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空の上-1-
荷物の積み込みが完了し次第出発の為、艇内で食べる食料を買うと直ぐに三人で待ち合わせ場所へと向かった。
暫くすると先程の男が現れ、ログを見ると感嘆の溜息を吐き、次いでアークの腕にしがみ付くようにしている少女を見た。
アークとレイナを見比べ口を開いたものの、余計な事に首を突っ込む事をよしとしなかったのかそのまま閉じ、三人を飛空艇へ案内した。
乗る予定だった旅客用飛空艇に比べ半分以下の小型の飛空艇だった。
男が言っていた通り年季が入り古びてはいたが手入れがきっちりされている事はシロートの目から見ても明らかだった。
男に付いて飛空艇に乗り込むとまず操縦室へと案内された。
扉を開けると日に焼けた顔に深い皺を刻んだ無口で無愛想な五十代の男とやはり日に焼けた肌に満面の笑顔を浮かべた愛想の良い二十代の男がいた。
「年食っている方が親父のガース。で、若い方が弟のウタ。そんで俺はラーイだ」
アークが挨拶をするとガースは一瞥くれただけで一言もなく、代わりにウタが三人を歓迎する言葉を並べた。
船長らとの挨拶が済むと次にトイレと三人が使う部屋へ案内をした。
「この部屋を使ってくれ」
左右の壁に二段ベッドが一つずつ固定され奥の壁に小さな机と椅子が備え付けられているだけの簡素な部屋だった。
「トイレとこの部屋以外は立ち入り禁止。カルネには明日の昼に着く予定だ。何か質問は?」
「甲板も駄目かな?」
「ん?」
「この子に飛空艇からの景色を見せてあげたいんだ」
「それならそこの階段を上がれば出れる」
ラーイが指し示した方を見ると人一人が通れる程しかない幅の狭い階段が見えた。
「甲板に出るのは構わないが、落ちないように気を付けてくれよ」
アークが謝辞を述べログが頭を下げるとラーイは部屋を後にした。
扉が閉まると同時に少女は盛大な溜息を吐いた。
「疲れたー」
「お疲れ様」
アークは少女を椅子に座らせると自分はベッドの縁に腰を掛けた。
「王・・・おに・・・ぃ・・・さま。私ちゃんと妹できてた?」
「ああ。完璧だ」
「本当?」
「ああ」
アークに褒められ、喜びから少女は両手で顔を覆うと両足をバタつかせた。
少女の素直で可愛らしい反応にアークは顔を綻ばせる。
それを見て「うひゃ」と奇妙な声を上げ、更に足をバタつかせた。
騒ぐ気持ちを誤魔化す様に質問をする。
「おう・・・おにぃさまの国はカルネなの?」
「いや、カルネのもっと先だ。リームから出ている飛空艇はカルネまでしか行けないからカルネで別の飛空艇に乗り換えないといけないんだ」
「そうなんだ」
少女が次の質問をしようとしたその時。飛空艇が離陸を開始し揺れた。
少女がバランスを崩し椅子から落ちそうになるのをアークが受け止めた。
「大丈夫か?」
「ありがとう」
二人の様子を複雑な気持ちで黒い騎士は見つめていた。
『守るべき対象が居ればあれは自分を強く持てます』
イグルの言葉の通りだ。
少女の前では以前の・・・魔王に捕らわれる前の騎士アーク・エス・ノエルの姿でいる。
だが、それはそうあろうと無理をしているだけの事だ。
傷が癒えた訳でも忌まわしい記憶が消えた訳でもない。
気を張り、自分を奮い立たせ、騎士である自分を演じている。
張り詰めた糸は何時切れるとも知れない。
少女に優しく接する度、微笑む度にその姿が痛ましく、何も出来ない不甲斐ない自分を呪うしかなかった。
アークを質問攻めにし、一通りの情報を得た少女はトイレに行くと断り、立ち上がった。
「一人で平気か?」
「うん」
立ち上がり少女の為に扉を開くと、後姿を見送った。
次の瞬間アークの身体が傾き、ログは慌ててそれを支えた。
「アーク様!」
「情けないな」
自嘲気味に笑う。
笑えるような精神状態でないのに笑う。
大丈夫だと。心配は要らないと言う様に。
常に自分より人を優先する姿に胸が痛み、無意識に手に力が入った。
「無理をしないで下さい」
「だい・・・じょ・・・」
力なき微笑が消えると同時にアークは意識を手放した。
「アーク様! アーク様!」
声は控えていたが必死に名を呼んでいると、扉が開かれた。
