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繭の中-33-
伝書の術式は本来は国外に飛ばす事も可能だが、他国への機密漏洩《きみつろうえい》を防ぐ為に国内限定となるように国のお抱え術師によって設定されている。
逆に言えば国内であれば何処に居ても伝書鳥は相手先にまで飛んで行く。
飛んでいかない理由としては相手が術式を反射する術を発動あるいは術具を使用している場合。
そして国外に居る場合。
最後に相手が既に死んでいる場合だ。
アークが術式を反射する術を発動しているとは考え難く、最後の理由は口にしたくもなかった。
そんなジェリドの心を察してか、イグルは大丈夫だと確約した。
「私とアーク様は見えない鎖で繋がれています。万が一にもアーク様に何かあれば繋がりは断ち切られるはずです。今はまだ何の変化もありません。急いで探しに行きましょう」
「ああ、そうだな。でもどうやって探せば……」
「ノエル家の力を頼りにする事は出来ませんか?」
「ノエル家の魔術師ならアークの居場所を突き止められるだろうけど、居場所が分かっても俺等には教えてくれない」
「何故です?」
「俺等がガキだから」
「ああ、なるほど」
確かに危険を伴う救出に力のない子供を巻き込むまいとノエル家当主は何も教えてはくれないだろうとイグルは頷いた。
「それに居場所が分かったとしても、助けに行くには俺等だけじゃ戦力不足だぞ」
「でしたらアーク様が捕まったとノエル家に知らせ、救出部隊に紛れ込むとか……」
「駄目だ。ノエル家は十貴族だ。力が大きい分滅多な事じゃ兵を動かせないし、動かすにも色々手続きがあって時間がかかり過ぎる」
アークの安否が知れず一分一秒を争う時に悠長に手続きを待ってなどいられない。
「ジェリド。自由に動かせるお金はありますか?」
「これでも貴族だからな、三年くらいなら遊んで暮らせるくらいには持ってるけどよ」
「行きましょう」
「は? 何処にだよ」
「金さえ払えば何でもする連中のところにです」
ノエル家の業者にアークが国外に連れ出された可能性がある事を告げると、二人はジェリドの杖に跨り中央街を目指した。
ヴェグル国一の繁華街であるプーレは衣食住その他揃わない物はないと言われている。
二人は美しく整えられ飾り立てられた街で一番大きなギルドに駆け込み魔術師の契約を申し込んだが、緊急事態にて国からの要請で魔術師は勿論、剣術師も借り出されてしまったと断られた。
仕方なく別のギルドへ向かうがそこでも断られ、また次のギルドでも同じだった。
表通りのギルド全てに断られジェリドはシム家当主である父に泣き付く事を考えた。
シム家に関する事なら兵を出してくれるだろう。
だが、事はノエル家に関する事である。無用な軋轢を作らない為にと無視をする可能性が高い。何より十貴族ではないにしろ貴族であるシム家の兵を国外に出すとなったら時間がかかる。やはり駄目だと頭《かぶり》を振り考えを打ち消した。
残る手段はもうこれしかないだろうと、成るべくなら近寄りたくなかった下街へ向かう事を決めるとイグルと共に向かった。
貧しい人々の吹き溜まりである下街《そこ》は湿った空気とすえた臭いが鼻につく。
日が落ちきっていないというのに路上には娼婦や美人局《つつもたせ》。違法な物を取り扱う売人。隙あらば他人の物を掠め取ろうと目をギラつかせている者。酒か薬か絶望の末にか道端で死んだように眠っている者がいる。
そんな場所に一目で金持ちの子供だと知れる魔術師学校の制服を着て歩けば、すぐさま取り囲まれる事となる。
低位とはいえ魔術師である二人ならば街のごろつきなど相手ではないが、無駄な争いを避けるべくジェリドは姿変えの術式で自身とイグルの姿を老齢の剣術師崩れへと変えた。
見かけないよそ者への警戒を露にした視線を受け流しながら石作りの路地を歩いて行く。
直ぐに見つかると思っていたがギルドは中々見つからず、仕方なく路で客引きしている娼婦に金と等価交換で貰った情報を頼りに進むと、どうみても酒場にしか見えない建物の看板に娼婦に教えられたギルド名が書かれていた。
<竜の鱗>
年季の入った木製の扉を開ければ、玄関脇に二階へ続く階段。そして反対の左手側に酒瓶が陳列された棚とカウンター。四人掛けのテーブルセット五つと店内も酒場にしか見えなかった。
