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ビーンの森にて-1-

 フェイの管理する農園から一瞬にして緑生い茂る深い森へと移動していた。  ヴェグル国の首都モンド以外は結界が張られていない。  首都モンド近くの街へ転移する事も出来たが、魔族へと落ちかけている身で突如姿を現せば混乱を招く事は容易に想像が付いた為、郊外にある森へ転移した。  ヴェグル国の南に位置するビーンの森。  そこはアークにとって子供の頃からの遊び場であり、多くの友が住む場所である。  友人たちは獣人族と呼ばれる種族であり、魔術が使えない代わりに生まれながらにして人を遥かに凌駕した力と身体能力。驚異的な治癒能力を兼ね備えている。  もし自分が暴れ狂った場合でも速やかに排除してくれると期待し、転移先をこの森へと決めたのだ。  数ヶ月ぶりに訪れた森の澄んだ空気を青い草の臭いを感じ、懐かしさからほっと肩から力が抜けた。  自国へと戻れた安心からほんの一瞬、気を抜いただけだったが落ち着いていた影が蠢き身体を侵食し始めた。  ――今度はなんだ?  突如頭が重くなり、目が霞んだ。  一瞬意識が刈り取られるが、なんとかそれを堪える。  ――睡魔か・・・。  アークは火炎の術式で小石程度の大きさの火を起こし、その火の玉を握り込んだ。  皮膚が焼けた痛みで僅かに眠気を振り払えた。  ――もう少しだ。もう少しだけだ。  掌の火傷へ爪を立て、握り込む。  痛みで自身を奮い立たせ、森の奥へと進んでいく。 「タツミ! 居るなら出てきてくれ! タツミ!」  猛烈な睡魔に襲われながら必死に友の名を呼ぶ。  人よりも優れた五感を持つ彼らだ。  森に侵入者が現れた事には気付いているだろう。  姿を見せないのはアークの現状が異常であるから様子を見ているのかもしれない。 「カノエ! ウジヒコ! ホムラ! 誰でもいい出てきてくれ!」  他の友の名も呼ぶが、誰一人として姿を現さない。  アークを取り囲むように微かに気配が蠢く。  自分が何者かを知ればと思い、名を名乗る。 「俺だ。アーク・エス・ノエルだ!」  だがじっとこちらを伺ったまま誰一人として姿を現さない。 「タツミ! 頼むから出てきてくれ! タツミ!!」  呼びかけは深い森へ吸い込まれ、消えて行く。  覚束ない足取りで森の奥へとさらに進む。 「タツミ!」  それに合わせアークを取り囲む気配も移動する。 「タツミ!」  身体を這いずる影が身体の七割を侵食し、意識が朦朧とする中、祈るような気持ちで友の名を呼び続ける。 「タツミ・・・頼む・・・」  一瞬意識を手放し、崩れるようにして両膝を地面に付けた。  そのまま前方へ傾く身体を支えようと腕を地に向けるが、腕が地に地付くよりも早く何かが身体を支えた。  自分を支えるものが何であるか身体から伝わる感触でそれが人の腕であるのが分かり必死に顔を上げ、腕の主を確かめる。  金褐色の肌に野性的な笑みを浮かべ、肩まで伸びた蜂蜜色の髪を一括りにし、獅子の耳と尻尾を生やした獣人族の青年。 「待たせたな。釣りに出てたもんだからよ。遅くなった」 「タツミ・・・」 「俺の名前を呼ぶ怖いものがいるってちび共が言うから来てみれば、お前とはな。ちょっと会わない間にだいぶ様変わりしたみたいだが、どうしたよ。それ?」  おぞましい気配から魔族へと落ちかけている事には気付いているだろう。  だが、元来の豪胆な性格故か臆する事無く普段と変わらず接してくれる。  それがアークには救いだった。 「タツミ・・・」 「おう。何があった?」  人の良さそうな笑顔で尋ねられるが、それに答える余裕は今のアークには無い。  意識を刈り取られそうになりながら火傷を握り締め必死に耐える。 「ログが異・・・空間に落ちた」 「は? ログが? つーか、いきなりだな。銀髪はどうしたよ?」 「イグルは・・・コーネロ国で、別行動をとり、そのままだ・・・」 「ふーん。で、背中のちびはなんなんだ?」 「レイナ・・・俺の恩人だ。丁重に扱ってくれ・・・俺は・・・」 「アーク?」 「お・・・れの事は・・・駄目なら・・・殺してくれていい・・・」  必要な事は伝えた。  後はタツミ達がなんとかしてくれる。悪い事にはならないだろう。  安心し、ずっと張り詰めたままだった気を緩めるとそのまま深い眠りに落ちた。 