37 / 91
ビーンの森にて-5-
姿と言動に不釣り合いな程美しく整然とした術式が紡がれていくのをイグルは魔法使いの傍らで見ていた。高度な術式が五つ同時に組み上げられていくのを読み、自分が紡いだ術式の綻びを確認し、己の未熟さを思い知る。
空中に描かれた術式がするすると地に落ち、アークを中心に魔方陣を描いて行く。
陣が完成すると眩い光を放ちアークを包み込んだ。
光が収まるとそこにアークの姿は無く、代わりに巨大な繭があった。
「はい。これで完了だお。後は自動で分離されるから放っておいても大丈夫だお」
魔法使いは術式を紡いでいる間中考えていた今後の予定に、期待と興奮からやに下がった顔で振り返る。
「さあ。イグたん。僕らの愛の巣に帰ろう!」
「帰りません」
「なんっ・・・グホッ!」
予想外の返答に魔法使いは舌を噛み、自滅した。
痛みで地面をのた打ち回るものの、真意を確かめたい魔法使いは立ち上がり、血の味と痛みが残る舌を動かして必死に問う。
「何でだお? イグたんのお願いを叶えたお。 何でも言う事を聞くって言ったお!」
「叶えて貰いましたし、その言葉に偽りはありません」
「ならなんで・・・」
「アークの無事が確認できるまで私はこの場を離れる気はありません」
確固たる意思を持ってそう断言する愛息子《まなむすこ》の姿にショックを受けた魔法使いは眩暈を起こし、その場に崩れ落ちた。
「何でだお・・・。イグたんと入るために温泉を掘り当てたし、ついでに温水プールも作ってウォータースライダーも設置したんだお」
「頼んでません」
「自動傀儡人形も千体用意してありとあらゆる衣装や着ぐるみを着せてあるから何時でもテーマパークを体感できるお。帰ってきたら絶対楽しいお!」
「興味ありません」
「ぐおっ!!」
すげない返答に魔法使いは両手で顔を覆い肩を震わせ泣き落としを試みる。
「イグたんがお仕事から帰ったら一緒に遊ぼうと、パパ頑張ったんだお」
「知りません」
あえなく玉砕。
「大体、ここに居てもイグたんにできる事は何も無いお。だからね。パパと帰るお」
「アークの無事が確認できるまで動かないと言っています」
頑として動こうとしない息子に各国から取り寄せたグルメ商品と衣服の数々。息子の後学の為と創作しておいた魔道書《グリモア》の数々を説明するが目を合わせる事もしてもらえず、最後の切り札。サプライズとして用意していた『自宅の敷地にいながら魔術師のレベルを上げられる素敵施設であるダンジョン』を作った事を発表するが、イグルの心を一ミリも動かす事は叶わず、時間の浪費と終わった。
魔法使い親子が微笑ましくない遣り取りをしている場所から百メートル程離れたところで五人の獣人族とレイナとで微笑ましいお茶会を行なっているところへガース親子が加わり、アークの手土産と勝手に判断されたアップルパイとクッキー。そして獣人族が持ち寄った木の実とお茶でまったりとしたひと時を過ごしていた時だった。
魔法使いを迎えに行ったきりになっていたホムラと共に使いに出ていたウジヒコが自身の倍以上の大きなリュックを背負い戻ってきた。
魔法使い親子とは距離を保ってはいるもののアークの傍に張り付いている黒騎士へ声を掛けると訝しげな表情を浮かべながらウジヒコへと駆け寄った。
「頼まれていたものを持ってきた」
ウジヒコの言葉にログは嫌な予感を抱き、背負ったままのリュックの中身を確認するのを躊躇った。
そんなログの心情など知る由も無いウジヒコはリュックを下ろし、蓋を開いた。
中から現れたものを見てログは親指と人差し指とで眉間を押さえ、重く深い溜息を吐き、心から謝罪する。
「すまない。ドルワー」
ウジヒコのリュックに納まっていたのは、ログの屋敷で長年料理長を務めている料理人であった。
