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其処は-9-

 アイボリーを基調とした部屋にはベッドやテーブルなどの家具の他、壁の絵画や生花。部屋の隅に置かれていた観葉植物など何もかもアークが監禁されていた時と変わらずにきれいに整えられていた。  アークが戻る事を見越してか新たに何者かを迎え入れる為にか、目の前の魔物が手入れをしていたに違いない。  眼帯の魔物を注視するが、初めて会った時と変わらず敵意も害意も悪意も感じられない。  魔王の慰み者と蔑視する事もなければ人間風情と貶めるような事もない。  それどころか親しい友人のように接してくる。 「床に座っていると身体を冷やしますよ」  にっこり微笑み、差し伸べられた手をアークは払い除けた。 「魔王の魔力核が発動していますが、それ程の強敵と遭遇しましたか? それとも魔王の魔力核でなければ戦えない場所にでも行きましたか?」 「・・・・・・」 「例えば他の魔王に会ったとか?」  僅かな表情の変化から答えを得た眼帯の魔物は微かに笑った。 「その消耗の度合いから言ってシス辺りですか?」 「・・・・・・」 「あれは残虐性は高いですが、ゼクスに比べれば弱いですからね。何とかなったでしょう」 薄く笑う魔物に苛立ちを感じ歯噛みし、睨み付ける。 「貴様には関係ない事だ」 「つれないですね。半年もの間濃密な時間を過ごした間柄なのに」 「黙れ」  今居る場所と魔物の言葉で半年間の屈辱的な日々が頭を過ぎり、憎しみと怒りで黒い影が身体を這い巡り侵食していく。  胸はドクドクと大きな鼓動を上げながら全身へ殺意を送り出す。  今直ぐにでも飛び掛り、首をへし折りたい衝動に駆られるが、理性でそれを押し留める。  殺す事よりも先にする事がある。  確かめねばならない事が・・・。 「レイナは何処だ」 「レイナ? それは貴方が抱きしめていた少女ですか?」  訂正が入らない事を肯定として受け取った眼帯の魔物は素直に質問に答えた。 「少女なら私の管理する野菜農園に寝かせていますよ。あそこは野菜を育てるために結界で区切りこの城で唯一清浄な場所ですからね」  邪気に当てられ具合を悪くしていた少女を気遣っての処置に僅かに安堵すると同時に人質に取られている現状に怒りと焦りを感じる。 「返せ」  そう言われて人質を解放する者が居ない事など分かってはいても言わずにはいられない。  だが、魔物からは予想外の答えが返ってきた。 「構いませんよ」  先の少年魔王との事があるため言葉をそのまま受け取る事が出来ず、その代わりと後に続く事を予期し身構えていると予想通り言葉が続けられた。 「でも、今の貴方に少女を渡して大丈夫でしょうか?」  思わせぶりな言い回りをしているが、ようは返す気は無いのだろ?  俺を繋ぎ止める為、甚振る為の材料として使うのだろう?  ならば・・・・・・。  明らかに気配を変えたアークに対し眼帯の魔物は笑みを浮かべたまま続ける。 「気付いてますか? 貴方今、酷い顔をしていますよ?」  残忍さを秘めた微笑を顔に張り付かせたアークは術式を展開させ甲殻鎧《こうかくがい》の剣を作り出すと眼帯の魔物へと襲い掛かった。 鋭い突きであったが魔物は洗練された動きでそれを難なくかわす。 「今日は積極的ですね。まるで城に来たばかりの頃のようだ」 言葉の代わりに剣を向ける。死角である右側を容赦なく攻めるが空を斬るだけで掠りもしない。 「まるで手負いの獣ですね」  息つく間も惜しみ繰り出す攻撃。 「生への執着と目の前の敵を排除するという本能のみ。獣《けだもの》じみた貴方も良いですが・・・・・・」  首を狙い右から水平に走らせた剣を眼帯の魔物は避け、身体が流れたところを押し、バランスを崩させると隠し持っていた手枷をアークの両手首へと嵌めた。  手の自由を奪われたものの、体制を立て直し再び剣を向けようとするのを手枷に繋げられた鎖を引き、崩すとすかさず甲殻鎧《こうかくがい》の剣を蹴り上げると、梁に鎖を通し一気に引き上げた。  辛うじてつま先で立って入るが粗宙吊り状態のアークへ足枷を嵌める。 「私としては品性高潔な貴方の方が好みです」 「殺す!!」  