59 / 91

繭の中-22-*

 屋敷とは扉一枚で隔離された地下室は、篭った空気と術具による薄暗い灯りにより重苦しい雰囲気に包まれた。  屋敷の四分の一程の広さのある室内で拘束具を着けられ横たわる少年は、不当な扱いに対する怒りを表す様に唸り声を上げる事も身体を動かす事もせずに、無言のまま紫水晶《アメジスト》の瞳が問う『何故』と。  問いに答えられないアークは再びヴェロニカに詰め寄る。 「先生、ちゃんと説明して下さい。何故彼が此処にいるんですか?」 「何、主の元へ戻ろうにも肝心の居場所が掴めずにいたんでな、主の居場所を教えてやると言って連れ込んだだけだ」 「連れ込んだって……」  ヴェロニカの思惑は分からないが、冷たい石造りの床に拘束されたままの少年を不憫に思い、兎に角拘束具を外そうと一歩踏み出すと、肩を捉まれた。 「無駄だ。あの拘束は私以外には外せない」 「なら今直ぐに外して下さい。大体何で拘束なんかしているんですか?」 「拘束しておかないと逃げられるかも知れんだろうが」 「彼を捕らえておく必要なんか無いでしょう!」 「必要ならある」 「どんな必要ですか!」 「あの銀髪を貴様の物にする」 「何言って……」 「別におかしな話じゃないだろう。銀髪は仮ではなく正式な主を欲しがっているし、貴様は銀髪を欲しいと思っている。なら貴様が主になれば全て丸く納まるだろう」  声の調子は明るく冗談を言っているように聞こえるが、ヴェロニカが本気で言っているのが分かりアークは狼狽える。 「何を…言っているんですか。主だなんて……私は彼と友達になりたいだけです」 「銀髪に友達と言う概念はない」 「だからって主になるなんて無理です」 「ならこいつを見捨てるのか?」 「見捨てたりなんかしません」 「貴様が主にならないのなら見捨てるも同然だろう。貴様がならないのなら別の人間が主になるのだからな」 「それは……」 「まともな人間が主となれば良いがな。その可能性は低いぞ。むしろソディンガルの様なクズがなる可能性の方が高い。それでもいいのか?」  数十分前までジェリドを嬲り楽しんでいた男の名前に怒りから身体に力が入る。 「毒を食らった友達より酷い目に遭うぞ」  目の前で繰り広げられた凶行が鮮明に浮かび上がり、奥歯を強く噛み締める。 「サトゥー・クで生き延びただけあって物覚えは良いのだろうし、何よりこの器量だ。さぞかし優秀な性玩具になるだろうな」 「止めて下さい」 「治癒術式を使えばそこそこ重症を負っても直ぐに治るからな。休む間もなく性の相手をさせられるだろう。一日で二十人か三十人かそれともそれ以上かな?」 「止めて……下さい」 「家畜より酷い扱いを受けながらも生き続けんだ。主の命だと言って。命が枯れ果てるその日まで」  自分で考える事も判断する事も出来ず、主の命であれば疑問を持たずに遂行するだろう少年の行く末が容易に想像が付きそれを払拭するように叫ぶ。 「止めて下さい!!」  だが、心無い人間の非道な行いを目の当たりにした直後なだけに、嫌な想像は消えはしない。 「私が口を閉ざしたところで銀髪の運命は変わらない。そんな事分かっているんだろう?」 「分かって…います。分かっていますが、私では彼の主にはなれません」 「何故そう思う」 「それは……」  自分が弱いからだ。  誰も……自分すら守れない人間が、人の上に立てるの器であるはずがない。  それを痛感したばかりだというのに主になどなれる訳がない。  言い訳をするように零すとヴェロニカは困ったように顔を歪めた。 「アーク。確かにお前は弱い。だが、弱いからといって何も出来ない訳じゃないだろう?」  