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繭の中-21-
抱きかかえられた状態で屋敷から運び出されると、庭では傷の男がチェブランカの手下と戦っていた。
髭の男と魔術師は相手が闇世界のドンである事を知り早々に戦いを放棄したらしく、戦闘狂のお遊びを静観していた。
傷の男はアークに気付き、軽く手を振ると直ぐに眼前の強敵との死のダンスに意識を戻しそのまま踊り続けた。
傷の男を尻目に門へ運ばれて行くと、そこには大型の荷馬車が着けられていた。
男が声を掛けると中から扉が開かれた。
男の腕から降ろしてもらい中に入ると荷台の左右の壁に直接設置された長椅子にダート、トライル、バーク、トルカの四人が座っていた。
「皆、大事無いですか?」
開口一番に安否を訊ねられ四人は「大丈夫だ」と口々に返すが、裸で外套に包まれているアークの姿を前に四人は俯く。
「すまない。俺達が役に立たなかったばかりに……」
ダートの硬く震える声に四人が何を想像しているか思い至ったアークは慌てて訂正を入れた。
「違います。これは汚いから風呂に入れと言われ入っただけで何もされていません」
正確には腸内洗浄用の術具を入れられたが、態々言う必要はないと伏せた。
「私は大丈夫です。私より……」
ジェリドの事を何処まで話していいのか。どう説明していいのか分からず口篭っていると荷台の扉が開きジェリドを抱き抱えた男が入って来た。
大量の汗を掻き目元には涙の痕、そして血で真っ赤に染まった口と外套に染みを作っている胸元の傷を目にしアークを含め五人の少年は顔を顰めた。
「すまない。私が付いていながらこんな事に……」
悲痛な面持ちで零すとダートは目の前まで近付いた。
「お前のせいじゃないだろ」
「でも、私を庇ったせいで……」
「そんなのジェリドが勝手にやった事だろ?」
「それは……」
「アイツとは十年の付き合いだから、聞かなくてもどういう行動を取ったか分かるって」
「すまない」
「だから、謝らなくていいって」
ダートはアークの頭をグシャグシャと撫でるとジェリドを抱える男へ向かう。
「あの。コイツやばかったりしますか?」
「ん? 術式で眠らせているだけだ。命に別状はないよ」
「そうですか」
胸を撫で下ろすダートの姿にアークの胸は重くなった。
第一位の魔術師でも解毒不可能な毒に犯されている事を告げるべきかを迷う。
「身体の傷は術式で何とでもなるからな。それに傷は術師の勲章って言うし。だからお前もそんな顔すんなって」
自分の罪悪感を軽くしようと笑顔を向けるダートに対し、アークは何も言えなかった。
目を伏せ黙るアークの頭を再び撫でるとダートはジェリドを抱えている男へ向き直った。
「あの、コイツ俺が引き受けます」
友人を受け取ろうと手を差し出す。
「んー。おいちゃん見た目通り雑な術式しか作れないから、ちょっとでも離すと術が解けちゃうんだわ。悪いけどこのまま目的地までおっちゃんが抱っこしとくな」
そう断るとお世辞にも優しそうとは言えない笑顔を作って見せた。男はジェリドを抱えたまま荷台の奥へ行き、運転席とを隔たる壁を小突くように何度か蹴飛ばした。
壁に設置されている小窓から人が覗く。
「出せ」
窓の向こうの人物が頷き、少しして荷馬車は動き出した。
救出され、自分の家の騎士がいる事から疑ってはいないが、行き先が分からないと不安を感じてしまう。念の為にとチェブランカの手下に確認する。
「あの、この馬車は何処へ向かうのですか?」
「何処って赤毛の旦那のとこだよ」
「先生……。赤毛の人は何処で待っているのでしょう?」
「んー。ノエル家って聞いてるよ」
「このまま直接向かうのですか? 彼らも一緒に?」
ダート達を途中で降ろしはしないのかと問う。
「全員取り合えず連れて来いって言われてるからね」
「そうですか」
アークは手下の男から離れダート達へ近付く。
「皆、もう暫く付き合ってもらう事になるけど大丈夫ですか?」
「は? 何言ってんの。元々付き合わせてるの俺達じゃねーか」
「つーか。俺等普段から遊び歩いているから一週間くらい家に帰らなくても問題ないし」
「そうそう」
「気にすんなって」
四人それぞれが背中を叩き、アークの心配を払拭した。
