ったよ。誰か周防さんの心を、ぎゅっと掴んでくれる人が現れないかなって。だけどそんなに簡単に、都合よく現れるだろうか?
しかも周防さんみたいにしっかりした人が、知り合ったばかりの高校生と一緒に寝ちゃうような感じには見えないって。
「俺はひと目見てピンときたんだ。太郎ってコが、周防のことを好きだってさ」
「そのこと本人たちの前で指摘したの? 郁也さん……」
この得意げな顔は聞くまでもないけどさ。
「ああ。言ってやったら周防のヤツ、顔を真っ赤にしてたぞ」
周防さんが顔を赤くした理由――そんなことを郁也さんの口から聞きたくなくて、悲しくなったからだと思うよ。テレてるワケじゃないのに本当、この人って……。
「……余計なこと言っちゃって」
「何だ?」
「いっ、いや、別に! それでその指摘で何かあったの?」
心の呟きがつい口に出てしまい、慌てて打ち消して次に繋げた。誤魔化しつつ左手に持った茶碗のご飯を、ガツガツとかき込む。
正直ご飯の味なんか、分かりゃしない。その場にいたらきっとハラハラして、僕は郁也さんを強引に連れ帰ったと思う。
「太郎が周防を抱きしめた」
「ぐはっ!!」
いきなりすぎる展開に、ついご飯が口から――
「ごっ、ごめん! びっくりしちゃって、思わず吹いちゃった」
「まぁ俺も驚いたしな。抱きしめた後に、好きなんだろって聞いてみたんだが」
吹いてしまったご飯粒を拾いながらドキドキしまくる。郁也さんの発言だけじゃなく、太郎ってコにも翻弄されてる周防さんを思うと、心臓がいくつあっても足りないと考えた。
「太郎ってコがいくら周防さんのことを好きでも、どうにもならないよね。一緒に寝ていても、きっと何もないと思うし」
「何でそんなことが、はっきりと断言できるんだ涼一。確かに周防は、何もないって言ってたけど」
言えるワケがないよ。僕の口から、周防さんが郁也さんのことを好きなんていう大事なこと。
「だってさ、相手はワケの分からない高校生なんだよ」
「そのワケの分からない高校生に対して、お前は素の自分を見せることができるか?」
「え――?」
ご飯粒を拾う手が、思わず止まってしまった。
「周防は親友の俺に対してもどこか一線を引いてるのに、太郎の前では素だった」
郁也さんの声がどこか寂しげに感じたのは、気のせいなんかじゃない。周防さんが一線引いているのを、気がついていたんだ。
自分の気持ちを悟られないようにきちんとベールに包んで、一線を引いている周防さん。年下の高校生に対して、素の自分を出せるのって一体。
「……えっと年下だから、気を遣わなくてすむからみたいな?」
「いいや。年下だからこそ尚更だぜ。大人として、弱みは絶対に見せられねぇって」
「あ、確かにそうだね」
「それでも、恋人関係なら別だけどな。俺という人間の全部を受け止めてほしいから、隠さずに晒すし愛してほしいって思う」
珍しい……。郁也さんから、そんな言葉が出てくるなんて。さては太郎が周防さんにデレデレしているのを見て、当てられたに違いない。
ティッシュで拾った米粒を、ぎゅっと握りしめてしまった。
――ここは郁也さんに響く言葉を――
ちょっとだけテレてる顔を、上目遣いで見ながらマッハで考える。
「勿論だよ。そんな郁也さんの全部が好きだし、好きだからこそ僕も安心してすべてを見せちゃってるんだしね」
「そ、そうか……」
えっとそこは照れないで、何か返答が欲しいんですが――しかも一生懸命に作った野菜炒めと卵焼きをぐちゃぐちゃに混ぜるとか、あり得ないんだけど。照れ隠しにもほどがあるよ、実際。
「……郁也さん」
「とにかくだ。周防と太郎は、きっとくっつく。応援してやらないと」
注意しようとした矢先の信じられない言葉に息を飲んだ。
「応援なんてしなくていいよ。放っておいたほうがなるようになるって」
郁也さんがこの件に絡んじゃ絶対にダメだ――周防さんが可哀想過ぎる。
「お前、あのふたりを見てないから、そんなことが言えるんだ。それとも妬いてるのか?」
窺うような郁也さんの視線が、本当に辛すぎる。事情を知っているだけに、それを言えないのが口惜しい。
「妬いてなんかいないよ。それよりもその気のない周防さんに無理させるのは、どうかなって思うんだ」
「いいや、あの態度の周防を見てると、嫌い嫌いも好きのうちだぞ。間違いない!」
「何だよ、それ……」
的外れな郁也さんのセリフに、呆れ返るしかなかった。
眉間にシワを寄せる僕を見て、持っていた箸を静かにテーブルに置き、考え込むように腕を組む。
「はじめてだったんだよ。あんなに楽しそうな周防を見るのがさ」
「楽しそう?」
「ああ。今まで恋人ができたら……。あ、異性のな。紹介してくれたんだが、周防のヤツが落ち着き払っていて、彼女だけがのぼせてるって感じでさ」
「そりゃあ、郁也さんの前でいちゃいちゃしないでしょ」
わざわざ紹介するだけでも、ホント偉いって思う。
「でもよ恋人ができたら、もっとウキウキするもんだろ。それが全然、伝わってこなかったんだよな」
そりゃ、そうでしょう。ときめく人は、ただひとりなのだから。
「まずは太郎が周防の病院前で、倒れてたっていうのが運命を感じたんだ」
「へぇ……」
まるで、アニメやマンガの世界だね。
「俺さ、どんな出逢いにも意図があるって考えてるんだ」
「意図?」
「例えば涼一が書いた小説を読んでくれる読者もそう。読むことによって、お前の心の一部に触れることになるからさ、自然と繋がるだろ」
確かに――こういう出逢い方もあるんだな。郁也さんの編集者らしい言葉に、口元が緩んでしまう。
「何だか面白いね。そこからファンレターを貰ったり、繋がっていくもんね」
「だろ? 俺もその手伝いができて、嬉しかったりするんだよな」
ふわりと笑いながら告げる言葉から、じわじわっと嬉しさが伝わった。
「運命の赤い糸ならぬ、運命の意図?」
小首を傾げて訊ねてみると、口元に笑みを湛える。
「周防と太郎は、医者と患者として出逢ったんだろうけど、素直じゃないアイツを引き出してくれたのが、すげぇなって思ってさ。人様のことについて鈍い俺だけど、何かをピンと感じたんだ」
周防さんの傍にいたからこそ、何かを感じ取ったのかな。
「だけどその意図の話、周防さんにはしないほうがいいよ」
「どうしてだ?」
「そこに何か意図があるなら放っておいても、上手いことくっつくっていうこと」
気を取り直してご飯を食べ始めると、くっくっくと笑い出す。
「妬くなよ」
ウーン、全然妬いてないのだが。
「……違うってば!」
「放っておいても俺たちみたいに、結ばれるって言いたいのか?」
「そういうこと。なるようになるんだよ」
とりあえず郁也さんに、タッチさせないようにしなくちゃね。
「なるようになる、か。じゃあ今夜、俺たちもなるようになろうぜ」
「は――?」
「涼一が妬かないように、分からせてやるからな」
どうしてくれよう、眩暈してきたよ。分からず屋の恋人を持つと、苦労させられる。
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