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繭の中-46-
ヴェロニカがバルコニーから出て行くと何時も以上に自室が広く感じた。
まだ暫く寝ていた方が良いとの言葉にベッドへと戻り目を瞑る。
夢と現を行ったり来たりしているとバルコニーに人が降り立つ音が耳に入った。
もしや忘れ物でもあったのだろうかと、身体を起こすと想像とは違う人物が立っていた。
「ジェリド……」
名を呼ばれ、ジェリドは顔をグシャグシャに歪めた。
「アーク。テメェー心配かけやがって……」
ズカズカと無遠慮にベッドまで近寄るとジェリドはアークの胸倉を掴んだ。
「勝手に人を助けて死にかけてんじゃねーよ!」
「ジェリド、すまない」
「謝るな。バカ野郎!」
アークというより、自身の不甲斐なさに対する怒りで顔を赤く染め怒鳴るが、相手は病み上がりだと思い出しジェリドは声を控えた。
「兎に角無事で良かった」
「私はこの通りだ。それより他の皆は? ダート達は無事か?」
「あいつらは俺より軽傷だったし、何より逃げ足だけは速いからな。問題ねぇよ」
「それは良かった」
他の友人達の無事が分かりほっと一安心するが、自分から決して離れようとしなかった友人の姿がない事に違和感を覚えた。
ジェリドがこうして会いに来ているというのに、彼がいないのは……。
嫌な予感を振り払う為にと訊ねる。
「イグルはどうした?」
「イグルは……」
「怪我が酷いのか?」
「怪我はしていない。ピンピンしているよ」
「なら……」
何故ジェリドと共にやってこなかったのか。
その訳を探るようにジェリドを伺い見ると、先程とは別の理由で顔を赤く染め、表情を歪め頬を振るわせる。
「ジェリド」
「あいつは……」
「イグルは何処だ?」
「あいつ、自分を売りやがったんだ!」
「どういう……意味だ?」
「お前を助けに行く力を貸してくれってチェブランカに頼んだんだ。対価は金で支払うって言ったんだけど、自分で稼いだ金じゃなきゃ駄目だって突っぱねられて、それで……あいつ、借りが返せるその日までチェブランカの為に暗殺者として働くって言いやがって……」
「何故、今まで話してくれなかったんだ」
「お前に言ったら、その時点で商談は破談。ディランのオッサンを引き上げさせるって言われてたんだよ」
苛立たしげに吐き捨て。
「さっき、もう一度掛け合ったんだけどよ。駄目だったんだ」
掴んでいた胸倉を離した。
「……ごめん」
目の前の友人には似つかわしくない小さく弱々しい謝罪にアークはその手を取った。
「行くぞ」
「行くって……?」
「イグルを迎えに行く」
「何言ってんだよ、そんな身体で」
「身体はもう何でもない。大丈夫だ」
「でもよ……」
「今、彼を迎えに行かなければ私は一生自分を許せなくなる。だから頼む」
命の恩人に頼まれては否とは言えない。元よりイグルを迎えに行きたいと思っていたジェリドは固く頷く。
「分かった」
ベッドから下りようとするものの、まともに立てないアークはジェリドの身体に紐で括り付けられ箒に乗ってバルコニーから外へと飛び立った。
中央街から下街へ向かい、そこで箒から降りるとジェリドに姿変えの術式で老人へと姿を変えると今度はジェリドの背におぶわれて進み、漸く<竜の鱗>の看板を掲げたギルドへと辿り着いた。
中に入ればヘルシングとスキンヘッドのマスターがカウンターを挟んで顔を付き合わせており、二人の姿を見るや否やマスターは両手を上げ喜び、それとは対照的にヘルシングは苛立たしげに舌打ちした。
「何で来るんだよ」
「バカね~。愛よ。愛!」
懐から金を取り出しカウンターに叩き付ける姿からジェリドが再び訪れるのを二人が賭けていたのは明らかだった。
「何度も来やがって!」
「あのよ……」
ジェリドの用件を聞くより早く顎で奥の扉を指す。
「爺のところに行くんだろ。付いて来い」
鼻を鳴らし立ち上がる傷の男の後ろに続いた。
