85 / 91

帰還-1-

 アーク復活を祈る宴の会場に銀髪の魔術師によって吉報が届けられたのは宴会五日目の正午だった。  アークが繭から無事に出て来たと知り、タツミを始め獣人族とレイナはホッと胸を撫で下ろし、魔法使いロロ・ダーナは愛息子と家に帰れると手放しに喜んだ。  直ぐに帰ろうと催促する養父に対しイグルはアークが落ち着くまではこの場を離れないと言い張り、帰る帰らないの押し問答をしているとビーンの森に伝書鳥が飛来した。  金色の梟は真っ直ぐイグルを目指し飛び、目の前で形状を変え伝言を表す。 『いい加減返事しろ!』  伝言はヴェグル国に入って以来、留守を頼んだ魔術師より安否の確認の為毎日飛ばされて来ていた。  だが、アークが繭に閉じ篭っていた事もあり安易に返信出来ないと無視していたが、繭から出た今、返信しても大丈夫だろうと伝書の術式を返すと五分も経たないうちに転移の術式を使って発信者である術者が現れた。  シム騎士団副団長であるジェリド・ゾッド・シム。  アークの友人であるジェリドも今回の救出に同行を申し出たが、騎士団が違う事もあり王より国に留まる事を言いつけられていた。  その為、ノエル騎士団が国を飛び出さないよう、押さえ役を頼んでいたが、血気盛んなシム騎士団を持ってしても熱狂的なアーク親衛隊……もとい、ノエル騎士団を思い留まらせるのは困難だったのだろう。  目は充血し隈は酷く表情には苛立ちと疲れが滲み出ていた。  ジェリドは状況確認の為に周囲を一瞥するとイグルに向かって問い質した。 「こんな所で何やってんだよ!」 「色々ありまして」 「色々あったならあったで連絡ぐらいしろよ!」 「取り込んでいました」 「取り込んでいても連絡ぐらいしろ!」 「別に伝書の術式が届いている時点でヴェグル国に戻っているのは明らかなんですから、問題ないでしょう」  他国への機密漏えいを防ぐため、伝書の術式が相手に届く範囲は国内のみとなっている。  その為、返事を返そうが返すまいが届いている時点で戻っていると分かるからいいだろうと言ってのけるイグルにぶちギレたジェリドはイグルの胸倉を掴んだ。 「問題大有り何だよ! テメェーとの連絡係つー事でありとあらゆる方面から問い合わせが来てんだよこっちは! 人としても騎士団としても報告、連絡、相談が基本だって事くらい理解してんだろ? 何で実行しねぇーんだよ。意味分かねーから!」  噛み付かんばかりの勢いに相当な迷惑をかけたのだろうと、無表情のまま一応の謝罪する。 「すみません。以後気を付けます」 「形ばかりの侘びとか要らねーんだよ。少しくらい悪びれろ!」  誰もが気後れする秀麗の魔術師に対し、平気で怒鳴り付ける栗毛の術者を獣人族は面白そうに眺め、レイナは驚きから硬直し、魔法使いロロ・ダーナは殺気の篭った目で睨みつけ、ギリギリと歯軋りしていたていた。  そんな多種多様の視線に気付いたジェリドは握り締めていた胸倉を放すと、声のトーンを落とした。 「で、何があった」 「まあ、色々です」  一応の謝罪を述べた直後だというにも関わらず、報告しようとしないイグルの首根っこを掴んで木陰に引きずり込んだ。 「ちゃんと説明しろ! お前が話さないならアークに直接訊くぞ。いいのか?」  イグルの唯一の弱点であるアークの名前を出され、無言の抗議を視線で表すと魔王の城での一件は省きこれまでの経緯を完結に話した。 「大体は分かったけどよ、魔族に堕ちかけたっていうのは……」 「魔王に魔力核を埋められた所為のようです。それは取り除いたので、もう心配は要りません」 「そうか」  処理済と聞き一先ず胸を撫で下ろすが、病魔に侵された箇所を切除しても再発の可能性があるように、魔力核を取り除いても不安は残る。  