「二週間振りになりますかね。坊ちゃん」
「坊ちゃんはよしてくれ」
ログは筋肉はしっかり付いているものの細く痩せた小柄な五十代の料理長をリュックから引き上げ、出した。
聞けば何時も通り仕込み作業をしていると、獣人の二人は窓から突然現れ、チーターの耳《ホムラ》をした方が剣を突きつけ「声を出すな。騒いだら痛い目を見る事になる」と脅されたとの事だ。
そこまでを聞き、ログは自身の頭を抱えた。
そして、狼の耳《ウジヒコ》をした方に言われ、一筆書かされたと言う。
『暫く留守にする。探さないでくれ』と・・・・・・。
見た者を不安と混乱に落とす置手紙だけを残し、その場にあった調味料と材料。そして酒瓶を手当たり次第にホムラのリュックに詰め込んで来たのだと聞き、ログは頭を抱え込んだままその場にしゃがみ込んだ。
ログがウジヒコに頼んだ事は屋敷の調理場で仕込み作業を行っているはずの料理長に訳を話し連れて来る事だった。
獣人の言葉を信じて貰える様にとログが常に持ち歩いている紋章入りの指輪を持っていかせたというのに、何故説明を省いたのかと問えば「俺は説明が得意ではない」と返ってきた。
得意不得意の問題ではない。
必要最低限の言葉を尽くす事は出来ただろうと問うと「アークの帰還が知られたら困るのだろう? なら言葉を使わなければ知られることは無い」返された。
だからと言って誘拐は無いだろうと嗜めるがウジヒコは悪びれる様子も無く「俺は頼まれた事はやった。後はお前の問題だ」と言い捨て、預かっていた指輪を返すとホムラと共にお茶会の輪の中に消えた。
料理長であるドルワー一人が居ればヴェグル国のどんな料理でも用意する事ができる。
迷惑を掛けてしまったガース親子に少しでもお詫びが出来ればと思っての事だったが、新たな問題を生み出す事となってしまった。
それもこれも大雑把な性格の獣人族へ頼み事をした自分が悪いのだと諦め、料理長へ向き直るとただひたすら平謝りをした。
「気にせんで下さい。この年になると中々リュックに詰め込まれるなんて経験をしません。貴重な経験が出来て楽しかったですよ」
年は関係ないだろう。
リュックに詰め込まれ運ばれるなんて珍事件は老若男女関わらずそうは起こらない。
そう心で呟きつつ、料理長の何事にも動じない穏やかで広い心にログは呆れつつも感謝した。
ドルワーにはアークが怪我で暫く動かす事が出来ず、その為帰還を知られる訳にはいかない事。帰還に当たって迷惑と世話になった者達が居る事を説明した。
「なるほど。状況は理解しました。で私は何をしたらいいんですかな?」
ログは茶会の一団をを指差す。
「あそこに居る人間の男三人がさっき話した親子だ。あの者達はヴェグル国の高級料理を希望している。あと人間の少女はアーク様の命の恩人だ。あの子の分も頼む」
「四人分でいいんですか?」
「いや・・・」
少し考え。
「獣人族は食い意地・・・ゴホン。食べる事が非常に異様に好きな種族だ。彼らの分も頼む」
「獣人族の皆さんは総勢なんにんですか?」
「正確な人数は分からないが、この森に住んでいるのは五十前後だったと思う」
「ほうほう」
獣人族は身体能力が優れている為、人間の三倍は食べる事を知っていた料理長は瞳に密かに炎を灯す。
「作りがいがありそうですな」
そう零すと、ひょひょひょと嬉しそうに笑った。
その夜。ビーンの森では大宴会が開かれた。
約百六十人前を作るにはログの屋敷から調達した食材だけでは足りないと、食材調達要因として二十名を動員し山の動物や川の魚、そして栽培している野菜を持ち込ませ。さすがに一人では手が足りないと、獣人族の中から料理を得意としている者を十名を助手とし、高級店の味をそのままに多種多量の料理が用意された。