奥の部屋に設置された転移術具で移動した先は王宮と見紛う程立派な室内だった。
部屋の中央ではオルソン邸に乗り込んできた老齢の男と部下らしき男が向かい合ってチェスを指し、少し離れた場所にディランと共にイグルが控えていた。
「ここは託児所じぁねぇと、何度言わせる気だ戦闘狂」
チェブランカが睨むとヘルシングは悪びれもなく嘘を吐いた。
「だってよ。連れてってくれないと嫌だーって泣き叫ぶからよ~」
「適当ほざきやがって」
ただそこにいるだけで胃が引き攣るほどの威圧感を放つチェブランカを前に、病み上がりのアークの身体は重さを増し気持ちが萎縮するのを感じたが、イグルの姿を前に気持ちを奮い立たせ、言葉を発した。
「我が友を返して頂きたい」
チェブランカは鼻を鳴らすとアークへと視線を向けた。
「返せだと? 人を人攫いみたいに言うんじゃねぇよ」
「いえ、私は……」
「大体、人と話すのに随分な格好じゃねぇか。そんなんで話しが出来ると思っているのか?」
指摘され、みっともない格好をさらしていたとジェリドの背から下りるが、脚は骨を失ったかのようにまともに立てず、その場に座り込んでしまった。
「話しがしたいならテメェーの脚でここまで来い」
足を踏み鳴らされ、アークは四肢を動かし床を這うようにして進もうとするが身体が言う事を利かず、進めない。
「アーク」
「一人で大丈夫だ」
助け起こそうとするジェリドを制止、アークは手足を動かしゆっくりとチェブランカの元へと近付く。
じっとりと全身に汗を掻きながら漸く辿り着くと、チェス版の置かれたテーブルを掴み震える脚で立ち上がった。
「イグルを……返して下さい」
「馬鹿を言うな。これは俺とあの銀色との約束事だ。テメェーの出る幕じゃねぇんだよ。とっとと帰れ」
「彼が貴方の力を借りたのは私を助ける為です。私が仮を返すのが道理です」
「俺が約束したのは銀色だ。奴が払うって言う以上こっちに変更は無《ね》ぇ。変更したけりゃテメェーが銀色と話し合え」
そう言われ、アークはイグルへと視線を移した。
「イグル……」
「これは私とチェブランカとの話しです。アーク様には関係有りません」
目を合わせる事無くそう言い放つ姿からイグルの意思が固い事が伝わるが、引く訳には行かなかった。
「イグル、私が払う」
「結構です。アーク様はこのままお帰り下さい」
「お前を置いて帰れると思うのか?」
「主人の為に奴隷が働くのは当たり前の事です。お気になさらないで下さい」
「イグル、私の願いを無視するのか?」
願いと言われ、一瞬イグルの視線が彷徨ったが、それだけだった。
「主人に不利益を招く願いならば無視致します」
頑として譲らないイグルの姿勢に、このままでは埒が明かないと歯噛みする。
手が無い訳ではない。
決して使いたくなかった手だが、再び暗殺者として働かせる事を思えばと胸に刻まれた術式を押さえ、ヴェロニカの言葉を思い出す。
念じればどんな事でも従う――外道の術式。絶対服従。
「イグル、私に従え。戻るんだ!」
アークは言葉と共に強く念じた。するとイグルは痛みを堪えるように胸を押さえ、息苦しそうに唇を震わせた。
決してその場から動こうとはしないイグルを見えない鎖が縛り、無慈悲に従わせる。
意思とは関係なく主人の下へ引き摺られるように歩かされた。
苦痛に歪む友の顔に心を痛めながらもアークは戻れと念じ続け、手元に来たところでそれを止めた。
震える友をその手に抱き、チェブランカへ向き直る。
「見ての通り彼は私の下僕だ。否は無い!」
アークの言葉にチェブランカは目を細め。
「下僕である彼の借りは、主人である私の借りだ。私が払う!」
感情の無い冷めた目で見下ろした。
「払うって息巻くのは良いが何で払うって言うんだ。テメェーで稼いでいない金は受け取らねぇぞ」
「私に出来る事なら何でも」
「ガキが軽々しく何でもなんて言うんじゃねー。俺がオルソンの豚と同じ人種だったらどうすんだ? ケツを使わせるのか?」
「それは……」
