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繭の中-12-
「これは何だ?」
メニューの最後に書かれている注意書きの意味を問うと、ミルフィーは教室を見渡し今まさにそれが行われようとしているテーブルを見つけると掌を向けて二人の視線を誘導した。
「それはあれですよ」
見るとポニーテールヘアーのメイドが左右の指でハートの形を作り、自身の胸の辺りに準備する。
そして満面の笑顔で……。
「萌え萌えきゅんきゅん。おいしくなぁ~れ」
指のハートを左右に動かし、続けて円を描くように回すと最後にテーブルの上の商品に向けて差し出した。
「これでおいしさ倍増ですよご主人様」
メニューに書かれた注意書き『ご注文一品から、おいしくなる魔法の呪文承ります』の謎が解け、ヴェロニカは器用に片手でメニューを畳んだ。
「魔法の呪文はメイドの指名は出来るのか?」
「出来ますよ?」
「そうか。ならこいつはスペシャルセット。メイドの指名はイグルというメイドだ。私はアイスコーヒー。メイドはあいつでいい」
ヴェロニカの指し示す先をアークとミルフィーが追うと、男らしい骨ばった身体に不似合いなメイド服に身を包み、威圧するように腕組みをし不機嫌を隠しもせずに睨んでいる少年が立っていた。
「えっと…ジェリドくん?」
「名前は知らん。十五番のプレートが付いている奴だ」
「ジェリドくんだね」
離れたテーブルでの遣り取りで言葉自体は聞こえなかったが、動作と視線から自分に指名が入った事を察したジェリドは眉を跳ね上げた。
「おいおーい。ジェリドくーん。ジェリドくんてば!」
両手を大きく振り呼びかける。
「ご指名だよ。ジェリドくーん」
何度となく呼びかけるがジェリドは顔を背け聞こえないフリをする。
頑なに無視し続ける困ったメイドを動かすべくミルフィーは友人の名を呼ぶ。
「メリーちゃん」
萌え責めサービスを終え、カウンターで待機している幼顔のメイドに向かって右手でサインを送る。するとメリーは愛らしい笑顔と共に了解のサインを返し、ジェリドへと向かった。
「ジェリドくんご指名だよ」
人畜無害な笑顔を浮かべ、小等部の学生にしか見えない容姿をしてはいるが、その裏に隠された顔を三年間同じクラスで過ごしてきたジェリドは知っている。気性だけなら暴力愛好家が多い剣術師達にも負けないだろう危険な少女だ。
盾を突いてはいけない。怒らせてはいけないという暗黙のルールがクラスにある程に。
だからといって、はいそうですかと頷けは沽券《こけん》にかかわる。
男として、貴族としてのプライドを守るべく危険と知りつつも精一杯突っ張る。
「あぁ? 知らねぇーよ。テメェーらで勝手にやってろよ」
自分の胸ほどしかないメイドを見下ろし、凄みながらそう吐き捨てた次の瞬間。股間に強烈な痛みを覚え息を呑んだ。
愛らしい笑顔を浮かべながらも、メリーの目には剣呑な光があった。
「うちの出し物がメイド喫茶なのは決定事項でしょ? それを理解してジェリドくんは今日ここに来ているんだよね?」
「俺は……」
とんでもない所を鷲掴みにされ激痛に襲われながら言い返そうとするが、トーンが下がり危険な響きを孕んだ声が遮った。
「知らねぇ。出来ねぇじゃねーんだよ。やれ! 四の五の言わずにな。公衆面前で失禁プレイさせんぞコラァ!」
囁くような声であったが、股間に与えられている力が増し脳天を貫く痛みにメリーの本気が伝わり、ジェリドは無言のまま頷いた。
情けなくはあったがそうする事しかできなかった。
若干涙目になりながら今の醜態を誰かに見られてはいないかと慌てて教室内を見渡すが、衝立や観葉植物などが視界を遮り二人の遣り取りは誰にも見られなかったようだと、ほっと息を漏らす。
見れば、凶悪な目をした美少女メイドが「早くしろ。カス!」と無言で訴えている。
ジェリドは若干折れかけた心をそのままに項垂れながらカウンターへ行き、アイスコーヒーを受け取ると重い足取りで赤髪の待つテーブルへと運んだ。