一体何処から出てきたのかヴェグル国のありとあらゆる品種の酒が持ち込まれ、ラーイとウタは勿論、アルコールの絶大なる力を持って頑固オヤジであるガースすらも獣人族と意気投合。
ある者は歌い。ある者は踊り。お祭り騒ぎであった。
そんなバカ騒ぎをよそにイグルはアークの納まった繭の傍らから一歩も動かずにいた。
飲食する事を忘れ、祈るように繭に寄り添ったままの息子の姿に嫉妬を抱きつつも心配をする魔法使いは一緒に家に帰ろうと必死に説得するが、すげなく断られた。
めげずに説得を続けていると後から帰ると口だけの約束を貰い、先に帰って一緒に過ごす用意をして欲しいと頼まれるとその言葉を疑う事もせずに魔法使いは意気揚々と帰って行った。
煩い義父を追い払い満天の星空の下、主の帰還をただひたすら待っているとログが食事を持って現れた。
「少しは休んだらどうだ?」
「休むも何も、動いていません」
「身体は休んでいても気が休まっていない。食事を取って鋭気を養え。何があっても対処出来るように自己管理しておくのも部下の勤めだ」
「そうですね」
言葉を肯定するものの食べ物に手をつけようとしない。
「魔法使い様に聞いたが、三日もすれば繭から出てくるのだろう?」
「予定ではそうですね」
「なら・・・」
「貴方はこの場を離れ何時も通りの生活をし、三日後に戻る事が出来ますか?」
「それは・・・」
「出来ないでしょ? 私もです」
イグルは静かにログを見つめた。
「私はね、アークと出会ったばかりの頃は感情がありませんでした」
突如語り出され、驚きつつもログは静かに耳を傾ける。
「それを不憫に思ったアークは術式を使い自分と私の視界を繋げたんです。視界を繋げると甲の目を通して乙も同じ世界が見える事は知っているでしょ?」
「ああ」
「世界は見るものの感情によって姿を変えます」
イグルは視線を夜空へと移し、光り輝く星を見た。
「アークを通して世界を見た時、私は泣いたのです。当時は何故涙が流れるのか分かりませんでしたが、今なら分かります。アークの見ている世界は優しく暖かく美しい。それまで白黒に見えていた世界がいきなり色を持って見え、天気を知る為だけに見ていた空が雲が別の意味を持って見え、驚きと恐怖、そして感動を覚えたのです」
常に感情を映さないイグルの顔が、僅かに和らぐ。
「術式は出張から帰った魔法使いによって直ぐに解かれましたが、二週間の短い期間に私の世界は変わったのです。方角を確認する為だけの星が、今では輝いていると認識できるくらいには」
和らいだ顔が再び表情を失う。
「アークの傍で彼の見ているものを感じているものをなぞる事によって、私の世界はかろうじて色を失わずにすんでいる」
話に耳を傾け、真剣な眼差しで見ているだけだったが、その視線をどう捉えたのかイグルは訂正を入れた。
「勘違いしないで下さい。私は見える世界も感情もどうでもいい。ただ世界を優しく美しく見る事が出来るアークを失うのは嫌なんです」
イグルが自分の事を語るのは珍しい。
普段動く事の無い感情が波立ち、どう処理していいのか分からないのだろう。
そして、たった一人意味を持つ人間の安否不確定の状態に不安を覚えているに違い。
そう汲み取ったログは自身とイグルを元気付けるべく言葉を発する。
「大丈夫だ。三日後にはアーク様に会える」
「そう・・・ですね」
不安が拭えないイグルは歯切れの悪い返事を返すと、ログによって運ばれた食事に手を伸ばし、通常なら感じる味を感じ無いまま咀嚼し、無理矢理飲み込んだ。
宴会の日よりログとイグルが交代で見守り続け、三日が経ち、四日目になっても繭からアークが出てくる事はなかった。
ともだちにシェアしよう!