「いいって、言われてもなぁ」  何が何やら全く現状が理解できないタツミは空いている手で頭を掻いた。  とりあえずアークの身体に括りつけられている少女を取り除くべきだと、巻き付くおんぶ紐を解こうとした時だった。  一足遅れで仲間の二人が到着した。  一人は巨大な斧を持ち、もう一人は腰の大剣とは別に大剣を肩に担いでいる。 「ヤバイのが来たって聞いたから、獲物持ってきたのに・・・」  チーターの耳と尻尾を生やした少年はむくれて見せ、狼の耳と尻尾を生やした青年はタツミの腕に納まっている人物を見て顔を顰めた。 「それ、アークですか?」 「ああ」 「なんでそんな事に・・・」 「さーな。取り合えずホムラ。眼鏡呼んで来い」 「眼鏡?」 「こんな時に呼ぶ眼鏡は一人だろうが。魔法使いの眼鏡だ」  言われ、ホムラは顔を顰めた。 「呼んでも来ないんじゃないかな。あの人アークの事嫌っているし」 「バーカ。銀髪の一大事だとでも言えばすっ飛んでくるだろうが」 「ああ」  納得だと言うように掌に拳を落とすようにして叩くと「行って来る」断り、すぐさま身を翻し走り去った。 「ウジヒコ。アークからちびを剥がすのを手伝ってくれ」  タツミが支えるアークの身体からおんぶ紐を抜き取り、少女を抱きかかえた。  事態が全く分からないウジヒコは腕に納まっている少女に聞けば何か分かるだろうかと少女見ると、その視線に反応するかのように少女の瞼が痙攣し、ゆっくりと開いた。  少女は見ず知らずの顔が自分を覗き込んでいる事に驚き、小さな悲鳴を漏らした。  野性的ではあるが端正な顔立ちの青年に見下ろされている。  しかもその青年は金褐色の肌に灰色の髪。動物の耳が頭から生えている。  始めて見る種族に驚きと恐怖から少女は石の様に固まってしまった。  そんな少女へ更なる恐怖が近付いた。 「お前、レイナっていうんだろ?」  少女を抱きかかえているウジヒコよりも遥かに背が高く体格が良い男。  頭から獅子の耳を生やし、人懐っこい笑顔を浮かべ見ようによっては愛らしく見えない事もないが、少女にとっては恐怖でしかない。  叫び声や泣き声は魔物を刺激するものだと知っている少女は歯を食い縛り、息を潜め身を縮める。 「俺はアークの友達《だち》でタツミって言うんだ。よろしくな」  拳を差し出されてそれが何を意味するものかが分からず、更に身を縮める。  少女が明らかに自分達を怖がっている事を察したタツミは自分達が敵ではない。  怖くない事を伝えるにはどうすれば良いかを考え、笑えば緊張が解《ほぐ》れ友好的になれるだろうと思い至り、タツミは表情筋を駆使し変な顔を作って見せた。  そのあまりにも間抜けな顔にウジヒコは噴出したが、怯えている少女にとってはただの怖い顔にしか見えず、がたがたと震えるだけだった。  少女から笑いが引き出せなかったタツミは変な顔第二段に移行するべく表情筋を緩めた。  その時だった。 「やめんか!」  大男の半分程しかない大きさの少女が何処からともなく現れ、その代わりに大男の姿が視界から一瞬にして消えていた。 「何しやがる! テメェ!」  離れた所から声がし、レイナが声の方へ目を向けると数メートル先に腹を摩る大男の姿があった。  地面には何かを引き摺った跡がある。  多分、金褐色の少女によって吹き飛ばされたのだ。 「少女にとって二メートル越えの大男は化け物でしかないんですぅ。どんなにキモイ顔を作っても恐怖でしかないんですぅ。あっちへ行ってよ」  しっしっ。と言いながら手で追い払う。  次々に起こる衝撃に混乱し、目を瞬かせていると金褐色の肌をした少女が振り返った。 「初めまして。私、ミキ。あなたは?」  大男と同じ獅子の耳と蜂蜜色の髪をしているが、自分と変わらないくらいの体格に少女という事もあり太陽のように明るい笑顔のミキに親近感を覚え、レイナの緊張が僅かに解ける。 「わ・・・私はレイナ・・・」 「レイナ。よろしくね」  小さな拳を差し出されどうしていいのか分からず、おずおずと手を差し出すとそっと指先で触れてみた。  挨拶の仕方は間違えているに違いないが、それを正す事も注意する事もせず「ありがとう」と微笑を深めるミキに対し自然とレイナも微笑んでいた。

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