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帰還-2-
アークの帰還が決定し、ビーンの森は騒然とした。
イグルは直ちに魔法使いであるロロ・ダナーと言い包め共に転移術具製作に取り掛かり、ジェリドは湯浴みと着替えの用意をし、ログは小屋に何人たりとも立ち入れないようにと見張りに立った。
用意が整い次第帰還すると知り快気祝いの宴を開く気でいた獣人族は一日でいいから出立を遅らせてくれと小屋の外から訴えるが、アークの変わりに戸口に立ったジェリドに容赦なく断られ、横暴だと捲くし立てたが取り合っては貰えなかった。
どうあっても出立を遅らせて欲しい獣人族は村でも若くてキレイな女達を集めお色気で懐柔しようと小屋へ差し向けるが、あえなく玉砕。
もしやと思い今度は若くて雄雄しい男を集めジェリドへと差し向けるが、風の術式で吹き飛ばされて終わった。
策が尽きた獣人族は止むなしと最終兵器を持ち出した。
「あの、わたしたちみんなでお祝いのお歌れんしゅうしたの。だから、おねがい。いかないで」
「いかないで」
「いっちゃやだ」
小屋の入り口に押しかけたのはイヌ科やネコ科の耳や尻尾を生やした五歳前後の愛らしい子供達だった。
丸い瞳を潤ませ、ふるふる震えながらお願いされ、流石のジェリドも一瞬言葉に詰まったが、使命の名の下に心を鬼にした。
「駄目だ」
あえて無表情なまま低く硬い声で断ると、子供達は耳と尻尾を垂らし俯いた。
今にも泣き出しそうな子供達の姿に居た堪れなくなるが、使命全うの為だと無視し、扉を閉めた。
胸に罪悪感を抱えながら小屋での用事を済ませたジェリドは術具製作の進行具合を確認する為、広場に向かった。広場には転移術具を作るイグルとロロの姿があり、無表情な友に声を掛けようと口を開くが、背後から自分を呼ぶ声に気付き振り返るとタツミが駆けてきた。
「なぁジェリド、一日とは言わないから半日だけでも出立を遅らせられないか?」
最終兵器をも退けたジェリドを何とかして説得するように頼まれたのだろう。真剣な眼差しで頼み込むタツミにジェリドは本日何度目かの溜息を零す。
「あのな。アークは一分一秒でも早く帰らないといけねぇーんだよ。お前等と飲んでる暇はないんだよ」
「なら五時間くらいなら……」
「駄目だ」
「じゃぁ、三時間……」
「駄目」
「ええい! 一時間でどうだ!」
「どうだじゃねー! 駄目なもんは駄目だ!」
「そこを何とか。皆アークと飲むのを楽しみにしてたんだ。な? 頼むよ」
両肩をつかまれ力一杯前後にがくがくと揺すぶられながらも駄目だと言い続けるジェリドに、ただ只管頼み続けるタツミ。
どうあってもうんと言わない相手にどうすれば良いのか分からず頭を抱え吼える。
「何で駄目なんだぁぁぁぁぁぁ!」
揺すぶられ過ぎて目を回し、足元をふらつかせながらもジェリドは答える。
「何度も言うけどな、アークが戻らないと国が傾きかけないような状況何だよ。分かったら大人しく引き下がれ!」
少々キレ気味に言われ、困ったタツミは側で淡々と作業をしているイグルに泣き付いた。
「おい、銀髪。お前からも何か言ってくれよ」
助けを求められたイグルはタツミを一瞥するが「諦めて下さい」と、素気無く断り転移術具の設置を続けた。
魔術師二人に袖にされたタツミは広場を後にし、アークへ直接願い出ようと小屋へ向かった。
入り口に立ちはだかるログと目が合い、剣の柄に手を掛ける仕草に一瞬躊躇《ためら》うが、構わず一歩を踏み出すものの命をかけて入り口を守るという覚悟を全身に漲らせた騎士の姿に気圧され、踏み出した足を元に戻し肩を落とした。
そんな兄の情けない姿に妹のミキは容赦なく「ヘタレ」と言い捨てた。
転移術具を設置し終えたイグルは報告の為に小屋へ向かうと暫くしてアークと共に出て来た。
小屋を取り囲むように集まっていた獣人族は繭から出て以来初めて目するアークの姿に興奮し、口々にその名を呼んだ。
「「「「アーク!」」」」
アークはざわめく獣人族の間を突き進み、ガース親子の前に立つとアークは頭を下げた。
「お礼及びお詫びが遅くなりすみません。俺自身が皆さんを送り届け、ご家族に説明と謝罪をするべきですが、一刻も早く帰還しなくてはいけない身なので許して下さい」
何処の誰か正確な事は知らないが、察するに貴族のそれも相当地位の高い人間にそのように謝られガースは口をへの字に曲げラーイとウタは恐縮し、手と首をブンブンと左右に振った。
「いや、俺らは全然平気なんで、お願いですから頭上げて下さい」
ラーイにそう言われ、下げていた頭を上げると、微笑んだ。
アークの甘い笑顔に兄弟は忙しなく振っていた手や首が止まり、無意識のうちに零していた。
「ハンパねぇな……」
「なんか胸がむずむずする……」
