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其処は-15-
「冗談ですよ」
悪戯ぽい笑みでそう言い、手にしていた着ぐるみをクローゼットへ戻すとタオルを投げて寄越した。
アークはそのタオルで身体を拭くと、魔物は白色の部屋着を差し出した。
それを奪い取るように受け取り、着替える。
「無茶はしませんでしたが、足腰は大丈夫ですか?」
「煩い!」
「その部屋着。私の手作りなんですが、いかがです?」
「最低だ!」
一向に目を合わせようとしないアークの態度に肩を竦める。
「そんなに毛嫌いしなくてもいいじゃありませんか。私たちは同じ魔力核を持つ兄弟のようなものなんですから」
――気持ちの悪い事を言うな!
――誰が兄弟だ!!
心の中で吐き捨てていると、言葉に引っかかりを覚えた。
――なんだ?
思考を巡らせる。
――同じ魔力核・・・。
――兄弟・・・。
言葉の意味を探るように魔物を見つめるが、そこには何時もの妖しげな微笑があるだけで答えは得られない。
何故目の前の魔物が魔王の魔力核を持っているんだ?
魔物は何処かで人知れず生まれ、転移してくるのだと聞いていたがそれは間違いで魔王が生み出しているのだろうか?
だとしても、魔王が自身の魔力核を分け与えるものだろうか?
引っかかりを解消すべく頭を悩ませていると、魔物は部屋の端に置いていた荷物を幾つか持ち、アークへ手を差し伸べた。
「行きましょう。レイナが待っています」
そう言われ、抵抗を覚えながらも選択の余地は無いと諦め、手を取る。
転移術式が展開され視界が瞬時に変わり、野菜農園へと移動した。
そこは魔王城とは思えぬほど澄み切った場所だった。
色とりどりの野菜や果物がたわわに実っている。
手を引かれ農園の奥へ進んでいくと赤い実をたわわに実らせた林檎の木の下にレイナの姿があった。
「魔王城へ来た記憶など無い方がいいですからね。術式で眠らせておきました」
繋いでいた手を離し、レイナへ駆け寄る。
健やかに眠る姿に胸を撫で下ろし抱き上げようと身を屈め手を伸ばすが、魔物と交わったばかりの身で触れる事に抵抗を覚え、身を引いた。
固まったまま動こうとしないアークをよそに眼帯の魔物はレイナを抱き上げると有無を言わさずアークの背に乗せ紐で括り付けた。
「何と交わろうと貴方は貴方ですよ。貴方が自分を見失わない限り穢れる事はありません」
「お前に言われたくない」
「なら帰ってイグルにでも言って貰いなさい」
魔物の言葉に歯噛みし、不快と怒りの眼差しを向ける。
すると大きな紙袋を突きつけられた。
「はい。アップルパイ」
「は?」
「今日のは格別良い出来なんですよ。それと昨日焼いたクッキーも入れておきましたんで皆さんで分けてくださいね」
有無を言わせず袋を持たせ、更に空いている方の手に小指サイズの銀の筒が付いたペンダントを握らせた。
「これに私の髪が入っています」
何のつもりだと魔物を見る。
「私の味が恋しくなったら呼んで下さい。魔王に内緒で届けますから」
何を企んでいるのかと表情を探るが魔物の微笑からは何も読めない。
「ああ、呼ぶには名前もあった方がいいですよね?」
名前。
そんなものがこいつに有っただろうか?
魔王は何時も眼帯の魔物を「おい」或いは「お前」と呼んでばかりいた為、直ぐには出てこない。
だが、以前確かに耳にした事がある。
あれは・・・・・・。
「貴方が知っている名は魔王に下賜されたもので本当の名ではありません」
アークの表情から記憶を探っていると判断し、訂正を入れた。
「私の本当の名はフェイ・アルド・ノース」
引っかかっていたものが解けた。
魔王城にいる者は全て魔物だと信じて疑わなかった。
だが、そうではなかったのだ。
現に東の魔王シスのところに人間が居た。
囚われていたわけではなく、自らの意思で。
目の前の男もそうなのだろう。
――兄弟。
俺と同じ立場にあった者。
魔王に挑み破れ、人ならざるものに身を落とした者。
それが目の前の男。フェイ・アルド・ノースの正体。
「真名は・・・」
「真名って・・・」
真名。
それは魂に刻まれた名であり、他者に知られれば強制的に絶対的主従関係を結ばれる危険なものだ。
知られてはいけない。告げてはいけない。そんなものを何故・・・。
「知っていれば安心して私を召還《よぶ》事が出来るでしょ?」
「そんなものを知っていようがいまいが、お前を召還《よぶ》事はない!」
ペンダントを地に叩きつけようと腕を振り上げるが、男よって阻まれる。
「情報は多いに越した事はありません。今日の敵は明日の友ですよ」
握られた腕が動かない。
「ウルディウス--。それが私の真名。しっかりと記憶に刻んで下さいね」
「必要無い!」
「人生何があるか分からないですよ」
予言めいた言葉に胸が波立つ。
「何を・・・企んでいる」
「何も」
「なら何故・・・!」
不意に男の顔が近付き、唇を重ねられた。
顔を逸らし男の唇から逃れると、男は耳元で囁いた。
「この後押し倒されたとしても真名を知っていれば簡単に退かせる事が出来るでしょ? ふふっ」
男は掴んでいた腕を放すと悪戯っぽく笑った。
「それでは名残惜しいですが心の雪解けも済んだ事ですし、お別れですね」
――何時心の雪解けをしたというんだ!