魔王の魔力核を埋められた人間の例などない為、ジェリドは俯き胸に沸き起こる不安に顔を顰めた。 「それでアークはどうしている?」 「あちらの小屋にログといます」  少し離れた場所に建てられた小屋へ友の状態を確かめるべく、向かおうとするジェリドの腕を掴み止める。 「今はまだ……」 「意識が戻っていないのかよ」 「いえ」 「なら問題ないだろうが」 「もう少し待って下さい」 「何でだよ?」  言いよどむイグルから察するものを感じ取ったジェリドは親指を立て小屋を指した。 「そんなに心配なら聞いて来いよ。俺と会えないかどうか」  イグルは逡巡するが、ジェリドに「いいから行け」と尻を蹴飛ばされ、不承不承小屋へ向かい中に入ると、直ぐに戻った。 「それで?」 「お会いになるそうです」  ジェリドはイグルと入れ違うように小屋へと向かうと、頼りない木造の扉を開いた。  それほど広くない部屋の奥に黒く大きな背中が見え、その向こうに干草のベッドに横たわる友人の手足が見えた。  イグルは何も言わなかったが、魔王に捕まっていた半年間。平穏無事に過ごしていた筈はない。  敵国に囚われた捕虜の心や身体が壊される事など当たり前の話だ。  もしも、アークが自分の知っているアークでなくなっていたらと考え足が止まったが、覚悟を決め部屋の奥へと進むと少々やつれた顔の友を視界に捉え、蒼氷色《アイスブルー》の瞳が正気を保っている事に安堵した。  ジェリドの姿を認めたアークは優しく微笑み、弱々しい声で呟いた。 「今度は大人のジェリドだ」 「何だよ。それ」  意味が分からず問い返せば「中等部の頃を思い出していたんだ」と返って来た。 「魔術師学校へ潜入したり、一緒にイグルを助けに行った事。上位の術師相手に戦った事を」 「あったな、そんな事」 「今考えるととても無謀だったけど、良い思い出だ」 「ボコボコにされたのが良い思い出か?」 「苦難を共に乗り越えたからこそ、お前と親しくなれた」  確かに中等部時代に出くわした事件がなければ十貴族であるアークとは一生縁が無かったかもしれないと同意すると、アークが突如顔を歪めた。 「そう言えば、お前のメイド姿は中々衝撃的だった」  思い出したくない黒歴史を引っ張り出され、ジェリドは顔を引き攣らせた。 「そこだけキレイに忘れとけ!」  鬼の形相でそう言い放つと、アークは楽しそうに笑った。  その姿にジェリドもログも安堵から身体の力が抜けた。  笑えている。  このまま自然豊かなこの場所で過ごせば心の傷が癒えるのも早いかもしれない。  自ら帰りたいと思えるようになるまでそっとしておきたいと思うが、そういう訳にもいかず、ジェリドは干草のベッド脇に膝をつきアークを見詰めた。 「半年間良く頑張ったな」  アークの手を取り握り締める。 「お前に休養が必要なのは分かっているけど、皆がお前の帰りを待っている」  握った手に更に力が篭る。 「お前が魔王に捕らわれたと知らせを受けてからずっと嗜好品を断って無事を祈っている多くの民がいる。捕虜引渡しが決まってから一週間ろくに食事も取らず、眠る事も忘れて帰還を待ち続けている奴がいる。俺んところの団員がお前の所の奴らを抑えているが、それもそろそろ限界だ。辛いだろうが、一度戻ってくれ」  静かに見詰めるだけのアークに更に言葉を重ねる。 「待っている奴らにお前の無事な顔を見せ終わった後、お前が望むなら全力で一緒に逃げてやる。国外だろうが世界の裏側へだろうが、だから……」  ふと、アークの頬が緩み。 「またお前の杖に乗るのも悪くないな」  杖に二人乗りした事を懐かしみ微笑むと、アークは視線をジェリドから外し天井を見た。  静かに何度か瞬きをし、大きく息を吐き。 「そうだな。帰らなくてはな」  そう二人に告げた。

ともだちにシェアしよう!