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ビーンの森にて-3-

 森に突如現れたそれは背はタツミの胸ほどまでしかなく、癖のある黒髪は短い。  大きな目と小さな口は顔の真ん中寄りで下に重心がある為、幼く見える。  自分と同じ年か少し上くらいの少年だが、大きく丸い眼鏡と魔術師が着るローブを纏っている事からタツミが言っていた魔法使いなのかも知れない。  だとしたら早く王子様達を助けてくれるようにお願いしなくてはとレイナは立ち上がり一歩を踏み出すが、ミキが前方を塞ぐ様に立ちはだかった。 「近寄っちゃだめ」 「え?」  ミキの手が両肩を強く掴み、真剣な眼差しで警告される。 「目も合わせちゃだめ」 「へ?」 「あれはヴェグル国で一二を争う厄介で面倒な生き物だから!!」  王子達を助けてほしいと気が逸《はや》るもののミキの様子から魔法使いに近寄る事は危険なのだと理解し、レイナはその場に再び座り込んだ。 するとミキはレイナを守るように魔法使いに背を向ける形でレイナの前へ座った。 「魔法使い様にお願いしなくて大丈夫かな」 「う~ん。お願いしても無駄だからねぇ」  表情を曇らせるレイナに慌てて補足する。 「あっ。大丈夫だよ。うちのお兄ちゃんが上手くやるから。ね」  表情を曇らせたまま頷く。  見てはいけないと言われている為、耳を澄ませ魔法使いとタツミのやり取りに意識を向けるが会話と言うよりも魔法使いが一方的に捲くし立ててる。しかもその内容がレイナには全く理解できなかった。 「魔法使い様は私達と違う言葉を使っているの?」 「へ?」 「世界には私達とは違う言葉を使う人がいるって牧師さんに聞いた事があって・・・」  ミキは何度か瞬きをすると相好を崩した。 「えっとね。余計な言葉が付いているだけで魔法使いが使っている言葉はうちらと一緒だよ」 「一緒?」 「うん。魔法使いの言葉を訳すと、僕のイグルは何処? だね」  訳された言葉を頭に置き、魔法使いの言葉にもう一度耳を向ける。  ぼくの・いぐ・たんは・どこ・だお。  言葉を分解すればそう言っている様に聞こえ、理解できた事が嬉しくレイナは顔を綻ばせた。 「本当だ」 「ね」 「でも、イグルって誰?」 「えっと。アーク・・・王子様と一緒に銀髪の魔術師がいたでしょ?」 「うん」 「その銀髪の魔術師の名前がイグル。因みにレイナが王子様と呼んでいる金髪の名前はアーク。黒い王子はログっていうの」 「そうなんだ」  少女二人がそんなやり取りをしている後ろで、弾丸の如く発せられていた質問を打ち切るべくタツミが口を開いた。 「何処って言われても俺らだって知らねぇよ。俺らに聞くよりもアークに聞いた方が早いんじゃねぇか?」  指でアークが横たわる方を示す。  魔法使いは指し示す方へ目を向け、アークの姿を視界に認めると道端の汚物でも見るように顔を顰めた。 「見ての通りあんな状態だからよ、あんたの魔法でちゃちゃっと治して銀髪の事を聞いたらどうだ?」 「はぁ? なんで僕があんな泥棒猫を治さないといけないんだお。冗談じゃないお!」 「でもよぉ。アークがあんな状態って事は銀髪も相当ヤバイんじゃねぇか?」 「はぐぅ!」  魔法使いはぎごちなく両手を上下に動かし、おろおろと視線を彷徨わせ独り言を呟く。 「イグたんが危険な状態! どっ・・・どうしよう・・・召還術で・・・でも召還術に耐えられないほどの怪我を負っていたら・・・僕がイグたんの所へ行けば・・・駄目だお。こっそり掛けておいた位置特定術は解除されちゃったから何処にいるか解からないお。どうしたら良いお・・・」  挙動不審に右へ左へと行ったり来たりを繰り返す魔法使いに囁く。 「ログが異空間に落ちたままらしいから、ログを召還して聞いてみるっていうのはどうだ?」  タツミのアドバイスを聞いた魔法使いは早かった。  目にも留まらぬ速さで陣を組み上げ、何か呟いたかと思った次の瞬間には陣の中央に黒曜の騎士とその右腕に抱えられるようにして飛空挺操縦士のガース。左手にはラーイ。ラーイの手にはウタが掴まれている状態で現れた。  突然の状況変化に現状の把握をすべくガースは無言のまま辺りを見渡し、息子二人は召還術特有の吐き気に見舞われながら何とか上体を起こし辺りを窺う。 「今度は何なんだ!?」 「ここ何処!?」  おまけに召還したらしい三人を尻目に魔法使いは陣の中で座った状態でいる黒騎士の胸倉を勢い良く掴む。 「僕のイグたんは何処だお?」  例え万の軍勢を目にしても顔色ひとつ変えないログだが、目を血走らせた魔法使いの勢いと怖いくらいの熱に気おされ、わずかに身を引く。 「イ・・・イグルとはある国で別行動になり現在何処にいるかは分からない」 「んがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 使えない! 