本当にここはギルドなのだろうかといぶかしみながら中に入ると、カウンター内のスキンヘッドの男が笑顔を見せるが、次の瞬間には外れクジを引いた子供の様に顔を顰めた。
「残念。好みのおじさまが来たと思ったのに子供だなんて」
野太い声に似合わない女性口調で言われ、ジェリドは隣のイグルを見て姿変えの術式が解けている事に気付いた。
「ここはギルドよ。しかも底辺のね。店内で術式を発動させない処置はしているわ」
確かに血気盛んな術師達が何かをきっかけに喧嘩を始めたら店はただじゃすまないだろう。
適切な処置だと思うが行き成り子供だとバレた事に舌打ちする。交渉以前に店からつまみ出されてしまうかもしれないと。
「それで、お上品な上流階級のお子さんがこんなクソの掃き溜めに何の御用かしら?」
『帰れ』と一喝されると思いきや、用件を訊ねられジェリドは肩透かしを喰らいつつも訊ねた。
「第一位の魔術師で空いている人間を探している」
「あらん。もしかしてその愛《ラブ》の手錠《チェーン》の解除がお望み?」
「質問に答えろ」
「あらあら。カッコいいわねぇ」
スキンヘッドの男はグラスをカウンターに二つ置くと意味ありげな視線をジェリドに向け。
「でも、場所と相手を選んで口を利かないと駄目よ。でないと惨殺《バラ》されちゃうから気を付けて」
唇を尖らせキスの真似をして見せると、そう優しく忠告した。
口の利き方に気を付けろと忠告され、ジェリドが身構えるとスキンヘッドの男は胸の前で両手を小刻みに振り身をくねくねと捩らせた。
「ああん。違うの! 誤解しないでね。私は良いのよ。生意気な男子《コ》、好きだし。ただね、ここは荒くれ者が集まるところだから気を付けてねって話よ。だからそんなに構えないで。それよりオレンジジュース飲む?」
オレンジ色の液体の入った瓶を見せられ、ジェリドは首を振った。
「いや、いい。時間がないんだ。空いている魔術師がいないなら帰るよ」
そう断り踵を返すと、二階に続く階段を軋ませ重量感ある足音が近付いて来た。
自分達が帰ろうとしたタイミングで人が下りて来る事に胸騒ぎを覚え、イグルの腕を掴むと足早に玄関へ向かうが、ジェリド達が扉に辿り着くより早く足音の主は姿を現した。
記憶に新しいその顔に、ジェリドの心臓は跳ね上がった。
オルソン邸で自分を捕らえた巨漢の剣術師を前に本能的に後ずさり身構える。
明らかなジェリドの動揺にイグルは背に隠すようにしてジェリドの前に立つと、何時でも氷の剣を出せるようにと構える。
敵意に満ちた二人の態度に巨漢の男は僅かに眉を寄せるが、興味なさそうに視線を外すとそのまま扉を開き出て行った。
遠退く気配にほっと息を吐いた次の瞬間、別の気配に全身の毛が逆立つ。
「あれ? 豚のところにいた栗毛と銀髪じゃん仲良くお手繋いで何やてんの?」
階段へ目を向けると巨漢の男同様あの日オルソン邸に居た額から頬にかけて斜めに走った傷の男が立っていた。
二人は再び身構え相手の動向を伺うが、傷の男はヘラヘラと薄ら笑いを浮かべ、軽い足取りで階段を下りてくる。
「魔術師学校でヤバイ事が起こってるって術師が招集されている中、当の魔術師学校のガキがこんなところでうろうろしているっていうのは楽しげなニオイがするな~」
「失せろ! 剣術師に要はない」
「ああ? それは魔術師に用があるって事か?」
「お前には関係ない」
傷の男を無視して出て行こうとするが、扉に手をかけるより前に男の足が行く手を遮った。
「今、何処のギルド行っても術師はつかまんねーよ。けど、俺なら腕の立つ魔術師を紹介してやれる」
「お前の世話にはならない」
睨み合う三人の只ならぬ雰囲気にスキンヘッドの男はカウンターから身を乗り出し傷の男に怒鳴る。
「ちょっとヘルシング! 可愛い男子《コ》苛めたら私が許さないわよ!」
「うるせぇな。禿は黙ってろ」
「禿てないわよ! こういう髪型よ!」
ぎゃんぎゃと喚くスキンヘッドの男を無視してヘルシングはジェリドへ顔を僅かに寄せる。
「そんな警戒しなくても平気だって、これ見ろよ」
ヘルシングは首に巻いていたストールを外して見せた。
首には被支配者の証である首輪型の術具が嵌められていた。
「豚のところではしゃぎ過ぎた所為でこの通り。怖い爺さんにペナルティを喰らっている最中。許可ないと百パーセントで戦えねーの」