「それじゃ、目的地までの時間が勿体無いから情報交換でもするか」
ダートに促され一緒に長椅子に腰を下ろすと反対側にバークが座り、トライルとトルカは正面にと床に座り込んだ。
「まずは後方支援が出来なくて悪かった」
ダート頭を下げるとそれに習い他の三人も次々と頭を下げた。
「いえ……」
「情けない話だけど俺ら四人とも眠らされちまってな」
「え?」
「そうそう。準備万端で合図を待っていたらいきなりガツッとな」
バークが衝撃を受けた場所を摩りながら言うと、情報を捕捉するようにトルカが続けた。
「多分雷撃系の高電圧電流だと思う」
「つーか、強烈な衝撃を食らって直ぐに意識飛んで、次に目を覚ましたら組んでいた術式が破壊されてたんだよ」
苛立たしいげにトライルは零す。
「目を覚ましたって言うより起こされたんだけどな」
「そう言えばダート。お前はイグルに起こされたんだっけ?」
「イグル?」
「ああ。ジェリドイコール俺達が近くに居るって思ったみたいで俺等を探したらしいんだ」
「彼が……」
「でもよ、お前達が捕まったかもしれないから助けに行った方が良いって言うなり、自分は行く所があるってどっか行っちまいやがったんだよアイツ!」
「それは……」
主《あるじ》第一主義の彼らしい選択であるし、主以外は興味も価値も持ち合わせていない彼にしては上出来な行動と言える。
だがイグルがどのように育てられたかを知らないダート達は額に青筋を立て、眉間に深い皺を刻み口元を奇妙に歪めて愚痴る。
「誰の所為でこんな事になっていると思ってんだよなぁ?」
「本当だよな」
「つーか、アイツは舐めてんのか?」
「予想通りの反応だけど、ムカツクな」
「お前もそう思うだろアーク?」
同意を求められ「否」とは言えず曖昧に頷いて誤魔化した。
「次ぎ会ったら冷静でいられる自信がねーよ。アイツの鼻にピーナッツ詰めちまうかもしれないな」
「つーか。デコピンあんどしっぺの刑じゃねぇ?」
「いや、全身くすぐりの刑だろう?」
「いやいや。裸で土下座でしょ?」
トライルの提案した刑に四人は沈黙した。
「……」
「……」
「……」
「……」
各々その光景を想像し、溜息を吐く。
「無いな。アイツを裸にしたらしゃれになんねーよ」
「つーか。変態になった気分になる」
「アイツは裸で土下座ぐらいじゃ泣き入んないって。俺等の方が精神的ダメージ食らうわ」
「確かに」
想像だけでダメージを食らった四人にアークはやんわりと話の軌道修正すべく質問をする。
「それで、高電圧電流を流した相手を見てはいないのですか?」
四人は顔を見合わせ、同時に首を左右に振った。
「後ろからいきなりだったからな」
「そうですか」
ソディンガルの雇った術師の仕業だろうかと考える。
だが、屋敷に居た術師の中に雷撃系は居なかったはずだ。
雷撃系でなかったとしても魔術師であれば使えるかもしれないが、自分が対峙した魔術師は雷撃系の術式を上手く中和する事が出来ていなかった。たぶん基本属性が雷撃系を苦手とする水系なのだろう。
第一、自分達が捕まった時点で禍々しい部屋に術師は全員揃っていた。
もしかしたら中だけでなく、外を巡回する役目を負った術師が居たのかもしれない。
そう考えれば納得がいく。
だが、もしもそうでなかったとしたら……。
ダート達を襲った人間がソディンガルが雇った術師でなかったとしたら。
全てが意味を変える。
黙ったまま何かを思い悩む姿にダートはアークの抱いた疑問を口にする。
「イグルは餌だったのかもしれないな」
「彼を使って誰かを誘き寄せようとしたんでしょうか?」
「多分な。でもそれは俺達じゃない。俺等が目的なら今頃連れ去られているか、殺されるかしていただろう」
「確かに。俺達は偶々連れ去られるところを目撃して、勝手に追跡しただけだからな」
「つーか。変態貴族にイグルの事をリークした奴にとって俺等は予定外の事だったんじゃないか?」
「それじゃ、その誰かは予定が狂った為、早々に退散したのでしょうか?」
「そうなんじゃねーの?」
イグルを餌に誘《おび》き寄せる事が出来る人間。
暗殺一族サトゥー・クだろうか?
もしくは彼が現在仮の主としている者だろうか?
それとも自分が知らない誰かなのだろうか?
