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其処は-1-

 目を開くとそこは何処でもなかった。  以前、国の高位魔術師数人で転移の術式を発動させ術の固定に失敗し、留まった事のある空間。  モザイク状に組み合わさった複数の色が所々で薄暗く光り、天と地がない為、自分が立っているのか倒れているのかも分からず、奇妙な感覚を覚える。  魔の口に飲み込まれた瞬間に発動中の術式は解かれたのだろう。  甲板に突き刺していた甲殻鎧《こうかくがい》の剣は消滅し、飛空艇と離れてしまったようで、見渡す限り飛空艇の姿は見えない。  ここではない何処かへ飛ばされてしまったに違いない。  何処までも広がる空間にはアークとレイナの二人が居るだけで、魔物はおろか草木などの生命を持つものは何一つとして存在していない。  限りなく静かで寂しく薄気味悪さを覚える。  その静寂を払うように声が響いた。 「ここ、どこ?」  少女の声には驚きと恐れが入り混じっている。  どう答えたものか一瞬迷ったが、正直に答える事にした。 「ここは異空間だ」 「いくうかん?」 「ああ。時と時の狭間。何処でもない場所だ」  アークの脚にしがみ付いたままの少女は難しい顔で首を横に捻った。  明らかに理解できていない少女にどう説明したものか考える。 「うーん。レイナが生きている世界と今居る空間は全く違う法則で成り立っていて・・・」  少女の眉間の皺が更に深まる。 「えっと、つまりだな。例えばレイナの住む世界の一日が二十四時間なのに対してこの空間の一日は永遠なんだ」  小さな村には学校はなく。読み書きなど生活に必要な最低限の知識は教えられているが時間や空間などの概念に触れた事のない少女にはまるで理解ができない。  皺を刻み続ける少女に対してアークは困ったような笑顔でもって最も簡単な説明をした。 「ここはレイナの住んでいる世界とは別の世界で、この世界には時間という概念がないから、どれだけ長く居てもお腹は空かないし、年も取らないんだ」 「えっ!? お腹空かないの?」  余程食べる事が好きなのか、少女は残念そうな顔をして見せた。  余りにも悲壮な表情にアークは思わず笑ってしまった。  笑われ、恥ずかしさからアークの脚に顔を埋める形で顔を伏せた少女の頭を優しく撫でる。 「ここを出たらレイナの好きな物を一緒に食べに行こう」  アークの言葉に驚きと期待の入り混じった顔で見上げた。 「え? 出れるの?」 「勿論だ。村で俺と一緒に居た銀髪の男を覚えているか?」 「白銀の王子さまだね」 「ああ。あいつは魔術師なんだ。あいつが召還術で呼んでくれさえすれば簡単に出られる」 「そうなんだ! すごい!」 「それでだな。召還術には呼び出したい者の身体の一部が必要になる。痛いかもしれないが髪を何本か抜いて俺のズボンのポケットへ入れてくれないか?」 「私の髪の毛を?」 「俺の髪は常にあいつは持っている。俺とレイナはベルトで括り、お互いにお互いの身体を掴んでいる為、一つの個として認識されているから召還術でも俺が呼ばれれば自動的にレイナも向こうに戻れるはずなんだが・・・。不測の事態が起こるかも知れないからな。念の為だ」  話はよく分からなかったが、帰るには自分の髪の毛が必要だと理解した少女は一度に複数を抜くと痛そうなので、一本ずつ抜き三本の髪をアークのポケットへと入れた。 「ありがとう」  これで、召還時に逸れたとしても少女を呼び出す事は出来る。  問題はイグルが何時気が付くかだ。  魔の口へ飲み込まれるところを見ていた訳ではない。ヴェグル国へ戻りアークたちが帰っていない事を知り、初めて探し始めるだろう。  リームからコーネロを経てヴェグルへ着くのに最短で二日間。  もしも飛空艇が打ち落とされた事でリーム全ての飛空艇が休航となっていれば、もっとかかるだろう。  アーク自身はいい。異空間に放り出された経験も捕虜となった場合を想定し何もない部屋で過ごす訓練も受けている。  だが、少女はこの無の空間にどれだけの時間耐える事が出来るだろうか?  幸いと言って良いのか、二人で居る為話をする事が出来る。  それだけでもだいぶ精神の安定がはかれる。  だが、それも長くは続かないだろう。  せめて少女を眠らせる事が出来れば、話は変わってくるのだが。  時間と言う概念がない為、それも出来ない。  全く異なる理で動いている世界で新しく術式を組み立てる事の出来ない己の無力さに打ちひしがれていると、少女の悲しげな視線に気付き不安にさせまいと笑顔を向けた。 だが、少女は表情を晴らさずに呟いた。 「黒の王子さまと艇《ふね》の人達大丈夫かな?」  自分自身が大変な状況だというのに他者を心配し、心を痛めている。  危険を顧みず魔物の中を潜り抜け自分を助けに来てくれた時といい、今といい少女の優しさに心が振るえ、絶対に無事に連れ帰ると固く心に誓った。  その時。  何かに引っ張られる感覚に襲われ、逸れないようにと少女を掴む手に力を込めた。  誰かが呼んでいる!?  イグルが気付いたにしては早過ぎる。  なら、一体誰が?  答えは出ないままに召還術特有の不愉快な浮遊感に包まれた。

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