「目的地の座標計算は出来ますか?」
「出来たらなんだというんだ!」
「そうですか。それでは陣を地に書きましょう」
「は?」
「転移の術式を発動させるのは初めてでしょ? もし、間違えでもしたら大変ですからね」
指図される覚えは無いが、男の言いは尤もなのでその場にしゃがみ込み、大人しく陣を書いていく。
複雑な座標計算を書き記したところで顔を地に向けたまま、ずっと気になっていた事を男に問う。
「何故そちら側へ身を落とした?」
「肌を重ねて情が湧きましたか?」
声と言葉にからかうような響きを感じ、顔を上げ睨みつける。
男は嫣然と微笑みながら膝を折り、アークと目線を合わせた。
「催眠の術式を解いたので急がないとレイナが目を覚ましますよ」
言われ、アークは目線を男から地へ移し、止めていた手を再び動かし陣を書いてゆく。
「助けは来なかったのか?」
「そうですね」
「逃げる事は出なかったのか?」
「そうですね」
「もう遅いのか? 今からじゃ人に戻れないのか?」
「そうですね」
「このままでいいのか?」
「そうですね」
何を問うても同じ答えしか返さない男に苛立ち胸倉に掴み掛かる。
「このまま魔王にいいように使われて、それでいいのか?」
「先程まで殺意を向けていた相手の心配ですか? 忙しい人ですね」
楽しそうに笑いながらそっと胸倉を掴む手に手を重ねた。
「私は囚われているわけではありません。自らの意思で魔王城《ここ》にいるんです。心配する必要はありません」
言われ、アークは手から力が抜けた。
「もう少しですから、早く完成させましょう」
そっと手を引き剥がされ、再度陣へ向かう。
人である事を捨て魔族へと身を落としてまで魔王城《このち》に居る。
その理由に思い当たり、つい言葉にしてしまう。
「愛しているのか? 魔王《あいつ》を?」
常に顔に張り付かせている妖しげな笑みが消え、すぐさま奇妙に顔を歪ませ、そして噴出した。
「ふふっ。ふふふふっ。あははははははっ!!」
身体を震わせ心から笑っている男の姿を始めて目にしたアークは驚きから固まってしまった。
「私が魔王を? ふふふっ。あははっ!」
口元を手で覆い笑いを堪えているが目元に涙が浮かんでいるのが見える。
「・・・違うのか?」
「天地神明この世のありとあらゆるものに誓ってもそれはありません。くくくっ」
なら何故なのかと伺い見ると、男は一瞬考え、そして。
「魔王城《ここ》にいるのは貴方に出会うためだったと言ったら信じます?」
肩を震わせ顔を歪ませ目には涙を浮かべた状態で言われた言葉を信じる者が居るだろうか?
少なくともアークは信じない。
例え真剣な面持ちで言われたとしてもフェイの言葉を信じる事はしない。
明らかに疑いの眼差しで見ていると、背中の少女から目覚めが近付いている事を告げる愛らしい呻きが聞こえた。
「急いだ方が良いみたいですね」
アークは残り僅かな術式を書き込み陣を完成させると、確認するように地に書き上げた陣を読み上げるように術の詠唱を始めた。
長くない詠唱が終わりに近付いた時だった。
「アーク」
名を呼ばれ目線をフェイへ向けた。
男は右手を左胸に合わせ優しい微笑を浮かべていた。
「貴方の元へ愛と平和が訪れますように」
そう言い、腰を四十五度に折り、礼をした。
言葉はフェイの国の別れの挨拶なのだろう。
アークは悪態をつく事も出来ぬままその場から姿を消した。
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