「怖い爺さん?」
「ああ。お前達を迎えに来た怖い爺さん。知り合いだろ?」
正直なところオルソン邸で薬を入れられて以降の事はジェリドは良く覚えていないが、後日アークによって何があったかを聞いて知っていた。
ヴェロニカが友人であるチェブランカに頼み込み、それに応じて自分達を助けに来たのだと。
チェブランカ――。
闇社会を一手に仕切っている男だ。
当然腕の立つ術師を幾人も抱えているだろう。
そして、秘密裏に国外に出て行く手段も持っているに違いない。
普通なら子供である自分達など相手にしない大物だが、ヴェロニカの知り合いである自分達を門前払いにはしないだろう。
会って貰えるなら交渉次第で術師を貸してもらえるかもしれない。
金なら多少ある。
足りなければ相続予定の土地を売ってでも支払う。
「その顔は決心が付いたか?」
ヘルシングに差し出された手を払い除け。
「怖い爺さんのところに案内しろ」
そう告げた。
スキンヘッドの男に礼を言い、ヘルシングに促されるままに<竜の鱗>の奥の部屋に入ると、部屋の中央に白色の扉が一枚浮かんでいた。
「ちょっと待ってろよ」
そう言って傷の男は首輪の装飾品を一つ摘むとそれを扉に押し当てると扉は青く変色した。
男は扉を開くとジェリドとイグルを手招きし、中に入るように促すが、扉の向こうは真っ暗だった。
飛び込めばそのまま奈落の底に落ちてしまうのではないかと思うほどに。
「時空固定が出来るのは数十秒だけだ。さっさと入れよ」
ここまで来て悩む事は無いと二人は何処へ繋がっているかもしれない扉に飛び込んだ。
生徒会準備室で使用した転移術具同様浮遊感の後に突き落とされる感覚に身構えると、王宮と見紛う程立派な室内に居た。
一目で高価だと分かる調度品に囲まれた部屋の奥で見覚えの無い老齢の男とそれより十歳は年下に見える男が向かい合ってチェスをしているようだった。
二人ともただそこに座り駒を動かしているだけだが、胃が引き攣るほどの存在感にジェリドは息苦しさを覚え、呼吸が荒くなるのを感じた。
「戦闘狂。ここは託児所じゃねーぞ」
老齢の男が盤上から視線を逸らす事無く言うと、ヘルシングは惚けて見せた。
「だって戦いのニオイがするんのに無視するとか無理だしよ」
「戦いたかったら勝手に戦っていろ。ガキをこんなところに連れて来るんじゃねーよ」
ノーモーションで老齢の男がナイフを五本まとめて投げつけるが、ヘルシングは難なくそれを剣で跳ね返す。
「魔術師学校と兵士養成所の二箇所から国中のギルドが緊急招集で掻き集められている。ヤバイ事が起きるのは明白だ。けど皆で仲良くダンスを踊るのは俺の好みじゃない。誰にも唾付けられていない獲物と戦《や》りたいんだよ俺は」
「さっきも言ったが、戦いたいなら勝手に戦え。俺を煩わせるな」
「煩わせる気なんかねーよ。許可さえしてくれりゃ勝手に戦うさ。俺はな。けど、こいつらには魔術師が必要なんだよ。なぁ?」
そこで初めて話を向けられ、ジェリドは居住まいを正した。
二人の遣り取りから老齢の男がチェブランカなのだと判断し、先程魔術師学校での出来事を簡略化して説明した。
「このタイミングで国外に連れ出されたんだ。きっと化け物を仕掛けた奴と繋がっている。何としても探し出して取り戻したい。その為に魔術師と何人か剣術師を貸して欲しい。金なら払う」
そこまで話すと漸くチェブランカはジェリド達の方へ向き直った。
「話しは分かった。だが、ガキの金なんかで兵は貸せねぇな」
「金が駄目なら何が望みだ。土地かそれとも……」
威厳を纏った巨体は静かに立ち上がると、ゆっくりとジェリドへ近付く。
距離が縮まるごとに圧迫感を覚え、身体に力が入る。
後ずさらないようにと。
「金も土地もお前が稼いだもんじゃねーだろうが」
「なら……」
「いいか小僧。お前は貴族だ。生まれた時から当たり前のように金があり、使ってきた。そんな金に何の価値もねぇ。大事を成すならそれ相応の物を提示しなきゃ取引は成立しねぇ。そうだろ?」
巨体はジェリドの前で歩みを止め、厳《いかめ》しい顔で問う。
「小僧。お前は何をもって支払う?」
重苦しい空気に押し潰されそうになりながらジェリドは硬く息を呑み込んだ。
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