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終わらないもの※
重い瞼を開けると黒い影が覗き込んでいた。
「気が付きましたか?」
抑揚の無い低い声が心配そうに尋ねる。
「苦しくないですか? 痛む所はないですか?」
質問には答えず恨み言を零す。
「なぜ死なせてくれなかったんだ」
「すみません」
「謝るな。お前は悪くない。…悪いのは……」
――悪いのは……俺なのだから。
魔王に敗れ、捕らえられるとその場で犯された。
それから毎晩のように犯され続け、怒りと殺意で気が狂いそうだった。
肉体よりも精神に訴える拷問に負けてしまわないように家族の事を考えた。
生きてもう一度会う。
その為に耐えろと自分を支えた。
耐え続けていればいずれ終わりがくる。
終われば国に帰れる。
国に戻ったら騎士としてもう一度やり直せばいいと言い聞かせた。
信じていた。
だが、それは間違いだった。
魔王の拷問によって侵食されたこの身体は国にいた頃とは全く別のものになってしまった。
魔王の手から放たれても拷問は続いている。
現に樹海でイグルに残滓の処理をされた時、勇者は感じていたのだ。
友であるイグルに内部を探られ嫌悪感を感じるどころか差し入れられた指を味わうように締め付け、指の動きにもどかしさを感じ自ら腰を振って強請ったのだ。
言葉にこそ出さなかったが、もっと奥まで捩じ込んで欲しいと願っていた。
残滓を掻き出すために動かされた指に興奮し、恥ずべく行為だと分かってはいたが張り詰めたソコに手を伸ばした。
イグルに見られているというのに、昂ぶり蜜を滴らせたモノを慰めたのだ。
身体の動きや反応から何をしているかログにも伝わっていると分かっていても手を止められなかった。
――俺は……二人の前で自らを慰め、果てたのだ。
魔王が酷薄の笑みを浮かべ囁く。
拷問《それ》はお前が生きている限り続くぞ――と。
欲に溺れた身体は貪欲で恥辱も厭わず、欲望を満たすために醜態を晒す。
――今回はイグルとログだったが、次は誰の前で醜態を晒すのだろうか?
そのうち自ら男を誘い入れる日が来るのかもしれない。
そう考えると恐怖で身が竦んだ。
――このまま国に戻ってもいいのか?
――戻っても皆を失望させるだけではないのか?
――堕ちたこの身で皆の前に立てば家名を傷付けるだけではないのか?
グラグラと揺れる精神を必死に支えながら目の前にある騎士の背中を追うように崖谷を登る。
歩みを進めるほど国に近付くのだと思うと足が重くなる。
――帰りたくない。
――帰れない。
崖谷から吹き上がる風に頬を撫でられ、ふとそちらに目を遣る。
暗く底の見えない崖。
――高いな……。
そう思った次の瞬間、身体が傾いていた。
見れば、イグルとログは緊迫の面持ちで必死に腕を伸ばし名前を呼んでいた。
腕を伸ばせば掴めたかもしれない。
だが、勇者は腕を伸ばす事はしなかった。
ヴェグル国きっての魔術師と騎士の目の前で容易く死ねるわけもなく、落ちて直ぐに救出されると勇者は山麓《さんろく》に打ち捨てられるように建っていた小屋へ運ばれた。
「死にたい」
心配そうに自分の傍らに控えている騎士に訴えるが、答えは別の方向から発せられた。
「駄目です」
「死なせてくれ」
静かに涙を流し懇願するが、魔術師は容赦なく一蹴する。
「アーク。貴方には死ぬ自由はありません」
騎士とは反対側に座り、静かに見下ろして言う。
「国中の者が貴方の帰還を待ち侘びています」
「俺はもう皆の知る勇者アーク・エス・ノエルではない」
