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山道にて-2-

 アークの只ならぬ様子にイグルは静かに優しく声をかける。 「落ち着いてゆっくり話して下さい」  何時もの凪いだ水面のような顔には何の感情もなく、無機質な人形に見えた。  だからこそ、何を吐露しても許される気がして、アークは口を開いた。 「俺は……」  昂ぶる感情に呼応するように涙が零れ、声が上擦る。 「城で…お前たちに醜態を晒すのは嫌で……我慢ならなかった……。けど、魔王に犯されること事態はなんでもないんだ」  自分の中にある答えを探すように視線を彷徨わせる。 「初めて犯された時は…怒りと殺意で気が狂いそうだった。それから毎晩のように身体をひ……開かされ、その度に隙あらば喉笛を噛み千切ってやろうと思っていた。必死に抵抗して決して奴の言いなりにはならないと抗い続けた。脱出も何度となく試みた」  相槌を打つ事もせずに待っていると言葉は続く。 「けど……失敗して、その度に奴に執拗に責められた。責められたと言っても拷問はされなかった。ただ一晩中犯されるだけで……」  それは十分な拷問だろうと思ったが、イグルは言葉に出さずただ告白に耳を傾けた。 「四ヶ月が経った頃から脱出する事を諦めていた。奴に組み敷かれれば抵抗をしてみせたが、喉笛を噛み千切ろうという気概は失っていた」  それまできつく握り締めていた腕の力が抜け、イグルの腕からずり落ちていく。 「慣れたんだ。……奴に犯される事は日常の一部でしかなくて、嫌なのに逃げられなくて、倒す事は出来なくとも一矢報いる事は出来たはずなのにそれも出来なくて、ただ当たり前のように犯され続けた。恨みも怒りも何も思わずに……」  人として……男として終わっているな――。  そう言い、自虐的な笑みを浮かべ笑う姿を見てイグルは静かに口を開いた。 「私も何も思いませんよ」  言葉の意味が分からずアークは目の前の男を見つめた。 「私が暗殺者だった事は知っていますよね?」  突然の問いかけに、戸惑いながら答える。 「……ああ」 「私は元は貴族の生まれでしてね。貴族の子供は高値で取引されるという事から人攫いに遭い、売られました。本来なら好色ジジイの慰み物になるはずでしたが、私を買ったのは暗殺者集団の幹部でした」  突如語られたイグルの過去に困惑していると、イグルは更に続けた。 「人を騙し欺き陥れ、犯し奪い殺す。そんな外道になるべく育てられました。鬼畜な行いをしても何も思いませんし、犯しても犯されても何も感じません。命令とあればどんな事でも出来ます」 「イグル……」 「嘘だと思うなら何か命じてみて下さい」 「イグル」 「そうですね。森の獣と交わるというのはどうですか? 経験がないので上手く出来るか分かりませんが、出来ますよ」 「イグル!!」  これ以上自身を貶める言葉を言わせまいと力任せに胸倉を掴んだ。 「止めろ!」  声を荒げきつく睨みつけるが、イグルは眉一つ動かさなかった。 「私を軽蔑しますか?」 「するわけないだろう!」 「何故です? 心も身体も魂までも穢れているのに」  表情も声も冷たく、まるで自分自身を蔑んでいる様に見えた。  イグルに自身を貶める発言をさせている過去と自分に腹が立ち声を荒げた。 「お前は穢れてなんかいない。お前がそうあるのはお前の所為ではない。それに過去のお前がどうであったとしても今は全然違うだろう!」 「貴方にも同じ事が言えるのではないですか?」 「な……に?」  突然の切り返しに狼狽えた。 「貴方が今そうあるのは貴方の所為ではありません」 「それは……」 「違いますか?」 「けど……俺はもう魔王に挑めない。心が隷属してしまっていて戦えない」 「無理に戦う必要はないでしょう」 「え……?」 「もう勇者ではないのですから」 「確かに……だが……」 「もし、戦わなくてはいけない状況になったならそれはその時に対策を考えればいいじゃないですか」 「……」 「もうこれ以上自分を追い詰めないで下さい」  無表情だが優しい声音で諌められ、反論する事が出来ずに俯いた。 「アーク」  呼ばれ顔を上げると端麗な顔が近付いた。  一瞬、何が起きたのか分からなかったが、直ぐに唇が重ねられたのだと理解し身を引く。 「何故逃げるのですか? 何も思わないのでしょ?」 「それは……」  答え終わる前に細く長い指に顎を掴まれ再び唇を塞がれた。  慌ててイグルの身体を押し退けると、その反動で川へ倒れ込んだ。  何故突然イグルが自分に唇を重ねてきたのか、訳が分からず混乱しながら身を起こし、訝しげに見ると目の前の男は感情のない顔で見つめ淡々とした口調で言った。 「ちゃんと抵抗を覚えているではないですか」 「な……に?」 「本当に何も思わない人間は避けたり逃げたりしませんよ」 「イグル……」 「大丈夫。貴方は私とは違いますよ」  声にも表情にも感情の色は見えなかったが、言葉に悲しい響きを感じ、陰鬱な面持ちで見つめていると手を差し出された。 「そろそろ戻りましょう。ログが心配しています」  掴むと引き起こされ、何か声をかけようと口を開くが上手く言葉が出てこず、顔を曇らせているとイグルは笑みを作った。 「そんな顔をしないで下さい。私は何も感じない自分を気に入っているんですから。そんな事より……」  掴んでいた手を引き寄せられ、身体と身体が密着するほど近付くと耳に顔を寄せられた。 「口付けをした事はログには秘密ですよ。知られたら殴られてしまいます」  ふふふっ――悪戯ぽく笑うとイグルは身体を離た。  アークの手を引き川から上がると、二人でログの元へと向かった。

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