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村にて-2-
旅の疲れから三人三様に休んでいると、アンナが娘のレイナを連れて晩御飯を運んできた。
「皆さんのお口には合わないかもしれませんが、宜しければ食べて下さい」
三人分にしては多過ぎる量の晩御飯に対しイグルは歯の浮くような言葉を並び立てて礼を言い。ログは無愛想ながらも心を込めた礼を述べた。
二人の美青年に囲まれ、おろおろしている母の横をすり抜け、レイナは小さな鍋を持ってアークへと駆け寄った。
「これ食べて」
俯いたままのアークは差し出された鍋を辿るように顔を上げると、純真無垢な笑顔がそこにはあり、つい目線を逸らせてしまう。
「これね。お母さんに教えてもらって作ったの。色んな薬草が入っていて身体にいいんだって。これ食べて元気になってね」
見れば指先に調理時に負ったと思われる傷が幾つかあった。
見ず知らずの自分を元気付けようと不慣れな料理に挑んでくれたのだろう。
少女の優しい気持ちに心が振るえ、外していた視線を持ち上げ、少女の顔を正面から見つめた。
「有難う」
歪ではあったが笑顔を作り礼を言うと少女は顔を真っ赤にし、照れ笑いを浮かべ「元気になってね」と言うと母アンナの元へと駆けていった。
親子が帰り、再び表情を落ち着かせたイグルはアークへスプーンを差し出した。
「吐こうが下そうがそれだけは責任を持って食べなてはいけませんね」
「そうだな」
渡された鍋の蓋を取ると湯気が顔を優しく撫でた。鍋の中身は薬草と野菜のふんだんに入った色取り取りのスープだったが見ても食欲は湧かず、スプーンで掬うと機械的に口へと運んだ。
味はよく分からなかった。美味しいのかそうでないのか。
咀嚼し無理矢理それを飲み込む。
吐き気を催すがなんとかそれを堪え、落ち着いたらまたスープを口に運ぶ。
その作業を何度か繰り返しているうちに涙が溢れてきた。
何故泣いているのかも分からないままアークはスープを口に運び続けた。
運び込まれた多目の食事をイグルとログはきれいに平らげ、アークもレイナに渡されたスープをなんとか飲み尽くすと布団へ入った。
イグルとログは長旅の疲れもあり直ぐに深い眠りについたが、アークは眠る事が出来ずぼんやりと天井を見つめていた。
風もなく暗く静まり返った部屋。
真綿で首を絞められているかのような圧迫感に息苦しさを覚える。
――帰りたくない。帰れない。
――消えて無くなりたい。死にたい。
そんな考えが頭を埋め尽くし、気がおかしくなりそうになり自らの胸に爪を立て掻き毟る。
ガリガリ……。
ガリガリ…ガリガリ……。
皮膚を切り裂く度。痛みを感じる度に心が落ち着いた。
胸を、腕を掻き毟り続けると思考が痛覚によって麻痺し何も考えずに済んだ。
傷口に爪を立て痛みに浸っていると、妙な気配を感じ身体を起こした。
気配を探っていると隣で深い眠りについていたはずのログが目を覚まし、一拍をおいてイグルも起き上がった。
「魔物だな」
ログの言葉にイグルは頷く。
「追っ手にしては気配が小物過ぎますね」
「見て来る」
ログが立ち上がった次の瞬間。
それまで三体から五体ほどの気配だったのが何十体へと増えた。
「小物でも数が多いと厄介ですね」
騎士と魔術師は頷き合うと勇者へと向き直った。
「村の方たちにはよくしてもらいました。心ばかりのお礼をしたいと思います」
「ああ。そう…だな」
魔術師の言葉に力のない声で答えるとすぐさま黒曜の騎士は飛び出した。
「お前は……行かないのか?」
「行きますよ」
答えるとイグルはアークへと近寄り、外套を肌蹴《はだけ》させた。
掻き毟り血の滲んだ胸を見て、目を細めると掛けていた需給の術式を解き、次いで治癒の術式を転回させた。