やや乱暴にグラスを置きそのまま立ち去ろうとするが、威圧的な声がそれを止めた。
「待て十五番。大切な物を忘れているぞ」
「はぁ?」
「呪文はどうした?」
「そんなもんどうでもいいだろ」
「いいわけあるか。やると書いてある以上料金にそれが含まれているはずだ。やるのが道理だろう? 現に他のメイドたちはやっている。何故貴様はやらない? もしかして出来ないのか?」
侮るような声と表情に憤りを覚え「出来るに決まってんだろうが!」と叫んでしまった。
「ならやれ」
「うぐっ」
言葉に詰まり押し黙っていると赤髪は微笑する。
「出来ないなら出来ないでいい。素直に認めて謝れ」
「あぁ?」
「未熟者ゆえ、お客様にサービスを提供出来ません。申し訳御座いません・・・とな」
「ふざけるな! 誰が謝るか!」
「ならきっちりサービスを提供しろ」
「先生止めて下さい」
ほんの少し前、心にダメージを負ったところへ畳み掛けるような赤髪の攻撃。そして哀れみの表情で連れを制止するアークの行動が癇に障り、ジェリドは知らず知らずのうちに悔し涙を浮かべていた。
怒りから顔を真っ赤にし口元を引き攣らせているジェリドを急かすように赤髪の人差し指はテーブルを叩く。
「どちらでもいい。早くしろ。氷が溶けてコーヒーが不味くなる」
「……ぇ…ぇ」
「なんだ? 良く聞こえんぞ?」
「くっ…くそぉぉぉぉぉぉぉ!」
額に血管を浮かび上がらせ腹の底から叫ぶと、ジェリドは目を血走らせ鬼の形相で魔法の呪文……と言うよりも呪いの呪文をぶちまけた。
「もえもえきゅんきゅんおいしくなぁぁぁぁぁぁれぇぇぇぇぇぇ!!」
どうだこの野郎! 言ってやったぞゴルァ!!――と、眼圧で訴えるが赤髪は一言。
「振り付けはどうした?」
決死の呪文を無効化した。
「ちっ畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
ジェリドは運んできたアイスコーヒーを一気に飲み干すとグラスをテーブルに叩きつけ、振り返るとスペシャルセットを運んで来た白銀のメイドとぶつかりそうになる。イグルは最小限の動きでそれを回避するが、ジェリドを避けた事によって僅かに崩れた体勢を立て直そうとするが、球状の物を踏みつけ更に体勢を崩す事となった。
崩れる身体のバランスを取ろうとするが、自身で立て直すよりも早く逞しい腕が肩を抱きしめるようにして支えた。
「大丈夫か?」
問われイグルは無表情のまま赤髪の女を見つめた。
そんな二人の遣り取りを尻目にジェリドは「くたばれ!」と呪いの言葉を吐きながらメイド喫茶から飛び出して行った
静かな紫水晶《アメジスト》色の瞳は何か問いたげに女を見つめていたが、問う事はしなかった。
「問題ありません。放して下さい」
そう断り、ヴェロニカの腕を離れると手にしていたスペシャルセットをテーブルに置いた。
何事も無かったかのようにアークへ向き直りピンクのカードを催促した。
だが、萌えと言うものがよく分からず、イグルに対し言って欲しいセリフが思いつかないアークは何も書けずにいた。
数十秒待つものの一向に希望を書く気配のない不甲斐無い弟子を見かね、ヴェロニカはアークからピンクのカードを奪い取るとさらさらとペンを走らせ、すぐさま白銀のメイドへと手渡した。
メイドは内容を確認するとスペシャルセットの一つ。シフォンケーキにたっぷりと添えられている生クリームを右手の人差し指と中指とで掬い上げ、アークへと向き直ると生クリームを纏《まと》わせた指を差し出した。
作り物のように整った怜悧な顔は無表情のまま、抑揚のない声は淡々と問う。
「上の口と下の口のどちらで召し上がられますか?」
イグルの放った衝撃的な萌え責め……と言うよりも卑猥なセリフに、あるメイドは持っていたトレーを落とし、接客にあたっていたメイドは紅茶を注いでいた手をそのままにカップから溢れさせる。
客は食べていたケーキを喉に詰まらせ咳き込み、ドリンク類を飲んでいた客は一斉に吹き出した。
問われた当の本人は質問の意味が分からずぽかんとしている。
――口は上にしかないですよ?
