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前編
四歳の時、蒼の世界は変わった。突然、両親を失って、代わりに二人の友人だった陸に引き取られた。
……二十歳の年の差は、いつまで経っても変わらない。
けれど、背や体格はいつしか追い越し。社会人になった蒼は、かつて陸と交わした『約束』が果たされるのを待っていた。
今では、日本で同性婚は不可能だと解っているが――陸が、蒼の想いに応えてくれるのを待っていたのに。
その日、蒼が大口の契約を取ってきたのを祝い、職場で飲み会が開かれた。
蒼が営業をしている運送会社では、接待を禁止されている。社長が「接待で取った客は、接待で取られる」を信念としているからだが、おかげで通常の営業職よりは飲み会が少なく、陸の夕食を問題なく作ることが出来た。
「たまには、外食してきて良いんだぞ?」
陸はそう言ってくれるが、逆に作家である相手の方が打ち合わせなどで時折、外食する。蒼としては、せっかくの二人の時間をこれ以上、減らしたくなかった。
……とは言え、流石に上司や同僚の好意は断られず。
内心、ため息をつきながらキャバクラに連れて行かれたのだが――そこで思いがけない話を聞かされ、蒼は普段使わないタクシーに乗って超特急で帰ってきた。
「あんた、何考えてんだっ!」
「蒼?」
普段の敬語をかなぐり捨て、帰って早々、怒鳴りつけた蒼に浴衣姿の陸が目を見張る。
そんな相手を可愛いと思いつつも、蒼はグッと拳を握って再び口を開いた。
「ホステスさんに、俺と付き合うように言ったって……俺のプロポーズを、何だと!?」
「……だってカオリちゃん、可愛いし胸大きいし」
「四十路の男が、だってとか言うな!」
「おっぱいは正義だぞ、蒼っ」
「まっ平らで悪かったな!」
二十年越しの求婚を踏みにじられ、怒りのあまりつい釣られて子供のような言い合いをしてしまったが――すまない、と謝られたのに蒼は思わず息を呑んだ。
「今まで、きちんと断らなくてすまない」
「陸さん……」
「だけど、俺じゃ駄目なんだ」
「……だからって」
更に言い募ろうとする蒼の前で陸は立ち上がり、浴衣の上から明るいグレーの紗の羽織を手に取った。
それを羽織り、携帯と財布を愛用の合切袋(細々した携帯品を入れる手提げ袋)に入れると陸はスタスタと部屋を、そして家を出て行った。
「陸さんっ!」
慌てて追いかけたが、陸はちょうど通りかかったタクシーに乗り込み、そのまま行ってしまった。
……ここは、陸の家なのに。
本来なら、気まずくさせた自分の方が出て行くべきなのに。
(そりゃあ、俺には行くところなんてないけど)
携帯電話に電話やメールをしたけれど、電源を切られており陸からは何も返信のないまま――蒼は、朝を迎えることになる。
※
結局、徹夜状態で蒼は出勤した。仕事を休んだら、陸に呆れられる――我ながら動機が不純だが、恋する男なんてそんなものだと思う。
そして仕事を終えた後、蒼はある場所へと向かった。
……実は、陸の居場所は解っているのだが。
ホテル等ではなく、個人宅なので押しかけるにも許可が必要なのである。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「全くだ……と、言いたいが。今回に関しちゃ、あいつも悪いからな」
とある喫茶店で。
待ち合わせた相手は蒼同様のスーツ姿の、けれど線の細い彼とは異なり、屈強な体を少々、窮屈そうに席に収めた男だった。
頭を下げた蒼に、やれやれとため息をつきながら男――栄北斗 が、差し出したケーキの箱を受け取る。多めに買ってきたのは、北斗の職場への差し入れも兼ねているからだ。
……こんな気遣いをするのは、北斗の職場が陸の職場でもあるからで。
某出版社、そこに勤める北斗は小説家である陸の担当だったりする。
「で? これからあいつに突撃かけるから、今夜は帰ってくるなってか?」
「俺のことを何だと!?」
「父親みたいなおっさんに惚れ込んでる、エロガ……若造だな」
「……隠せてませんよ」
ほぼ『エロガキ』と言われて、ガックリと肩を落とす。
そんな蒼の前で珈琲の残りを飲み干すと、北斗はテーブルに何かを置いた。
「ま、同年代としちゃ、若者をたぶらかすなって言うべきなんだろうが……編集者としちゃ、お前がいた方があいつ仕事するし。友人としちゃ、家出してきたくせに部屋の隅でウジウジされる方がうっとうしいんでな」
「……栄さん」
「ホテル代わりにしないんなら、とっとと連れ帰ってくれ。あ、それは郵便受けに入れといてくれな」
そして、置いた何か――家の鍵についてそう言った北斗に頭を下げると、蒼は鍵とレシートを持って店を後にした。
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