だが、イグルの転回させた術式がただの治癒魔術ではなく、傷や痛みを術者へと転移するものだと気付き慌てて詰め寄った。
「術を解け」
「いいですよ。但し、戻ってからです」
「イグル!」
「自分を傷つけたいならどうぞ傷つけて下さい。但し私の見ている前で、です。勝手に一人で傷つかないで下さい」
両手で顔を包みアークの額へ自らの額を合わせた。
「私が戻るまで大人しく待っていて下さい」
そう言い残し魔術師は家から出て行った。
自らを傷付ければその傷も痛みも術者であるイグルへと向かう。
自殺を図れば死ぬのはアークではなくイグルである。
目を放した隙にバカな真似をさせないようにと傷を転移する術式を掛けていったのだ。
自分はいいが仲間を傷つける事には抵抗を覚えるアークは自傷行為を抑えるために魔物の気配を探る事に意識を集中した。
瞬時に三体の気配が消え、次の瞬間にまた一体が消える。
本来この程度の魔物ならイグルとログの実力を持ってすれば一瞬で撃滅出来る。
そうしないのは……そう出来ないのはこの村が他国だからだ。
他国で大きな魔術を使えば直ぐに兵士が飛んでくる。
余計な問題を起こさないようにと手間がかかるが剣術のみで魔物を倒している。
――数が多い。今からでも自分も行って加勢した方がいいだろうか?
そう思い腰を浮かせるが、直ぐに下ろした。
魔王に捕らわれている間、何度となく試しては失敗した聖剣の召還を試す。
右手に意識を集中させ心の中で呪文を唱える。
だが、いくら念じようとも勇者の証である聖剣が現れる事はなく、自分が勇者ではなくなったのだと改めて思い知る。
情けなさから右の拳を床に叩き付けた。
「クソッ!」
何度も何度も拳を叩きつける。
そうしている間に魔物の気配は一体。また一体と消えていく。
――剣を持たない役立たずの自分が行っても足をひっぱるだけではないのか?
――二人に任せておいた方がいいのではないか?
思考までもが情けなく成り果てている自分に吐き気がして床に突っ伏した。
「クソッ!!」
ザリッ…ザリッ……。
足音が近付くのが聞こえ顔を上げた。
魔物だろうかと扉を凝視していると白い影が飛び込んできた。
月明かりのみなので誰だか分からないが、白い寝巻きを身に付けた髪の長い少女だ。
魔物に追われここに逃げ込んで来たのだろう。
少女は手探りで家の奥に進みアークの元まで来た。
暗がりだったが目前まで来れば顔が識別が出来た。
髪を下ろしてはいるが、スープを作り持って来てくれた少女レイナだ。
レイナは外套の裾を力一杯掴み叫んだ。
「逃げて!」
助けてと訴えられると予想していたアークは少女の言葉に驚いた。
「あなたの仲間が魔物を退治してくれているけど、数が多いから討ちもらしたのがきちゃうかもしれない。ここから少し行くと湖があるの。あの魔物は水が苦手だから湖の中に入っちゃえばあきらめるの。村のみんなも湖に非難しているから後を付いて行けば迷わず行けるからね」
急いでと訴える少女から血の匂いを感じ、小さな身体を引き寄せると膝の上に乗せた。
「失礼」
一応の断りを入れ足首まである寝巻きを膝まで持ち上げると左足の脛を損傷していた。
暗がりで傷の程度は正確には分からないが、出血の具合からかなり深い事が分かる。
イグルによって術を施されている今、その影響で一切の魔術が使えないアークは外套に付いているベルトを抜き取ると少女の足に巻き止血をした。
「ケガは大丈夫だから、早く逃げて!」
少女は逃げ込んだのではない。
助けを求めに来たのでもない。
――俺を助けるために来たのだ。
――小さな身体を震わせながら、真夜中。何十体といる魔物の中を潜り抜けて……。
「王子さま、戦えないなら逃げなきゃ」
アークの名前を知らない少女はあえて王子と呼び、訴えた。
――俺は、戦えないのか?