存在の見えない相手とその目的を思案するが答えなど出る訳も無く、溜息が零れた。
胸に渦巻く気持ち悪さをそのままにアークは自分がオルソン邸に潜入してからの出来事を説明した。
勿論ジェリドの名誉に傷が付くような事は伏せて。
そうしている間に荷馬車は目的地へと近付いていた。
荷馬車が止まり、促され下車するとそこはノエル家の敷地内であった。
裏門から入ったらしく辺り一帯を木々に囲まれ、屋敷は遠くに屋根が見えるだけであった。
ノエル家の騎士である男が先導する形で歩いていくと、普段は使われていない別邸へと辿り着いた。
アークは何度か訪れた事のある別邸の扉を開き中に入ると、普段使われていないというのが信じられないくらいに磨き上げられた床に驚く。
天井や壁など清掃の行き届いた廊下を進み中央広間に行くと、反対側の廊下から赤毛のメイドは近付いてきた。
「たった一日で随分と男前になったなアーク」
敵わない相手に立ち向かったアークを称える言葉なのかもしれないが、何も出来ず誰も救う事が出来なかったアークにとっては皮肉にしか聞こえなかった。
「あんたがヴェロニカさんですかい?」
最後尾に付いて来たチェブランカの手下はジェリドを抱えたまま無遠慮に近寄った。
「こいつ、ちょっと厄介な事になっているみたいなんですよね……」
ヴェロニカは外套に包まれた少年を覗き見た。
「あの時のメイドか」
ヴェロニカは外套の隙間から手を滑り込ませ胸から腹部を撫でた。
「何この程度、問題無い」
体内の毒に気付いていないのだとアークは口を開くが、声を発する前に金色の双眸にそれを制された。
「アーク。大丈夫だ」
声には全て承知しているという響きがあった。
アークは言葉を飲み込むと頭を下げた。
彼を助けて下さいと。
四人の少年達も次々と頭を下げた。
「お前達腹が減っているだろ?食事を用意させておいたから適当に食ってろ。私達はこいつの治療をしてくる」
「先生。付いて行っていいですか?」
「駄目だ」
「邪魔はしません」
「付いて来たいと言っている時点で邪魔をしているだろうが」
「ですが」
「何か。貴様は私を信じられないのか?」
「そんな事はありません」
「ならそっちの四人と仲良く飯でも食っていろ」
そう言うとヴェロニカはジェリドを抱きかかえている男を伴って屋敷の奥へと消えて行った。
中央広間に取り残されたアークは助けに来た騎士に勧められ、着替える事にした。
騎士は何を何処に用意してあるかを聞いていたようで、案内された部屋には普段着用している服がテーブルに幾つも置いてあった。
騎士に礼を言い、部屋に一人になったアークは緩慢な動作でテーブルに近付くと適当な服を手に取った。
ふと部屋の片隅に置かれた姿見に映る自分の姿が視界に入り、そちらへ足を向ける。
手が触れる程まで近付き、見ると酷い有様だった。
髪はボサボサ。顔色は青白く、目元は赤く腫れ、頬には涙の跡が残っていた。
裸に外套を羽織っただけの惨めな姿。
これが今の自分なのだ。
才能があると言われ、父のようになれると信じ努力した。
結果同年代の少年に比べ剣術師の階位は上にあるが、それだけだった。
誰も・・・自分すら守れない力の無い子供。
アークは目頭が熱くなるのを感じ、歯を食い縛った。
今は泣く時ではないと。
毒に犯され苦しみ続けている友人を思い、必死に涙を堪えた。
着替え顔を洗い身形を整えて戻るとダート等四人の姿は無かった。
騎士に案内され食事の用意されている部屋へと移動すると、扉向こうから騒がしい声が聞こえ扉を開くと、四人の少年達は食卓を囲み忙しなく食べ物を口に運んでいた。
食事と言うより腹ペコの獣が餌に貪り付いている様な光景に呆気を取られていると声が掛けられる。
「ようアーク。先にやっているぜ」
ダートは手にチキンを持ってまま手を振り、他の三人も魚や肉などを手にしたまま手を振って見せた。
振り返り挨拶をしたバークがテーブルへと向き直るとそこに一瞬前まであった物が消えうせたらしく大きな声が上がった。
「あぁ! それ俺のだろうが!」
正面に座っていた犯人を睨みつける。
「何言ってんの。こういうのは早い者勝ちでしょ?」
悪びれ事無くトルカは奪い取った串刺しの焼き魚をバリバリと食べてしまった。
大切な焼き魚を失ったバークは大皿に盛られた骨付きチキンを五本まとめて自分の皿に乗せるとトルカに向かって不適に笑ってみせる。
「あぁー! 一気取りは反則だろう?」
「知るか!」
取られまいと皿を抱えるようにして食べるバークに向かってトルカは食べ終わった焼き魚の骨を投げつけるが、対象物にぶつかる事無く骨は床に落ちた。
