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村にて-1-

 睡眠誘発の術式が解除されても疲労と心労の溜まっていたアークは眠り続け、日が中天に昇りきったところで漸く眠りから覚めた。  川魚と木の実が用意されていたが食欲がないと食べる事を拒否すると、需給の術式でもってイグルは自分とアークの身体を見えない管で繋げた。  需給の術式は供給者が需給者へ生命活動に必要なエネルギーを提供するもので、需給者は供給者が死なない限り飲まず食わずであっても生き続ける事が出来るというものである。  ただこの術は供給者と需給者の生命活動を支えなくてはいけないために供給者の負担は大きく、それが分かっているため勇者は術の解除を求めたが、魔術師は「なら、必要最低限の食事を摂って下さい」と言い放ち、勇者は目の前に用意された食べ物を口に運び無理矢理飲み込むが、吐き戻してしまった。  その後何度も術の解除を要求したが、結局需給の術式は解除される事はなかった。  死にたい。帰りたくないと零すばかりで自らの足で立つ事も歩く事もしない勇者を騎士は問答無用で背負い、山を越えた。  三人は言葉を交わす事もなく黙々と歩みを進め、三日が過ぎたところだった。  日が暮れ、野宿する場所を探していると小さな村に行き当たった。  野宿よりも屋根と壁のある場所で休んだ方が良いだろうと宿を借りる事にし、三人で押しかけては警戒される恐れがあるため、イグルが一人で交渉に向かう事となった。  数軒の農家があるだけで宿屋がない事は一目瞭然だったのでイグルは普段無表情の顔に笑顔を張り付かせ、洗濯物を取り込んでいる四十代前半の女性に話しかけた。 「失礼。そこの美しい方」  声をかけられた女は言葉が自分に向けられたものだとは気付かずに洗濯物を籠に運び続けた。  何度となく声をかけられ、漸く自分に向けられた言葉だと気付きどこかの酔っ払いがからかっているのだろうと顔を顰め声の方へ向けると、驚きから手にしていた籠を落とした。  そこには透き通るように白い肌に目鼻立ちの整った中性的な美貌。すらりとした痩身の青年が優しい笑みを浮かべ佇んでいた。  長旅で衣服はくたびれていたが質の良いものである事は明らかで、どういう身分の人間かは分からないが貴族だろうと女は判断した。  貴族のしかも超絶美形の青年に声をかけられる。  一体何が起こっているのか分からず女は絶句するだけだった。 「一晩宿をお借りしたいのですがお願いできませんか?」  ――宿?  この村に貴族のしかもこんなに美しい人間を泊める立派な宿は勿論、家もありはしない。そう伝えたいのに上手く言葉が出で来ず、顔を引き攣らせた。 「宿が無理なようでしたら納屋でもなんでもかまわないのですが、お願いできませんか?」  ――納屋!?  そんな所に本当に泊まるつもりなのかと……いや、本気で泊まるつもりだとしてもそんな所に目の前の美しい人を泊まらせるのは許されない事のように思え、狼狽する。  どうしたものかと考えあぐねいていると妻の異変を感じ取った夫が畑から慌てて駆け寄ってきた。 「どうしたアンナ?」  夫の呼びかけにアンナと白銀の男は同時に振り返る。  妻の強張った表情に何事かと、視線を妻の前に佇む人間へと移す。  男は信じられないものでも見たかのように目を見開き息を止めた。  ――山の神でも降りてきたのか?  そう訝しむ男に対してイグルはより一層深い微笑みを向ける。 「宿をお借りしたいのですが、お願いできませんでしょうか?」 「や……ど?」  驚きからなんとか回復した男は家にいる息子を呼びつけ、村長を呼んでくるように言いつけた。  十四才前後の息子は白銀の男を見ると、やはり驚きの表情を浮かべ棒立ちになった。  