目を血走らせ、鎖を引き千切らんばかりの勢いで身体を揺らし喚き散らす。 「殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す!」  筋肉強化の術式を展開させ無理やり枷を壊そうと試みる。  ギシギシ。ギギギ・・・。  血管を浮かび上げ鼻血を垂らしながら踏ん張るが手枷は軋みながらも罅《ひび》一つ入る事はなく、魔力切れとなった。  大きな呼吸を繰り返し喘いでいると鎖が緩み、床に足が付いた途端に膝裏を蹴られ崩れるようにして座り込んだ。  髪を鷲捉まれ後ろに引かれると口が僅かに開き、そこへ親指を捻じ込まれる。  下顎を下ろす様にし口を開かせると眼帯の魔物は口付けた。  体内に熱の塊を流し込まれるような感覚。一気に全身へ熱が伝わり急激に冷め、身体中を這っていた影がなりを潜めると同時に頭を支配していた憎悪と憤怒は徐々に薄れて行った。 「少しは頭が冷えましたか?」  自身の袖をあてがい鼻血を拭いながら優しく問うが、凝視するだけでアークは答えない。 「魔王の魔力核が発動した時点で闇に呑まれ、我を失うものですが流石の精神力ですね。今ならまだ人に戻れますよ。もう少し頑張ったらどうです?」 「・・・何を企んでいる?」 「企む?」 「貴様らはもとより俺を魔族にするつもりだったのだろう」  低い声で問うと魔物は鼻で笑った。 「まさか。貴方を魔族にするつもりなら何時でも出来ましたよ。魔力核を埋め込み、発動されるのを待つなんてまどろっこしいまねはしません」 「なら・・・」  何故、魔力核を埋めたのか。  声にしていない疑問を汲み取ってか眼帯の魔物は答える。 「貴方を死なせないためですよ。二ヶ月程前から貴方の目から光が失せ、それでも必死に生にしがみ付いていましたが、人はふとした拍子に生を手放す事がありますからね。自殺防止の為です」  何故・・・? 「魔王《あれ》は魔王《あれ》なりに貴方を思っていたのですよ」 「ふざけるな!!」  人の意思を無視し、心を踏みにじり自らの欲望を満たすための道具として扱っておいて何をぬかすか!  思っていただと!  誰がそんな言葉を信じるか!  殺気の篭った目で睨め付けられ眼帯の魔物は眉根を寄せた。 「信じられないのも無理ないですね。魔王《あれ》は最低最悪の男ですから」  薄く笑うと「話を戻しましょう」と言った。 「まだ完全に魔族へ落ちていない今なら魔王の魔力核を取り出す事ができます。人間の側に居たいのなら気をしっかり持ちなさい」 「俺に命令するな!」 「命令ではなくただの助言です。正直、貴方がこちら側に来ようと人間側に留まろうとどちらでも構いません。全ては貴方の気持ち次第」  俺の気持ち次第・・・・・・。 「帰るのでしょ?」  帰る・・・。  レイナを連れ帰る。  自国に帰り、異空間を彷徨っているだろうログと船員達を救出しなくてはいけない。  皆に礼と謝罪をしないといけない。  やる事がある。  帰らなくてはいけない。  帰らなくては・・・・・・。  狂気を宿しかけていた瞳に冷静さが戻ったのを見て魔物はアークの頬を優しく撫でた。 「そのまま貴方らしさを保っていて下さい」 「・・・お前が魔力核を取り出すのか?」 「私にそんな力はありません。取り出せるのは魔王自身か魔法使いです。貴方の国にも魔法使いの一人くらいは居るでしょ?」 「ああ」 「なら気をしっかり持って自国まで辿り着ければ大丈夫」  自国まで・・・。  距離を考え目を伏せると魔物は笑った。 「心配しなくとも魔獣を貸してあげます。魔獣《それ》に乗れば三日で着きますよ」  そう言い立ち上がるとアークへ背を向けた。 「何処へ行く?」 「今日はアップルパイを焼いたんです」 「は?」 「道中レイナと一緒に食べて下さい」 「待て! 枷を外して行け!」 「外したらアップルパイを受け取らないまま出て行くでしょう?」 「そんな事は・・・」 「運良く明日まで魔王は城に戻りません」  城に居ない・・・。 「ですから安心して待っていて下さい」  悪戯っぽく微笑むとそのまま眼帯の魔物は部屋を後にした。

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