とても貴族の食事風景とは思えない光景に固まっていると、むくれ面のトルカの隣で熱心に麺類を頬張っているトライルが口に入れた麺を飲み込むと、口を開いた。
「つーか、ボォーとしてっとお前の分、なくなっちまうぞ」
それだけ言うと、再び怒涛の如く麺を啜り出した。
ジェリドの件で気落ちしている上、四人の余りに見事な食べっぷりに当てられ、食事を辞退すると伝えた。すると尻に軽い膝蹴りが入った。
「何言ってんだよ。何時戦闘になってもいいように食える時に食って、眠れる時に寝る。術師の基本だろうが」
ダートに肉料理の乗った皿を無理矢理に手渡され、仕方なしにナイフとホークを探し視線を彷徨わせる。
「何探してんだ?」
「ナイフとホークを……」
「んなもん使ってたら食いぱくれるぞ。男なら素手で行け!」
それはマナー違反であり行儀の悪い事だ。
躊躇いを覚え固まっているとダートが肘で腕を突っついて催促する。
「ほら早く」
見れば麺類を食べているトライル以外の者は皆素手で食べている。
郷に入っては郷に従えでは無いが、ここでマナーに固執するのは無粋だろうと肉を一切れ摘み口に運んだ。
咀嚼し飲み込んだ。
更に乗せられた五切れの肉を全て食べ終わる頃には四人に対し妙な親近感が生まれていた。
いい事でも悪い事でも同じ行動を取る事で仲間意識が芽生えるという。
それだろうかと思案していると次から次へと料理が差し出された。
一口ずつではあったがそれら全てを食べていくと四人の表情が徐々に緩んでいくのが分かった。
ジェリドの事で誰よりもダメージを受けている自分を元気付けようとしてくれている。
仲間意識を持たせる事で『一人で落ち込むな』と言われている気がして胸が詰まった。
泣いては更に気を使わせてしまうと涙を飲み込む。
「有難う御座います」
震える声で礼を言い、アークはただ只管に出された物を食べ続けた。
騒がしく行儀の悪い食事が終わって暫くすると重厚な扉が開き赤毛のメイドが入って来た。
弾かれたようにアークは席を立ち駆け寄る。
「先生。彼は……」
「問題無いって言ったろ?」
力強い微笑みを向けられジェリドが助かったと確信し、安堵から力が抜け崩れ落ちそうになるのをヴェロニカの腕が支えた。
「確りしろ」
「すみません」
体勢を立て直し支えの手を離れると、ヴェロニカは四人の少年に向かって声を掛けた。
「お前達、需給の術式は使えるか?」
四人は顔を見合わせるとダートとトルカの二人が手を上げた。
「俺等二人だけですけど使えます」
「二人だけか。まぁいい。あの小僧は治療で相当体力を消耗している。最低でも三日は目覚めないからその間、交代でエネルギー供給しろ」
「あの、俺達は?」
バークとトライルが問う。
「役立たずに用は無い。好きにしろ」
ハッキリきっぱり言われ困った二人は伺いを立てるようにダートを見た。
「行くぞ」
促され、役立たずの烙印を押された二人共に立ち上がり扉に向かう。
「奥にある青い扉の部屋だ」
ダートは赤毛のメイドに礼を言うと出て行った。
トルカ、バーク、トライルが出て行く中、それに続こうとするが腕を掴まれた。
「何処へ行く?」
「私も彼に付き添います」
「剣術師の貴様が付き添って何になる?」
「それは……」
「お前には別にやる事がある。付いて来い」
手を引かれ部屋を出る。
そのまま引き摺られるようにして歩いて行くと地下へと続く階段へと行き当たった。
「先生。一体何ですか?」
「付いてくれば分かる」
別邸を訪れる度、冒険と称してアークは地下室に潜り込んでいた。
その時は何も無いただの空間だった。
そんな場所に何の用があるのだと疑問に思いながら光の術具に照らされた階段を下りて行く。
地下室の扉の前に辿り着くと、ヴェロニカは封印の術式を解いて重厚な扉を開けた。
外の光が一切入らない地下室内は暗く、何も見えない。
だが、何か生き物の気配を感じ室内を探っていると、掴まれたままの腕を引っ張られ部屋の中に押し込められた。
闇に目が慣れるよりも早く室内に設置されていた術具に光が灯り、眩しさから目を伏せる。
少しして光に慣れ、瞳を僅かに開くと部屋の真ん中に猿轡《さるぐつわ》をされ全身を布で包まれ拘束された人物が横たわっていた。
無表情の顔が無言で睨みつける。
訳が分からず、アークは背後のヴェロニカを振り返る。
「先生。何で彼が……」
ヴェロニカはアークの問いには答えず床に横たわった少年へ話しかける。
「約束通りご主人様を連れて来てやったぞ。銀髪」
否を訴える様に眉を寄せ目を細める少年を見下ろしながらヴェロニカは地下の扉を閉じた。
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