通常より感謝を伝える時の方が魅惑の効果が増大されるアークの笑顔から善良なる兄弟を救うべく、後ろに控えていたイグルが笑顔を遮るようにして兄弟の前に出た。
「私が主に代わりに皆さまをお送りします」
ガース親子を転移術具を設置した広場へと導いて行くと、ジェリドとロロが待っていた。
術具によって四角く区切られた空間へ親子を誘導していると、両手いっぱいの荷物を持ったタツミとミキが現れた。
「これあんたらに土産だってよ」
「はい、どうぞ」
タツミからは酒や果物を渡され、ミキからは料理長ドルワーからは料理の詰め合わせが渡された。
「悪いなこんなにいっぱい」
「なに、あんたらが来てくれたお陰で上手い料理にありつけたんだ。これくらい何でもねーよ」
「今度は飛空挺で遊びに来てね」
挨拶を済ませたガース親子が所定の位置に付いたのを確認したイグルは自らも空間に入り、ジェリドを見た。
「恩人方を送ってきます。それが済み次第……」
「親父さんと家に帰るんだろ?」
「は?」
「聞いたぞ。アークを助ける為に親父さんと約束したんだろ」
「それは……」
見れば何時の間にか術具内に入り込み真横に張り付くようにして立っていた養父は『してやったり』と言う顔でにやけている。
「余計な事を……」
舌打ちし、告げ口した養父を睨みつけるが、愛息子に見詰められていると好意的解釈をし相好を崩す姿にイラつきが増すだけだった。
「アークの事は俺達に任せて家でゆっくりして来い」
アークの事を思えばゆっくりなど出来る訳はないが、少しでも気が休まればとジェリドなりの気遣いの言葉だったがイグルは無表情の顔に影を落としぼそりと零した。
「心配です」
「あ?」
意味が分からず聞き返すが。
「あなた達だけでアークを守れるのか……」
返って来た言葉にジェリドは額に青筋を立てた。
「喧嘩売ってんのか? ああ? 何時でも買ってやるぞこの野郎!」
「喧嘩なんて売っていません。ただの本心です」
「なお悪いわ! お前、今直ぐ転移しろ! んで、家帰ったら暫く戻ってくんな!」
シッシッと追い払うように手を振るジェリドに「直ぐに戻ります」と断り、転移術具を発動させ、ガース親子らと共に消えた。
タツミ達と戻ると、アークは獣人族たちに別れの挨拶をしていた。
「アーク。術具が空いたからよ、俺達もそろそろ帰るぞ」
声を掛けると名残惜しむ獣人族に手を振り、側に居たレイナの手を取って歩いてきた。
「タツミ。忙しない別れですまない。落ち着いたら改めて挨拶に来るよ」
「おう。楽しみに待っているからな」
固い握手を交わすとタツミはアークを抱きしめた。
「ちゃんと会いに来いよ」
そう念を押され、アークはタツミの背中を軽く叩きながら「約束する」と告げた。
タツミとの別れの挨拶を終え、術具が設置された広場で待っていると直ぐにログと料理長のドルワーは現れたが手には果物の入った籠を幾つも持っていた。
「何だよそれ」
「断ったんですが、快気祝いだと持たされました」
申し訳なさそうにログは答え。
「獣人族の皆さんはお優しいですな。ひょひょひょ」
ドルワーは楽しそうに笑った。
転移術具の座標修正を行っていると見送りの為に村中の獣人族が集まっていた。
「皆、有難う」
アークが叫ぶとそれに答えるように獣人族全員が自らの胸を拳で二度叩き、その拳を空高く掲げた。
「我らは仲間だ。何時でも来い! 困った時は呼べ!」
タツミの言葉を最後に景色は歪み、浮遊感に包まれた。
歪んだ景色が戻るとそこはノエル邸の裏庭だった。
ノエル家当主であるテールスだけには伝書の術式で本日帰還する事を告げていたが、裏庭にはテールスをはじめ屋敷中の人間が集まっていた。
「あっ、あああああああ……」
息子の姿を前に感極まったテールスは泣きながら駆け出し、アークへと飛び付いた。
「アーク! 本当にお前なんだね」
無事を確かめるように両手で顔を肩を掴み、そして抱きしめた。
「ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」
「そんな事はどうでも良いんだよ。お前が無事に帰ってきてくれさえすれば」
親子の再会に感動した周りの騎士や執事、メイド達は皆一様に手で目元を覆っている。
「良かった。生きたお前に再び会えて。本当に良かった」
父テールスの涙ながらの言葉にアークは帰還を迷った自分を恥じた。
勇者でなくなっても。
騎士でなくなっても。
息子である事は揺るがないのに。
五体満足でなくとも。
病に侵されていても。
たとえ骨だけになったとしても、帰りを待っていてくれる人がいる事を知っていたのに。
帰ってきて良かった。
父の腕の中で心からそう思った。
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