「出来ねーだろうが。泥水啜った事もないガキが上等な口を叩くな」
言葉も無かった。
剣術師としての術式を失った今、まともに戦う事も難しい。
そんな身体で何が出来るのか分からず、自分の言葉の薄さに頭が下がった。
「小僧。お前は弱い」
「……はい」
「使えないガキに遣らせる仕事はうちにはねぇんだよ。分かったらさっさと帰れ」
返す言葉は無かったが、友人の手を離しはしないと固く抱きしめる。
「イグルを置いてはいけません」
「ガキのおままごとに付き合うほど俺は気が長くねぇぞ」
鋭い眼光と共に空気が動いた。
攻撃を受けると本能が告げたが、アークはそれを無視し真っ直ぐチェブランカを見詰めた。
一瞬にして鋭く冷えた剣の感触が首に突き立てられアークは呼吸を止め静止した。
「小僧」
息を吸い込んだだけでも刃は皮膚を貫き肉まで刺すと分かっていたが、呼びかけを無視する訳にはいかなかった。
「はい」
返事によって首から血が流れたが、この程度の覚悟で許しては貰えないだろうと、アークは静かに相手の出方を待った。
力を失った今、覚悟を見せるしかないのだと真摯に見詰めていると、チェブランカは詰まらなさそうに鼻を鳴らし術式で紡いだ剣を解いた。
「数年後。お前が今より使えるようになっていると仮定してだ。俺が困っている時に今日という日を思い出すと約束するか?」
唐突な問いに何を問われているのか分からずに答えをあぐねいていると、返事を催促する苛立たしげな声がかけられる。
「どうなんだ」
「は…はい」
「ならいい。今回のはツケにしてやる。銀色と茶色のガキ連れて帰れ」
「え?」
「何度も同じ事言わせる程、無能なのか?」
「いえ……」
本当に帰っていいものか、確信が持てずに動かずにいると、チェブランカはディランに言いつけた。
「ガキが側に居ると身体が痒くていけねぇ。さっさと追い出せ」
ボスに一礼するとディランは両手にアークとイグルの肩を抱いて出口へと促した。
半ば抱えられるように歩くアークは身体を捻り、チェブランカへと顔を向けた。
「あの…有難うございました!」
アークの心からの礼にチェブランカは煩わしい物を振り払うように手を振って見せた。
廊下に出るとディランはイグルから手を離し、まともに歩く事の出来ないアークを横抱きにした。
男が男に横抱きにされるのは気恥ずかしく、アークは慌てて横抱き辞退を申し出る。
「あの、自分で歩きますので……」
だが、ディランはそれを笑って流した。
「そんな身体で何言っているんだい? 説得力ないよ」
「ですが……」
「黙っておいちゃんに抱っこされておきなさい」
良いから良いからと恩人に宥められ、それ以上何も言えずアークは大人しくした。
静まり返った大理石の廊下に三人の足音を響かせながら進むと、不意にディランが「良かったね」と零した。
「チェブランカのオヤジは本来ツケなんか認めないんだよ」
闇社会のドンたる男がツケなど認めたら商売にならない。
それくらいの事はアークにも分かった。
「ヴェロニカさんが目をかけている子供達って事で今回だけ特別なんだ。分かるだろ?」
「はい」
「二度目はない」
言葉も硬い声にも明らかな拒絶が感じられ、アークは返事をする事も出来ずに黙った。
無言のまま廊下に足音だけが響き、重い空気のまま玄関に到着すると、ディランは玄関床に描かれた術式の円陣の中に入り、イグルとジェリドにも入るよう促した。
転移術式で送ってくれるのだろうかとアークがあたりを付けていると、突如ディランに抱き締められた。
一体何事かと硬直していると、頭の辺りの匂いを嗅がれ、更に混乱した。
「あ…あの…」
「日向の匂いがするね」
「日向…です…か?」
困惑の表情のアークを余所に、ディランはアークを下ろした。
「光りの匂い。明るい世界の住人だね」
ディランは微笑み続けた。
「ここはね、闇の世界に生きる者の場所だ。君達が来ていいところではないよ」