「関係ありません。今回、聖剣に選ばれず勇者になれなかったアバドが貴方への対抗心から勝手に千の兵を率いて魔王城へ向かい、それを止める為に貴方は一人で軍を追いかけた。一歩間に合わずアバドと三百程の兵士が死にましたが、残りの兵を逃がすために囮として残った。そのかいあって七百近い兵たちは無事に国に戻る事が出来ました」
細く繊細な手が優しく目元の涙を拭く。
「貴方は英雄なのです。祖国に戻り元気な姿を皆に見せる義務があります」
「だが……」
「今回捕虜返還にいくらの税金が使われたか分かっていますか? 貴方はその礼も王と国民にしなくてはいけません」
「今の俺を見たら失望する」
「いいえ。誰も失望なんかしません」
「俺は!!」
「貴方は今も昔も変わっていません。だから安心してください」
「ふざけるな! 俺は…俺はもう以前の俺ではない! そんな事お前も分かっているだろう!!」
「落ち着いて下さい」
感情が昂ぶり、震える勇者を落ち着かせようと目を優しい手で覆う。
「少し休んだ方がいいでしょう」
おやすみなさいと静かな声を落とし、睡眠誘発の術式を転回させた。
眠りに落ちた勇者を残し、魔術師と騎士は隣の部屋へ移動すると、備え付けられていたイスに腰を下ろした。
「アーク様は大丈夫なんだろうか?」
「あの方は物心がついた時から騎士になるべく育てられた男ですよ。清廉潔白を具現化したような人間があのような仕打ちを受けて大丈夫なわけがありません」
貴族の中でも特に高貴な血筋とされている十貴族の一つノエル家に生まれたアーク・エス・ノエルは家名に恥じぬように強く正しくあれと育てられ、富と権力に溺れてしまわないように己を律しろと厳しく言い聞かされ、その通りに生きてきた。
己の正義を信じ真っ直ぐ前だけを見続け、誇りを持って立っていた。
だが、それを魔王により折られたのだ。
力で捻じ伏せ踏みにじり、二度と立ち上がれないように心を砕かれた。
「本当ならゆっくり時間をかけて心の回復を図りたいところですが、今はその時間がありません」
勇者が国を飛び出しアバドの兵が逃げ帰るまでに一ヵ月半が経っていた。その二日後、密かに放っていた間者より勇者が捕らえられたと知らされるとアーク・エス・ノエル有するノエル騎士団の騎士たちは力ずくで奪い返すと熱《いき》り立った。
団長であるアークを心から信奉している騎士たちは王命を無視し、国から飛び出そうとするのを副団長のイグルとログとで押さえつけ、思い留まらせた。
何度となく身柄返還を要求したが尽く無視され、粘りに粘り今回の捕虜返還へと漕ぎ着けたのだ。
使者としてイグルとログが国を離れてる今、団員を抑えられる者はいない。最短でニ週間。三週間を過ぎても戻らない場合は団員たちが動き出すかもしれない。
ノエル騎士団が動いた場合それに煽られた勇者アークに心酔している他の団員や民たちまでもが加わり国を飛び出す事になりかねない。
その様な事になれば国は混乱し、下手をすれば混乱に乗じて他国が責めてくる可能性もある。
それだけは回避せねばと魔術師は心を鬼にする。
「どうであろうと、アークは連れ帰ります。嘘でも大丈夫だと言ってもらわなければいけません」
「あんなに憔悴した状態で演技などできるだろうか?」
「出来なければ私が術で操ってでも言わせます」
勇者の意思や気持ちを無視する言葉に騎士は僅かに眉根を寄せた。
「自分が役目を果たさなかった事が原因で国が傾きでもしたら、アークは自らを責め決して許しはしないでしょう」
責任感の強いアークなら自分の不甲斐なさを呪い、永遠に責め続ける姿が騎士にも容易に想像がつき陰鬱な気持ちになる。
「アークを思うのであれば情けは無用。引き摺ってでも連れ帰ります。いいですね?」
騎士は重い溜息を吐いてただ頷くしかなかった。
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