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繭の中-44-

『うかうか殺されないように銀色の足枷を付けてやったというのに、簡単に死にやがって』  ――そんな苦笑交じりの愚痴が遠くに聞こえた。  人の気配にアークは重い瞼を開くが、視界がぼやけ何も見えなかった。  ただ、感触から頭を預けている枕も身体を包んでいる布団も何もかも良く馴染んだ自身の寝具である事が分かり、安堵から目を閉じ深く息を吸い込み吐き出した。  戦場で戦っていたはずなのに何故自室にいるのか。  現実だと思っていたものは全て夢だったのだろうか。  そんな事を考えながら落ちかける意識を引き戻し、瞼を抉じ開けた。  焦点が合わないまま目を彷徨わせていると、ベッド脇に置かれた椅子に赤い外套を着た赤毛の人物が座っているのが目に入った。  微動だにしない赤毛の人物を見詰めていると、暫くしてぼやけていた顔が鮮明となる。  出国したはずのヴェロニカが居る。  一体何時戻って来たのか。  それとも出国したという記憶自体が夢だったのだろうか。  鈍く纏まらない思考を巡らせているとあらぬ方向から声がかけられた。 「目が覚めたか」  聞き覚えのある声にアークは咄嗟に傍らに座るヴェロニカを見るが、表状筋一つ動かした気配もなく眠っていた。  ならばと、身体を起こし部屋を見回す。すると赤い外套に身を包み部屋の中央に置かれたソファに身を沈め、寛いでいるヴェロニカの姿があった。 「せん…せ…い……?」  見間違いかと再び視線を椅子の人物へと戻すが、やはりそこには眠ったままのヴェロニカが居た。  ヴェロニカが二人居る。  双子なのだろうかと混乱しながら近付いてくる気配の方へ視線を向ければ、ヴェロニカがベッドへと腰をかけていた。 「気分はどうだ。吐き気、痛み、眩暈、違和感はないか」 「いえ」 「そうか。なら成功だな」 「ヴェロニカ先生……」 「私は先生じゃない。貴様と時を過ごしたのはそこに座る六番目の方だ」  六番目――。  それが何を意味するのか分からず目の前のヴェロニカをただ見詰める。 「双子……だったんですか?」 「いや、双子じゃない」 「それじゃあ……」  訳が分からず混乱するアークを余所にヴェロニカは少し考え込み「……それだけなら良いか」と独り言を零した。 「評議の結果、私達の身内となった貴様に少しだけ教えてやる事になった」  評議とは何時誰と行《おこな》ったのか、何よりも身内とはどういう意味なのかを尋ねようと口を開く。 「あの……」 「シーッ。黙って聞け」  質問を封じるように人差し指で押さえられるが、指よりも目力により頷かされる。 「質問は後だ。兎に角話を聞け。いいな?」  頷くとヴェロニカは微笑み、少し長くなるからと起こした身体をベッドへ戻され、アークは寝かされた。 「今から話すのは数千年も昔の話だ」  そう断りを入れ、ヴェロニカは語りだした。 「あるところに二人の魔法使いが居た。一人は男。もう一人は女だった。人の理から外れた二人は莫大な時間を使い魔法を研究し続けた。無限に近い時間を手に入れた男はある日言ったそうだ。『世界を平和にしよう』と――」  力強く静かな声はそのまま続ける。 「時間に縛られず絶対なる力を手に入れた魔法使い二人は自分達になら出来ると確信し、平和への活動を始めた。男は世界を巡り争いの火種を消し、既に始まっている戦いを沈静化し続けた。女は男の為に研究室に篭り術具の製作に勤しんだ。何年も。何十年も。何百年も。二人は多くの国を助け、多くの民を救い、世界を平和へと導いていた」  そこまで話し、ヴェロニカの声に嘲りが混じった。 「だが、善であれ悪であれ力に対し反発する者は現れるものだ。自分達こそが正義だと信じる者達によって男は殺された」  苦々しさの混じる言葉にアークは魔法使いの女の正体がヴェロニカではないかと思ったが、魔法使いは男が一人。女が一人。という言葉に人数が合わなくなると思い直し、黙って話しに耳を傾けた。 「男の死を知った女は、怒り嘆き悲しみ、必死に男の残骸を掻き集めた。骨の一欠けら細胞の一つも残さずにな。女は集めた男の欠片と持ちうる全ての知識と技術を注ぎ、男の複製品を作った」  人を作る。  それは禁忌の魔法とされている。  理由は魂の尊厳を守る為とされているが、それ以前に成功例がない為である。 「出来上がったそれは見た目も声も匂いも何もかもが完璧に再現されていた。ただ一つ性格を除いてはな。女は次こそはと二体目を作った。それは外見も性格もオリジナルそのものだったが、唯一性別が違っていた。三体目四体目と作るが完璧なものは出来ず、五体六体と作り続けた。結局十三体作っても完璧なものは出来なかった」  やはり人を作るなど無理なのだとアークは思った。 「女は絶望し、紛い物の背中に製造番号代わりに番号と同じ枚数の羽根の刻印を入れ、男が行っていた調停者という役目を与えると、研究室から追い出した。良く似た別の物が視界に入るのが我慢ならなかったんだろうな」  ヴェロニカは苦笑し、記憶の彼方へと馳せらせていた視線をアークへと戻す。 「ここまで聞けば分かるな。女が作った紛い物。それが私達だ」  予想外の言葉に思わずアークの口から素っ頓狂な声が出た。 「え?」 「何を驚いている?」 「失敗したんじゃ……」 「失敗しているだろう。私はこの通り女性体だからな」 「それだけですか?」 「性格も違うらしい」  失敗とは人の形をなしていない。