問いに答えず、俯く。 「第一位の術師ほどの強さがなくとも銀髪の主になる事は出来る」 「そんな簡単に言わないで下さい。彼は私なんかを主とは認めませんよ」 「そうでもないぞ。先程聞いたが、自分より強ければ何でも良いらしい」  ヴェロニカが指を弾くと猿轡と全身を包んでいる布の拘束の効力が失われずるりと落ちた。 「そうだったな?」 「……はい」  イグルは拘束具から抜け出ると、静かに立ち上がった。 「種族、年齢、性別は関係ありません。私より強い方。私を縛る事の出来る方なら誰でもいい」 「だそうだ。どうする?」  問われアークは答えられなかった。  ひと一人の人生を背負う重さに決心がつけられず、目を伏せる。  一人思い悩んでいるアークを余所にイグルは術式を紡ぎ、氷の短剣を手にした。  感情の無い瞳をアークへ向け、淡々と告げる。 「私の主になるのなら、貴方の強さを示して下さい」  冷たく光る剣先を向けられ、イグルが何を言わんとしているかを察しアークは動揺した。 「イグル。私は……貴方と友達になりたいんだ」 「主以外は要りません」 「私は……」 「主になる気が無いのなら私に拘《かかわ》らないで下さい。迷惑です」  暗い瞳と硬質な声に拒絶されアークは言葉を飲み込んだ。  主を唯一絶対としている彼に、主以外の言葉は届かない。  主になりたい訳ではない。  彼を従えたい訳でもない。  だが、自分が主にならなければ彼はジェリドが受けた非道な扱いを……。  それ以上の残虐な扱いを死ぬまで受けるかもしれない。 「駄目だ……」  手を伸ばせば届く距離にいるのだ。  力を込めれば掴む事が出来るのだ。 「貴方が酷い目に遭うなんて嫌だ」 「貴方の感傷など知りません」 「そう……だな」  自嘲気味な笑みを浮かべ、アークは術式で甲殻鎧《こうかくがい》の剣を紡ぐと、イグルへゆっくりと剣先を向ける。 「我が名はアーク・エス・ノエル。剣と魂にかけて貴方を倒す」  意を決し表情を引き締め静かに誓いの言葉を口にすると、イグルは剣を構え直した。 「主になると言うのなら、私を蹂躙して下さい」  それだけ言うとイグルは一気に距離を詰めた。  急所を躊躇い無く狙った剣先を甲殻鎧《こうかくがい》の剣で受け止める。  力を上手く逃がし剣を流すと僅かに生まれた隙に剣を振り下ろすが、イグルは豹の様なしなやかな動作でそれをかわしすぐさま距離を取ると、体勢を立て直し再び斬りかかる。  イグルの攻撃は鋭く的確だった。  だが、それ故に防ぎやすかった。  急所のみを狙った剣は読み易く、閃光の様に次々と繰り出される氷の刃を受け止めてはイグルを吹き飛ばした。  壁に、床に、叩きつけられながらもイグルは立ち上がる。  相手の隙を突き、息を止める暗殺者にとって接近戦に特化した剣術師との正面からの斬り合いは部が悪く、撹乱と揺動の為に術式を駆使するが、それら全てを容易く薙ぎ払い叩きのめす。  力の差は歴然だった。  これ以上の戦いは無意味だとアークは言い聞かせるが、イグルは剣を収めようとはしない。  自分かあるいは相手が死ぬまで戦いを止める気はないというように斬りかかって来る。  どうすれば剣を収めさせる事が出来るのかと思案しているとイグルの言葉が思い出された。 『私を蹂躙して下さい』  負けを認める程の決定的な痛みを与えなくてはいけないのかと陰鬱な気持ちになる。  だが、遣らねばならないと鼓舞し斬り込んで来たイグルの剣を弾き飛ばすと、蹴りを叩き込む。防御壁の術式で威力は削げ落とされたが、大きく崩した体勢を取り戻す前に筋力強化と雷撃系の術式を施した拳を腹部に叩き込んだ。  防御壁を張られはしたが、それを打ち破り拳は標的を捉えた。  