――聖剣を失いはしたが手も足もあるというのに。
――こんなに小さな少女が戦っているというのに俺は何をやっているんだ。
――俺は……。
――俺は…………。
――俺は………………!!
腕の中の少女を力一杯抱きしめた。
「おうじ……さま!?」
「有難うレイナ」
少女を膝上から下ろすと立ち上がった。
「お陰で目が覚めた」
窓を支える突っ張り棒を手にすると玄関の扉が開いたと同時に投げつけた。
グシャリと耳障りな音に次いで重量感のある物が倒れる音が響いた。
開いたままの扉から二体の影が入ってきたのを見て少女は小さな悲鳴を上げた。
「グルーカか」
全長は百センチ前後。頭部はイノシシに似た二足歩行の魔物である。
「王子さま…逃げて……」
「大丈夫。この程度の魔物なら素手でも倒せる」
安心させるように微笑むと、アークは玄関に立ちはだかる魔物へと向かった。
数体を討ち漏らしはしたものの三人は殆どのグルーカを撃滅した。
アークとログ。そして村人はグルーカの死骸を集めては燃やし、イグルはレイナを始めとし重軽傷を負った村人を治癒の術式で癒していった。
事後処理が終わる頃には夜は明けていた。
「本当になんとお礼を言ったらええのか。有難う御座います」
村長が深々と頭を下げると村人一同も頭を下げた。
「お役に立てて何よりです。それよりグルーカはよく出るのですか?」
「はい」
「そうですか」
イグルは懐から紙とペンを取り出すと必要材料を書き記し村長へ渡した。
「それに書いた材料を混ぜ合わせ団子状にし、村の周りに置いておくといいでしょう。人間には大した事のない臭いですがグルーカには効果覿面です。怯んで近寄らなくなります」
「何から何まで有難う御座います」
「それでは失礼します」
本当なら仮眠を摂ってから出立したい所だが、小物とはいえ数十体の魔物が一夜にして消えたのだ。
兵士が調査に来る事は疑う余地がない。
鉢合わせて面倒な事になるのを避けるため、直ぐに村を出る事に決めたのだ。
三人の背中を名残惜しそうに村人全員が見つめていると、小さな影が飛び出した。
「王子さま!」
アークが足を止め振り返ると少女は駆け寄った。
少女が目の前まで来るとアークは肩膝を付き目線を合わせた。
「行っちゃうの?」
「ああ」
涙汲む少女に対し優しく微笑むと、足首まであるスカートを持ち上げると裾へそっと口付けた。
それは騎士が君主や主人などに忠誠を誓う時に行う動作だった。
何も持たないアークの少女への最大の礼を表した行動にレイナは驚きと感動で硬直し顔を真っ赤に染めた。
「有難うレイナ。君の勇気に俺は救われた。君に出会えた事はこの上ない僥倖《ぎょうこう》だ」
どこか高貴な香りの漂う息を呑むほどの美青年に蕩けるような優しい微笑みを向けられては心を動かされない女性はいない。
すくなくとも今この場には一人もいなかった。
少女を始め、村の女性全てが一瞬にして恋に落ちていた。
少し離れた場所で事の成り行きを見ていたイグルは声を潜め隣に立つログに零した。
「私は篭絡する気で言葉も態度も選び使っていますが、天然は怖いですね」
「……」
「可哀相にあの少女は行き遅れる事になりますよ」
自国ヴェグルにて『何時かアーク様が自分を迎えに来てくれる』と信じ、夢を見ている女性が多くいる事を知っているログは無言のまま天を仰いだ。
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