少女は顔を青くし、立ち尽くしている。
「王子さまどうしたの?」
「なんでもない。溜まっていた疲れが出ただけだ」
ログはアークを抱き上げると二段ベッドの一段目に寝かせた。
「寝れば治る?」
アークやイグルの様に柔らかい笑顔を作れない黒い騎士は硬い表情のまま頷いた。
少女はベッドへ近付き腰を下ろすとアークの手を取り額に当て目を閉じた。
「元気になってね」
祈るように何度も呟いた。
大丈夫だから空いているベッドで寝るように言ったが、アークから離れようとしない為、ログは少女をそのままにした。
少女自身も一日に色々な事が起こり疲れていたのだろう。
手を握ったままの状態で程なくして眠りに落ちた。
見張る対象の二人が眠りに付いた為、黒い騎士は扉近くの壁に背中を預ける形で座り込み、目を閉じた。
仮眠のつもりで居たがいつの間にか深い眠りに付いていたログだが、気配が動くのを感じ目を覚ました。
見ればアークは上半身を起こし、自分の手を握ったまま眠っている少女の頭を撫でていた。
そっとベッドから降りるとそっと少女を抱き上げ、自分が寝ていたベッドへ寝かせるとそのまま扉へと近付いた。
黒い騎士と目が合い「用を足してくる」と断り出て行った。
付いて行くべきだろうかと腰を浮かすが、気配が真っ直ぐとトイレの方へ向かうのを感じ、思い直す。
暫くして気配が部屋に近付いて来るのを感じ、扉が開かれるのを待った。
だが、気配が途中で進路を変えたのを感じ慌てて扉を開くがアークの姿は何処にもなく、気配を辿り甲板へと続く狭い階段を駆け上がった。
重く硬い扉を開くと暗闇の中、甲板に設置された照明に照らされ人影が見えた。
考えるより先に身体が動いていた。
数メートル先の人影へ突進し、そのまま羽交い絞めにした。
「ログ!?」
身を捩じらせ逃れようとする。
「放せ」
「お断りします」
闇に捕まり崖から落ちていった時の姿が頭を掠め腕に力が入る。
二度とあんな思いをするのはごめんだとアークの言葉を無視し、力ずくで艇内に連れ戻そうとする。
「待て・・・」
「お断りします」
全く取り合わないでいるとログの脚へ自らの脚を絡ませる事でバランスを崩させた。倒れた拍子に拘束が緩み、その隙を突いて腕から逃れ様とするが腕を掴み強引に引き戻す。
ログの上に重なるようにして倒れ込み、距離を取ろうと身体を起こそうとするがそれすらも許さないと言わんばかりに掴んだ腕を引かれる。
「待て、ログ。落ち着け! お前は勘違いしている!」
「何がです」
「取り合えず腕を放せ」
「お断りします」
腕力だけならログの方に分がある。
抵抗するだけ無駄だと諦めたアークは、手足の力を抜くとそのまま鋼の様な胸に身体を預けた。
ぐったりとしたまま全く動かなくなり、もしやまた意識を失ったのではないかと心配になり慌てて名を呼ぶ。
だが返事はなく、何度も呼び続けていると返事の代わりにアークの身体が小刻みに震え出した。
笑っているのだ。
「ログ。お前、心配性だな」
「アーク様・・・」
「レイナの事があるのに勝手に死んだりしない。俺はただ星を見に来ただけだ」
「は? 星?」
「右腕だけでいいから放してくれ」
言われた通り右腕を放すと身体を起こし、ログの左側へ並ぶようにして仰向けに寝そべった。
「星を見るのが好きで毎晩空を見上げていたのは知っているだろ?」
「はい」
「何処で見る星も同じはずなのに魔王の城で見た星は綺麗だと思えなかった。城を出てからは下ばかり見ていて空を見る事をしなかったから・・・」
星を見て綺麗だと感じるかどうかを確認しに来たのだと寂しい声で呟いた。
身を起こしアークを窺い見る。
表情には何の色もない。
つまらない物。興味のない物でも見ているかの様だった。
どう見えているかを聞く事が出来ず、押し黙っていると不意に質問が投げかけられた。
「今日の・・・もう昨日になるかもしれないが、俺はちゃんと騎士アーク・エス・ノエルになれていたか?」
「・・・はい」
「そうか。それは良かった」
その声には安堵と共に悲しい響きが感じられ、黒い騎士は顔を歪め唇を噛み締め無言のまま見つめるしか出来なかった。
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