使えないお!!」  魔法使いは頭を抱え天を仰ぎ、呻き「イグたん何処だおぉぉぉぉぉぉ!!」と叫ぶ。 「急用なら召還術で呼び出したらいいのでは?」  そう提言するログへ鋭い目を持って見下ろす。 「ログたんは怪我してないお?」 「多分・・・大丈夫かと・・・」  絶対の確信がない為、曖昧な返答をするログに対し鋭い目が更に厳しさを増し問う『本当だろうな?』と。  更に『もしイグたんに万が一があった場合分かっているんだろうな?」と問う。  ログは武人として腹を括り、頷く。  魔法使いは魔法使いで覚悟を決め、召還術の陣を組み上げ愛しき者の名を呼んだ。  陣の中央に姿を現した者を見て魔法使いは零れんばかりの笑顔を浮かべ、手を胸の前で握り締めた。  突然の召還に動じる事無く悠然と立ち上がり、自分に向かって歩いてくる愛しき者を抱きしめる為に魔法使いは両手を広げる。 「イグたぁ~ん」  花やらハートの幻覚が見えそうなほどの甘い呼びかけであった。  だが、怜悧な美貌の魔術師は無表情無反応。魔法使いに一瞥もくれぬまま存在自体を無視し目的の人物の元へと向かった。  影に侵食され魔族へと身を堕としかけているアークを目にし僅かに顔を顰めた。 「ログ。何があったのですか?」  親子三人を離し直ぐにアークへと駆け寄っていたログは自分に傍らに立つ魔術師を見るものの、アークを守れなかった罪悪感から目を逸らす。 「すまない。俺もたった今召還されたところで何も分からないのだ」  ログはリームで別れてからこれまでの出来事を簡潔に説明した。  魔の口へ落ちてからの事はレイナが知っているだろうと魔術師は少女へと向かった。  優しい微笑みを携えた白銀の魔術師に問われ、レイナ頬を赤く染め、次に申し訳なさそうに俯き、異空間を漂って直ぐに何かに引っ張られる感覚に襲われ、その後は気を失い、気が付いたらこの森にいたと説明した。 「なるほど」と呟き、白銀の魔術師は軽く溜息を吐く。  そしてそれまで存在を完全に無視していた魔法使いへと目を向ける。 「それで、アークがこのような状態にあるのに貴方は何故何の手も施さずにいるのですか?」  イグルの意識が自分よりもアークにある事が気に入らず、剝れてみせる。 「だって、僕から愛しのイグたんを奪った泥棒猫にする事なんか何も無いお」 「つまり、アークを治す気は無いという事ですね」 「そうだお」  そう断り『でもイグたんがどうしてもと頼むなら・・・』と続けようと口を開くが、静かな声がそれを封じ込めた。 「なら今直ぐ私の目の前から消えて下さい。目障りです」  冷ややかで容赦ない言葉に言われた当人よりも近くで聞いていたレイナの方が驚きと恐怖から身を竦め、無意識にミキの手を握り締めていた。 「冷たい! 冷た過ぎるお!! 一ヶ月と十六時間三十五分振りのパパに対して酷過ぎるお! パパ泣いちゃうお!」 「勝手にどうぞ。それと、とっとと消えて下さい」 「うきーーーーーーー!!」  ギリギリと歯噛みし頭を掻き毟り悶える魔法使いに背を向け、アークへと向き直る魔術師。  魔法使いが何を言おうが奇声を発しようが無視し、完全拒否する姿にレイナはそっとミキに訊ねる。 「銀色の王子さまは機嫌が悪いのかな?」 「え?」 「なんか・・・怖いから・・・」 「そお? 何時もあんな感じじゃない」 「何時も!?」 「うん。イグルが優しく接するのはアークとアークにとって必要とみなした人間だけだからね。無表情で容赦ない方が何時ものイグルって感じだよ」 「そう・・・なんだ・・・」  優しく微笑むイグルしか知らないレイナには本来の姿が衝撃的でありショックだった。  黒い王子と何事かを相談している銀色の王子の後ろで何かを喚き散らす魔法使い。  何度と無く耳にする『パパ』という言葉の意味が分からず、ミキに訊ねると不思議そうに見つめられた。 「レイナのいた所ではパパって言葉は使わないんだね。パパは父親の事だよ。お父さんだね」 「おとう・・・さん・・・?」 「そう。って言っても血の繋がりは無いんだけどね」  改めて魔法使いを見る。  どう見ても自分とそう変わらない年齢に見える。 「子供でもお父さんになれるの?」  真剣に問うレイナに優しく訂正を入れる。 「魔法使いの外見は詐欺だからね」 「さぎ?」 「若作りしているけど二百歳超えているんだよ。超ウケるよね?」 「ちょうける?」 「えっと・・・超ウケるは笑うとか可笑しいって意味」  可笑しいと言うよりも驚きの方が強く、見てはいけないと言われている魔法使いを凝視するレイナであった。

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