父親に催促され、漸く村の中へと駆けて行った。  村長が現れるまでの間、何事かと隣近所の者が一人また一人とアンナたちの方へ近寄り、白銀の男の美貌を目の当たりにして皆一様に呆然と立ち尽くした。 「こりゃあ、また豪い別嬪さんだね」  駆けつけた村長の言葉にイグルは微笑を持って返し、用件を伝えた。 「この村に宿屋なんてもんはありゃしませんが、使っていない家ならあっちにあります。そこでええならお泊まんなさい」 「有難う御座います。実は連れが二名いるのですがその者たちも宜しいでしょうか?」  連れとはどんな人間か、その場にいる者たちは固唾を呑んで待っていると、全身黒尽くめの男が大きな荷物を背負い村の外から近付いてきた。  黒尽くめの男の顔が認識できる距離まで近付くと、皆一様に目を見開き口をぽかんと開けたまま固まってしまった。  中性的な面立ちの白銀の男とは違い、野生的な色気を漂わせた端正な顔立ちに獣のような双眸。鍛え上げられた鋼のような体躯。本人は抑えてはいるが滲み出る只者ならぬ気配に老若男女問わず息を呑む。  そしてそんな黒尽くめの男が背負っているものが荷物ではなく、多少やつれてはいるが黄金色に輝く髪に精悍な顔。まるで物語の中に出てくる王子のような風貌の青年に女性たちは心をざわつかせた。 「三人で泊まっても宜しいですか?」 「誰も手入れしておらんから埃まみれですがええですかね?」 「だめです!」  そう答えたのはアンナだった。 「少し時間を頂けたら、ピカピカとまではいきませんが、寝泊りするのに問題ないくらいにしてみせますから、お待ち下さい」 「そんなご面倒をおかけする訳にはいきません。我々は屋根と壁があればそれで十分ですのでお気になさらないで下さい」 「いいえ。だめです!」  暫く押し問答を繰り返したが、結局熱のこもった説得に折れるかたちで掃除をお願いする事になり、その間三人はアンナの家で待機するという話に落ち着いた。  アンナが自宅へ三人を案内し、掃除道具を用意していると旅人三人の姿を目の当たりにした女性の全員が手伝いを申し出たため総勢十人で空き家へと向かった。  母親に三人をもてなすように言いつけられたが、何をしたらいいのか分からない息子のラトは見よう見まねで淹れたお茶をテーブルに並べた。 「粗茶ですが、どうぞ」  外から人が訪ねて来た相手に対し母親が言っていた言葉をそのまま並べると、白銀の男は蕩けるような笑顔でもって礼を言い。黒い男は表情を崩す事無く怖いくらいな真剣な眼差しを向け、静かに礼を言い。黄金の男は俯いたまま小さな声で礼を言った。  見ず知らずの赤の他人。しかも生まれて初めて見る超絶美形が三人。  ラトは緊張から胸が苦しく、何か話をして場を和ませたいと思うが、何をしゃべったらいいのか見当もつかず、ただ歯を食い縛りその場に立ち尽くした。  ――空気が重い。  ――苦しい!!  じっとりと汗を掻き、俯いていると……。 「わーーーキレイ!!」  空気を打ち破る声に顔を上げて見た。  外で友達と遊んでいたはずの妹のレイナが目をキラキラと輝かせて三人を見つめていた。 「お前、何時帰って来たんだよ」 「ん? 今だよ。お家に王子様がいるって聞いたからすっとんで帰ってきたの」  返事は返しているものの目線は三人の客に釘付けの妹を注意しようと口を開くが、それよりも早くレイナが言葉を発した。 「あなたたちはどこの国の王子様なの?」  ――バッ…バカヤロー!!  ――目の前の連中はどう見ても貴族だろうが!!  ――口の利き方を気を付けろよ!  ――下手したら不敬罪だか無礼罪だかなんだかで首を刎ねられるかもしれないだろうが!!!  ラトは顔を引き攣らせながら睨み、目で訴えるがレイナの視線は三人へ向いたままのため無視される。 