もしくは言葉を理解できないものだとばかり思っていたアークは驚きから目の前のヴェロニカを凝視した。 「あまり熱っぽい目で見詰めるな。キスしたくなる」 「すみません!」  とんでもない忠告に慌てて視線を外す。 「あの、オリジナルの方とは違うのかも知れませんが、人を作る事には成功したんですね」 「人じゃない」 「え?」 「人に良く似た入れ物を作り、臓器に近いものを詰め込んだだけの紛い物」  外した視線を再びヴェロニカへ向ける。 「魔力核を原動力とした、ただの自律思考型の人形だ」 「先生……」  言葉に寂しい響きを感じ思わずそう呼んでいた。 「さっきも言ったが、貴様と過ごしたのは六番目に作られた奴だ。私じゃない。まぁ、情報の並列化をしているからな。六番目も私も同じようなものだがな」  言葉の意味が分からずに眉根を寄せていると、それに気付いたヴェロニカは説明をした。 「情報の並列化っていうのはな。私が体験した記憶を他の人形達も共有するって事だ。逆に六番目と貴様が出会ってから別れるまでの記憶を私や他の人形達も持っている」 「そう……なんですか?」 「ああ。交わした言葉全てを知っているからな、私も六番目《そいつ》も同じようなものだが、厳密には違う。だから六番目《そいつ》は貴様の為に戻り、カーテラスの生き残りの為に私達が来た」  今回の戦いの原因となった国名を聞き、貫かれるまでの記憶が一気に押し寄せた。 「あっ……みんな……!」  飛び起き、ヴェロニカの腕を縋るように掴む。 「皆は……無事ですか!?」 「安心しろ。カーテラスの人間以外に死人はいない」  それは逆に言えばカーテラスの人間は死んだという事になる。 「アレイスター先輩は……」 「魔道書と共に無に返した」 「無に……」 「材料に使われた人間の憎悪に侵食されながらも、僅かに正気を保てたのは妹への執着からだったみたいだが、妹に良く似た貴様を自らの手で殺してしまった事で完全に精神を崩壊させたからな。助けたところで元には戻れなかっただろうし、あれだけの事をやらかしたんだ。死刑は免れない」  多くの無関係な人間を私怨に巻き込み、アーク自身も酷い目に遭わされた。  アレイスターには怒りを感じていたが、死んだと聞きショックだった。  カーテラス国の王宮に拉致された時に自分が上手く立ち回っていれば救えたのかもしれないと後悔が湧き起こる。 「貴様が気に病む事はない。あの生き残りはその目で何もかも見て知っていたのに都合の悪い現実から目を背け虚構の世界に逃げたんだからな」 「虚構の世界って……」 「私が国を滅ぼしたって言う偽りの世界だ」 「それじゃあ……」 「国を滅ぼしたのはカーテラスの王だ」 「王?」 「ああ。当時の王ウィンスターの仕業だ」 「王が何故……」 「生き残りの側近と城の書物庫の資料から得た情報から推察すると、カーテラス王家は剣術師の家系でな、体格に恵まれ剣術師としての才能に富んだ王が多かったらしい。だが、ウィンスターは貧相な体格な上、剣術師としての才能が皆無だった。そのコンプレックスからだろうな術具の研究に没頭し、そして魔道書に行き着いた。魔道書は作るのに生贄が必要な外道の術具だ。ウィンスター王も囚人を使った魔道書だけで満足していれば良かったんだがな。人とは欲深い。より強い力を求め無辜《むこ》の民まで材料に使い始めた。村一つ分の人間を使い。二つ分を使い。そうして馬鹿な虚栄心の為に民を喰い潰していった」  イグルがカーテラス国について報告した村や町が頻繁に消滅していた理由はこれだったのかと愕然とする。  術具の為に民を生贄に捧げるなんて許される事ではない。あってはならない事だと、過去の出来事にも拘らず、憤慨し奥歯を噛む。 「何故誰も止めなかったんですか」 「相手は王だ。否を唱えれば自分やそれに連なる人間が生贄として使われる事を恐れたのだろうな」 「そんな……」 「仕方ない。人は誰でも自分が可愛いものだ。自己保身の為なら他人の不幸には目を瞑る」  人の弱さはどうしようもないものだと分かっていても、納得出来ずにアークは歯噛みする。 「止める者もなく、尽きる事のない力への渇望からウィンスター王は魔道書の改良を繰り返した。 そして魔道書の力が大きくなるにつれ、材料とされた民の残留思念も大きくなり侵食され、取り込まれたウィンスター王は狂い、暴走した」 「カーテラスの術師は何もしなかったんですか?」 「いや、カーテラスの術師達も必死に魔道書を……王を撃退しようと試みたようだが、相手は魔術師千人分の力を持つ術具だ。歯が立たなかったんだろう。私がカーテラスに着いた時には国はほぼ壊滅していた」 「そんな……」 「私達は国と国との争いに割って入るのが使命なんだが、ウィンスター王を放置すると他の国にも滅ぼしかねないので仕方なく介入する事にした訳だ」 「それで、十三人で魔道書に勝ってしまったんですか?」 「いや。あの時、集められたのは私を含めて五人だ」 「たった五人で、ですか!?……」  一国の術師が束になっても止められなかった魔道書をたったの五人で止めてしまったのかと、型破りな強さに驚くアークにヴェロニカはしれっと答える。 「ウィンスター王の作った魔道書は単純な作りだったからな。解術用の術式を作るのは難しくなかった。 とは言え、解読するのに半日。解術を紡ぐのに半日とかかってしまったがな」  それでもたった一日だと、改めてヴェロニカの非常識に言葉を失った。

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