オルソン邸。カーテラス国。そして魔術師学校での戦闘で多大なる世話になった人物からの拒絶の言葉にアークは勿論、ジェリドも寂しさを覚え、ただ黙ってディランを見詰めた。
ディランは言葉とは裏腹に何時もの優しげな笑顔のまま円陣から抜け出した。
「二度と来ちゃ駄目だからね」
「あの……」
「おいちゃんとの約束だよ」
その言葉を最後にアーク達三人は転移させられた。
三人が飛ばされた先は中央街にある国立公園だった。
ジェリドの箒に乗ってノエル家に戻れば、部屋の扉から出てくるはずのアークが玄関から現れた事によって屋敷にどよめきと混乱が走った。
部屋前で出待ちしていた父を始め執事にメイド、そして来客の人間は直ぐに玄関へと駆けつけアークの無事な姿を前に安堵から喜び泣いた。
父に抱きしめられ、屋敷の者一通りに回復の祝いの言葉を貰い、剣術師学校の学友から見舞いの品と言葉を貰うと最後に黒髪の兄弟がアークの前に立った。
「やぁ、アーク。まずは礼を言わせてくれ」
そう断りラグナは魔術師学校での一件の礼を述べた。
「君達三人のお陰で生き延びる事が出来た。有難う」
誠実で温かい笑顔にアークも笑顔で返していると、ラグナの後ろに聳え立つログが複雑怪奇な顔をしていた。
「ログ。ほら、お礼を言うんだろう?」
兄に促されて半歩前に出るが、口を開けないまま俯いた。
不甲斐ない弟の姿にラグナは素早くアークの側に近寄り耳打ちした。
「実は我が弟は、私の命の恩人である美少女に恋をしてしまったそうなんだ」
美少女という単語に思わずイグルを見るが、面白そうにラグナは先を続けた。
「青いドレスを着た金髪の美少女だよ」
ラグナの言葉に今度はアークが複雑怪奇な顔をした。
「必死に命の恩人を探し、本人に行き当たった瞬間に初恋が終わってね。あの通り気落ちしているんだ」
アークの表情から兄が何を耳打ちしたかを悟ったログは顔面蒼白となった。
「ログ…あの……」
どう言葉をかけて良いか分からずに言葉を詰まらせていると、アークの心中を察したログは気まずさからグシャリと顔を歪め。
「あの! 兄を助けて頂き有難う御座いました」
大声で一気に言い、勢い良く頭を下げると、兄をその場に残し逃げるようにして玄関に走って行ってしまった。
不用意に傷つけてしまったかもしれないとラグナを見ると、悪戯っぽい微笑みを浮かべ「有難う」と言った。
「弟にとって私が唯一の存在だったからね。他人に目を向けられただけでも上出来だ」
漆黒の髪と瞳の少年は真っ直ぐに見詰め。
「私も弟も君に会えて本当に幸せだ。帰って来てくれて有難う」
心からの謝意と笑顔で持って帰還を喜んだ。
見舞い客全員に挨拶を済ませると、病み上がりの身体を気遣って父テールスが快気祝いの席を設けると約束し、来客者達に帰って貰った。
怪我が治ってもダメージは身体に残っているからと安静を言いつけられたアークはイグルを連れ、自室へ戻った。
ベッドへ腰掛けるアークの側にイグルは控え。
「何か用がありましたらお申し付け下さい」
召使のように傅《かしず》いた。
アークはイグルの手を掴むと自分へと引き寄せた。
「イグル。今後二度とこんな事はしないでくれ」
「何を言っているのでしょうか?」
「自分を犠牲にして私を助けようとしたりしないでくれ」
「私はアーク様の僕《しもべ》です」
「僕だと言うなら、私のお願いを聞いてくれ」
主人からの命令は絶対のものだ。受諾する以外ないが、主人の不利益になる願い事はどう処理するのが正しいのか分からずにイグルは固まった。
「イグル?」
返事を催促され窮地に陥ったイグルは「善処します」と歯切れの悪い声で答えた。
「善処じゃなくて絶対だ」
主に強く言われては否とは言えず「お心のままに」と頭を下げたが、心の篭らない返事に納得のいかないアークは再三、再四と「絶対だぞ」と言って聞かせた。
それがヴェロニカと出会い、一つになるまでの記憶だった。
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