心でそっと突っ込みを入れながらも質問の意味を考える。
だが、考えても分からないものは分からない。
素直に意味を確認すべきだろうと声を潜め「上…」と口にした。
『上以外に口はないですよね』と続くはずだったがその言葉は白銀のメイドによって遮られた。
「上ですね。畏まりました」
サービス内容を受諾したメイドの行動は早かった。
音もなく間合いを詰め、左手でアークの黄金の髪を無遠慮に鷲掴むと強引に上を向かせ、僅かに開いた口に生クリームたっぷりの二本の指が捻じ込んだ。
「っふ…ぐっ!」
驚きからアークは呻いた。自分の身に何が起こっているのか分からず、パニックから目を白黒させる。
「どうですかご主人様。美味しいですか?」
口に指が突っ込まれている状態でしゃべれる訳もなく、アークは言葉にならない声をただ漏らし、苦しさから手足をバタつかせもがく。
イグルの腕をタップして降参を訴えるが、意味が分からないのか指が抜かれる事はなく、指は口内で妙な動きをしている。
くちゅくちゅと音と共に開きっぱなしの口の端から唾液が零れる。
言葉にならない呻き声で苦しいと止めてくれと訴えるが伝わらず、仕方なく両手でイグルの手首を掴み、力ずくで口から引きずり出した。
頭をやや乱暴に掴まれ、赤く染まった顔の口の端から唾液と生クリームを滴らせているという淫靡な絵図らにある者は腰砕けとなりその場にへたり込み、ある者は鼻血を噴き、そしてある者は前屈みとなった。
「頭を話せ! 何なんだ。一体……」
訴えると直ぐに頭は解放された。怒りと言うよりも驚きから睨みつける。
「お気に召しませんでしたか?」
「当たり前だろう!」
「そうですか」
ならばとイグルが再び生クリームを掬う姿に胸騒ぎを覚え、席を立とうとするが、たった今味わった衝撃的な行為の影響から動揺し足がもつれ床に崩れてしまう。
「次は下の口ですね」
性に疎いアークは下の口が何処を指しているか分からないが、教室内を包むピンと張り詰めた空気からとんでもない事をされるという確信があった。
――逃げろ!
本能的の訴えに従い座り込んでいる身体を翻し、四つん這いの状態で逃げようとするが、ズボンのベルトを掴まれた。
「片手では脱がせ辛いのでご自身で脱いで頂けますか?」
――何故ズボンを脱ぐ必要がある!?
混乱に陥ったアークは見苦しくもがくが細いメイドの腕から逃げられない。
――だっ、誰か助けて!
――助けて下さい!!
切なる願いが届き、救いの声が頭上から響く。
「イグルん。さすがにこれ以上は営業停止になっちゃうよ?」
見ればピンクのツインテール頭の救世主が苦笑気味で二人を見下ろしいてた。
「営業停止はいけません」
表情はなく声にも焦りの色は感じられないが、営業停止は避けねばならないという意識はあるらしく、ピタリと動きを止めた。
掴まれていたベルトが放されると、アークは慌てて一定の距離を取り、イグルへと向き直り体勢を立て直した。もしもの襲撃に備えて。
「業務を遂行しただけですが、いけませんでしたか?」
「あははっ。ちょっと遣り過ぎかな?」
「そうですか。難しいですね」
イグルは行き場を失った左手の生クリームを見た。
生クリームの付いた細く白い指が口元へ運ばれるのを見てアークはギョッとする。
先程までアークの口を蹂躙《じゅうりん》していた指は唾液まみれで肘まで滴っている。
他人の唾液まみれの指を口にする訳がない。そう思いながらも制止の言葉を発する。
「止め……」
だが、言葉虚しくイグルは生クリームとアークの唾液にまみれた指を口に収めてしまった。
もごもごと口内で二本の指をしゃぶり、取り出すとまだ僅かに残っていた生クリームを舌を使い舐め上げていく。
食べ物を粗末にしてはいけないという思いからの行動で他意はなかったが、卑猥にしか見えないイグルの行動にアークは表情を失った状態で石のように固まり、ミルフィーは額に手を当て「あちゃー」と呟く。
ヴェロニカは面白そうに微かに笑い、メリーは楽しそうに「イグルくんてば外さないなぁ」と暢気に言う。
そしてそれ以外のメイドや客は一人残らず萌え死にした。
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