「我々は王子ではありませんよ」  白銀の男が答えるとレイナは自分の頬を包むように左右の手で押さえその場で飛び跳ねると、頭の高い位置で一本に縛っている長い髪が馬の尻尾のようにゆらゆらと揺れた。 「キャー! 声も素敵! でもこんなにキレイなのに王子様じゃないの?」 「ただの旅人です」 「あっ! お忍びなんだね? キャー!!」  微笑で曖昧に返すと質問はさらに続いた。 「歳はいくつなの? 誰が一番年上? 上下関係てあるの?」 「一番の年上は私ですから主導権は私にありますよ。歳は想像にお任せします」 「キャーーー」  その後怒涛の如く続く質問に白銀の男は根気強く答え続けた。  そんなやり取りを見ながらラトは思った。  妹は年下でまだ十才の子供だ。  だけど、女は生まれて来た時から女なんだという母の言葉が今実感として分かった。  女は肝が据わってて、強くて、恋の前では無敵!  ――女って……。  ――女って……。  ――女って怖いっっっ!! 「あの。こっちの金髪の人はどこか悪いの?」  兄のラトが思うに、絶対に触れない方が無難な話題に妹が思いっきり触れ、その場で頭を抱え込んで大声で叫びたい衝動に駆られながらもなんとかそれを堪える。  そんな兄の心を知らないレイナはイグルではなくアークへ直接問いかける。 「顔色悪いけど、大丈夫?」 「大丈夫ですよ。この者は長旅に疲れ、元気が無いだけですから休めば直ぐに元気になります」  安心を促す微笑みを向けられながらも心配が拭えないレイナはアークから視線をはずす事が出来なかった。 「それより今度はお嬢さんの事を話して下さい」  話を振られ、慌てて目線を白銀の男へと移す。 「わっ私!? 」 「ええ。貴方の名前や好きな花。一番嬉しかった出来事や悔しかった出来事を教えてくれませんか?」 「えっと…名前はレイナ。十歳。好きな花は……」  アークから意識を引き離し自分へと向けさせるとレイナの意識が離れないようにとイグルは話をし続けた。  暫くしてアンナが掃除から戻ってきた。  アンナに案内され廃屋へと向かうと掃除を手伝った女性たちが三人の到着を待っていた。  開いたままの扉から中を窺うと見事なまでに片付けられ、三組の布団まで運び込まれていた。  イグルはアンナの手を取り、感謝の言葉を述べ手の甲へキスをした。 「駄目ですよ。こんな汚い手!」 「何を仰いますか。働き者の綺麗な手です」 「まぁ!」  頬を赤く染めアンナは腰砕けとなりその場に座り込んでしまった。  アンナだけずるい!!――女性たちの心の声を汲み取ったイグルは残りの女性たち一人ずつに同じように言葉をかけ手の甲にキスを落としていった。  最後に再びアンナの元へ戻り懐から銀貨を取り出して渡した。 「今は手持ちがあまりありません。申し訳ないのですがこれを皆さんで分けて下さい」  アンナは銀貨を両手で包むと首を力一杯振り、頷くと「後でお夜食をお持ちします」と言い残し、女性たちを引き連れその場を後にした。  アンナたちの姿が見えなくなるとイグルは元の無表情へと変わり、廃屋の中へ引っ込んだ。 「すまない。面倒な役回りを全て押し付けて」  無表情ながらも申し訳なさそうに立ち尽くすログに対し、イグルは肩を竦めて見せた。 「適材適所ですよ。出来る者がやればいいんです」  そう。適材適所なら本来こういった役回りはアークの得意とするところだが、今はどう見ても無理である。ログは問題外な為、何でもそつなくこなせる自分がやればいいだけだと目を伏せた。 「力自慢の無骨な男と対峙する事があればその時はお願いしますからね」  黒い騎士は力強く頷いた。

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