腹部に受けた衝撃からイグルは床に崩れ落ち胃液をぶちまけた。電撃系の痺れと肋骨粉砕された苦痛に顔を歪めるイグルに対し申し訳なさからアークは苦悶の表情を浮かべる。 「もういいだろう。貴方より私の方が強い事は証明された。負けを認めてくれ」  汗を浮かべ肩で息をしながらイグルは立ち上がる。 「私はまだ動けます」  失われた剣の変わりに再び氷の短剣を紡ぎ出す。 「これ以上の戦いは無意味だ。退け!」  答えの変わりにイグルは剣を構えた。  力は示した。  痛みも与えた。  なのに何故負けを認めてくれないのかと困惑していると、それまで静観していたヴェロニカの声が割って入った。 「アーク。力量差を認め潔く負けを認めるのは騎士のルールだろ。そいつは騎士じゃない」 「でも、これ以上戦っても結果は変わりません」 「貴様とそいつの認識は違うんだよ」 「そんな…一体どうすれば……」 「さっきからそいつ自身が言っているだろう。蹂躙してくれってな。歯を砕き骨を粉砕し肉を潰し指の一本も動かせないくらいに叩きのめしてやれば良いだけだ。まあ、半殺しにするのが面倒なら手っ取り早く四肢を切り落としてやればいい。流石に身動きが取れない状態になればそいつも負けを認めるだろう」  非道な要求に目の前が暗くなる気がした。  勝負は決しているのに。  まともな戦闘は不可能な相手を甚振る事は騎士道精神に反する為、躊躇いを覚える。  アークの葛藤など知らないイグルは痺れたままの身体で斬りかかって来る。戦闘開始直後とは比べ物にならない程の鈍い動きで。  アークは向けられた剣を難なくかわすと足を払い、イグルを床に倒した。  仰向けに倒れたイグルの首筋に剣を突きつける。 「この剣を引けば貴方は死ぬ。それくらい分かるだろう?」  イグルは苦痛に顔を歪めていたが、表情を固定したまま無言でアークを見詰める。 「負けを認め、剣を捨てるんだ」  剣に力を入れると表皮が切れ、白い首から血が流れた。  これなら負けを認めるだろう。  いや、認めてくれと祈る気持ちだった。  暫く睨み合いを続けると負けを認めない限り剣を退かさないと言うアークの決意を理解したのか、イグルは言葉を発する事無く瞳を閉じ、手にしていた氷剣を離した。  やっと負けを受け入れてくれたのだと、安堵の息を吐くとアークは甲殻鎧《こうかくがい》の剣を消失させた。 「イグル」  呼びかけると閉じていた瞳を開いた。  アークが手を差し伸べると意味が分からないと言う様にイグルは微動だにしない。  痺れを切らしたアークが手に捉まるように指示するとおずおずと手に触れてきた。  震える手を握り締め引き起こすと勢い余ってイグルが倒れ込み、アークは自分と変わらない大きさの身体を確りと受け止めた。  それと同時に鈍い痛み。次に焼けるような痛みを右腹部に覚えた。  信じられない気持ちで目の前の少年を見ると、先程まで苦痛に歪んでいた顔は凪いだ水面の様に静かだった。痛みなど初めから無かったかの様に。  何処から何処までが演技であったのか分からないが、勝利を確信し警戒を解いた標的が近付いて来るのを狙っていたのだ。  そうとは知らず、愚かな自分はまんまと彼の策略に嵌ってしまった。  彼が暗殺者である事は初めから分かっていたのに。  相手の隙を窺いそっと忍び寄り、息を止める人間だと知っていたのにこのザマかと自分の迂闊さを呪っていると、今だ身体を密着させたままのイグルが耳元に唇を寄せた。 「私を蹂躙できない人間は要りません」  感情のこもらない声で言い捨てると同時に、無慈悲な氷の短剣はアークの腹を引き裂いた。

ともだちにシェアしよう!