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其処は-2-
吐き気を伴いながら目を開くと壁を背にし、タイル張りの床に横たわっていた。
見れば、少女は召還時のショックでか意識を失っている。
視線を動かし辺りを窺うが、見渡す限り人気はない。
そっと身体を起こし改めて辺りを見渡すが、全く見覚えのない場所だった。
長さ約二十メートル。幅九メートル。高さ約五メートルの部屋は石造りであり、冷たい印象を受ける。
天井、壁、床に設置されている明かりで明度は十分に確保されているが薄暗い印象は拭えない。
壁には肖像画や絵画の代わりに剣・槍・戦鎚・弓などのあらゆる武器が壁一面に飾られている。
部屋の奥へ目を向けると中央から左右に赤いカーテンが分かれ、その真ん中に三つの段があり、一番上の段に金箔が施された赤い張り地の重厚な椅子が置かれている。
建物の作りも部屋の雰囲気も何もかもアークの知るそことは違うが、重苦しい空気と全身を騒がせる危険なニオイから分かる。
ここは・・・。
魔王の城だ・・・。
まずい!
気付かれる前に早く脱出しなくては!
アークは急ぎ自分と少女を繋いでいたベルトを外すと少女を抱き上げた。
地下に設けられた部屋なのか窓が一切無い。唯一の出口である扉へと一歩を踏み出した。
だが、その時。
無慈悲にも重厚な扉は開かれた。
魔王或いは眼帯の魔物が現れる事を予期し身体を強張らせる。緊張からドクドクと心臓が早鐘を打ち付けた。
だが予想を裏切るように扉の向こうから姿を現したのは見ず知らずの少年だった。
身長は低く百五十センチもなく、黒くさらさらのショートヘア。紅玉の目。目鼻立ちの整った美少年だ。
少年は期待と興奮に満ちた笑顔でもって入って来たが、アークの姿を見るなり表情を曇らせた。
「なんだ。元勇者か」
明らかに落胆して見せた。
「勇者が来るように祈っていたから、願いが叶ったのかと思ったのに。残念」
そう言うと、少年は似つかわしくない嫣然とした微笑を浮かべ、蔑むような目で見た。
「僕、便所を共有する気ないんだよね」
言葉が何を意味しているかが分かり、アークは怒りと羞恥心から頬を引き攣らせた。
「それにこのいけ好かない臭い。君、ゼクスの玩具でしょ?」
ゼクスーー。
それが何を意味するかを考え、一瞬視線を彷徨わせると、少年は噴出した。
「あはっ! もしかして君、自分を犯しまくった相手の名前を知らなかったの?」
愉快そうに笑い更に続ける。
「そんなに臭いが染み込むほど、長い間体液を注がれたのにね」
思い出したくも無い事を突きつけられ、アークは顔を顰めた。
「君を犯したのはゼクス。西の魔王ゼクス」
西・・・?
その言葉に引っかかりを感じていると少年は続けた。
「そして僕は東の魔王シスだよ」
東の・・・魔王・・・。
世界に魔王は一人だけだと国で教えられてきたアークには、少年の言葉を直ぐに受け入れる事は出来なかった。
だが、目の前に居る少年を改めて見てみる。
闇を纏った黒髪。血のような赤い眼。禍々しい存在感。そのどれもが自分の知っている魔王と同種ものだ。
受け入れようが、受け入れまいが目の前に魔王が居る。
自分の知る魔王とは全く異なる魔王が。
アークは全身から汗が噴出すのを感じた。
「ゼクスに飽きて僕の所に来たのかな?」
どうする?
どうすればいい?
「僕の好みは自分最高・最強って勘違いしているバカな勇者を人格崩壊するほど可愛がってあげる事なんだ」
戦うのか?
戦って何になる。
聖剣を持たない人間が魔王に挑んでも無意味だ。
そんな事この半年の間に嫌と言うほど思い知った。
斬ろうが刺そうが・・・。例え八つ裂きにしようとも息の根を止める事は出来ない。
何故なら。
魔王は・・・
不老不死なのだから・・・。
「君ってば何を突っ込まれても盛りの付いたメス犬の様に腰を振って喜ぶんでしょ? 僕そういうの要らないんだよね」
侮蔑を含んだ声と言葉に奥歯を噛み締め耐えた。
怒りを覚えたとしてもそれを晴らす術は無いのだから。
どんなに口汚く罵られようとそれを受け入れる以外ないのだ。
「やっぱり遊ぶなら穢れ無き純潔の勇者だよね。君もそう思うだろ?」
問われたが、この場をどう切り抜けるかを模索しているアークはただ無視するだけであった。
少年は肩を竦ませると「つまらない人」と零し、身体を預け扉を塞ぐように凭《もた》れた。
唯一の出口を塞ぎ、アークがどういう行動に出るのかを見ているようだ。
相手が人間或いは魔物程度であれば戦う事も出来た。
だが、半年もの間刷り込まれた敗北はアークから魔王への闘争心を奪っていた。
自分の無力さを痛感していたアークは膝を折った。
少女を抱えながら座るような形で床に脚を着き「見逃してくれ」と頭を垂れた。
「此処には間違えて来ただけだ。楯突く気はない」
この通りだと額を床に擦りつける様にして頼み込んだ。
どんな不当な要求でもこの場で済む物なら受け入れる覚悟だった。
もう二度と捕らわれたくない。何よりも少女を連れ帰らねばいけない。
靴にキスをしろと言うならする。足の裏を舐めろと言うなら舐める。身体を開けと言うなら開く。
だからどうか見逃してくれと祈った。
「いいよ」
少年から発せられた言葉の意味が分からずアークは顔を上げられなかった。
「壊れた玩具に用はないよ。帰りたければ帰れば?」
言葉を理解し顔を上げると、少年は扉から身体を離し、扉を開き出口を示した。
帰れる。
何事も無くこの場を後に出来る。
信じられなかったが、一刻も早くこの場を去りたいと思っていたアークは片膝を立て、立ち上がろうとした。
「但し、その手の荷物は置いて行ってね」
荷物・・・。
「知ってる? 処女の生き血って美味しいんだ」
少年は彷彿とした表情で言い放った。
レイナを置いて行けば帰れる。
戦わずに済む。
捕まらずに済む。
「荷物を置いて行けば皆が幸せになれるよ」
幸せに・・・?
「君は家に帰れる。その娘《こ》は人生の辛さも知らないまま死ねる。僕は美味しい血が飲める。ね? 良いと思わない?」
戦ったとしても勝てない。
敗北し捕まればどの様な目に遭うか分からない。
ならいっそ・・・。
力強く抱きしめていた腕の力を抜いた。
少女をそっと床の上に下ろすとふらりと力なく立ち上がった。
顔は下を向き、肩はダラリと垂れ下がり、まるで糸の切れた傀儡人形のようにフラフラと少女から離れ、後ろ向きのまま下がると直ぐに壁に行き当たった。
「すまない・・・」
小さく消え入るような声で謝罪した。
そして力無き腕を壁に這わせると、剣を抜き取った。
ゆっくりと持ち上げられた顔には先程までの暗く力無き瞳ではなく、強い意志と闘争心が篭った瞳があった。
聖剣が無ければ倒す事は出来ない。
戦っても勝て無い。
無駄だ。
無意味だ。
…だが、それがどうした?
剣を構え、挑むように見据える元勇者を見て、少年は顔を綻ばせた。
「良いねその顔。歪ませたくなるよ」
魔王は今にも舌なめずりしそうな残虐な笑みを浮かべ、体内に収蔵していた魔剣を右腕から出現させて言った。
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