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帰還-3-
帰還してからのアークは忙しかった。
王を始め各部署への挨拶回りを五日間で済ませ、支援し続けてくれた貴族へ挨拶回りを開始した直後だった。国民向けに帰還パレードを行うように王より命が下り、凱旋パレードさながらの豪華なパレードが執り行われる事となった。
パレードの日程が発表されるや否や街中がざわめき、パレード当日は朝も空けぬうちから熱気に包まれていた。
舗装路には屋台がひしめき、食欲と好奇心そして高揚感を掻き立てるにおいを上げ、見物人を誘う。
アークが戻るまで酒などの嗜好品を断っていた者達はにおいに誘われるまま思い思いの品を買い、自分達の英雄の帰還を祝いながらパレードが始まるのを待った。
晴れ渡った空に火炎系術具で作られた小さなドラゴン数頭が解き放たれ、パレード開始が知らされるとアークの無事を祈り、帰還を祈っていた女達は窓を開け、ただ只管その姿が現れるのを待つ。
怒声にも近い歓喜の声が遠くから徐々に近付き、屋根のない絢爛豪華な白馬八頭馬車の影が見えると花びらを窓から放ち、降らせた。
陽に透け黄金に輝く髪に穏やかな蒼氷色《アイスブルー》の瞳。優しい微笑を浮かべ手を振るアークの姿を見るや否や人々は足を踏み鳴らし、大地を震わせながら笑顔と涙でアークを迎えた。
王城より出発した馬車の上で拍手と歓喜の声に包まれ、アークは罪悪感に苛まれていた。
自分はもう勇者ではない。
清廉潔白の身でもない。
人々に温かく迎えられるような人間ではないと、俯く。
「アーク様」
後ろに控えているログの呼びかけに振り替えると、ジェリドが一歩前に出で耳打ちした。
「余計な事を考えずに、笑って手を振れ。心配かけた連中に少しでも恩返ししろ」
ジェリドの言葉にアークは顔を上げた。
自分の帰還を心から喜び、笑顔で手を振る者や涙を流しながら手を振る者達を騙すようで心が痛んだが、アークは微笑みを作り、手を振ってそれらに応えた。
中央通り西南通り東南通りと三日間のパレードを終えると、アークは支援者への挨拶回りを再開した。
行く先々でどうしてもと請われ、断る事が出来ずに毎食外で取るようになり、その日の夜も支援者宅で供応を受けて帰った。
疲れた身体でノエル邸の部屋にログと共に戻ると、テーブルには小さな花が生けられた花瓶と不慣れな文字で書かれたメッセージカードがあった。
リリンに預けているレイナが覚えたての文字で一生懸命に労いの言葉を綴っているのを見て、疲れが癒された。
カードを引き出しにしまい、ソファに腰を掛けると扉がノックされた。
メイドが運んできたトレーをログが受け取りテーブルへと運ぶ。
「ハーブティのようですが、飲まれますか?」
「頂こう」
ログが淹れてくれたハーブティーを飲んでいると再びノックがされた。
「入るぞ」
断りを入れて入室したのはジェリドだった。
「お前さ、何時復帰するんだ?」
「え?」
「ノエル騎士団と言う名のお前の親衛隊共が、いい加減お前に会えないと発狂するって喚いてんだよ」
バリバリと頭を掻きながらそうボヤく親友の顔に疲れの色を見たアークは慌てて腰を浮かせた。
「何時までもお前に任せたままですまない」
ジェリドは手振りで座るように促すと、アークの正面に座った。
「俺は別にいいんだよ。問題なのはお前んところの連中だって」
「そうだな。挨拶回りも殆ど終わったし、明日にでも顔を出すようにするよ」
「そうしてくれ」
アークに会わせろという嘆願から漸く解放されると大きく息を吐く。
そしてイグルとログがアーク返還に旅立ってから今日まで団員達を見てきたジェリドは真剣な面持ちで言う。
「明日は熱苦しいのやむさっ苦しいのに揉みくちゃにされる覚悟で行けよ」
ジェリドのアドバイスに団員達の行動が容易に想像できたアークは苦笑し、ログは重く頷いた。
翌日ノエル騎士団の宿舎へログと共に赴いた。
待ち焦がれた団長の姿を見るなり、宿舎の窓が次々に開かれ人が群がった。
団員全員とは言わずともかなりの数が集まるだろうと、呼びかけに手を振り応えながら闘技場へ向かう。その間にも低位の騎士達が一定の距離を保ちながら付いて来る。
分隊から小隊へと人の数が増え、闘技場に着く頃には二個小隊程になっていた。
ログを先頭に闘技場へ一歩足を踏み入れると、剣術訓練をしていた高位の騎士達が一斉にその手を止めた。
ある者は涙を零し、ある者は鼻息を荒くし、ある者は目を血走らせ剣をその場に落とし、一気に駆け寄って来た。
その迫力たるや、アークが無意識に後退ったほどだった。
極度の興奮状態にある団員達からアークを守る為、ログは大剣を振り抜き闘技場のグランドに突き刺すと、殺気を込めて睨んだ。
『不用意に近寄れば殺す』
無言の威嚇が正しく伝わったのだろう。
氷系の術式でもかけられたかのように団員達の熱は一気に冷め、その場に固まった。
心配を掛けた謝罪と、今日まで無事を信じ団を支えてくれた礼を言う為に団員達が闘技場へ集まるのを待っている間もアーク団長の無事を直に触れて確認したいと言い張る団員達。
アークの体調を心配したログは「駄目だ」とそれを却下したが、アークの無事を確認するまでこの場から動かないとごねられ、この場に居る団員だけならとアークは手前の団員から握手していった。
結果。今ならアークと握手出来ると言う情報がノエル騎士団全域に広がり、急遽握手会が行われる事になった。
五百のうち当直で持ち場を離れられない者を除いた二百六十人余りが闘技場に集まり列を作る。
その最後尾に赤いマントを羽織った魔術師が姿を現すと、誰が合図する事無く団員達が身を引き、道を作った。
人がひしめき合い暑苦しい闘技場を魔術師が歩いて行くとあちらこちらから声が上がる。
「ジェリドのアニキ!」
「アニキ!」
「アニキ~~!」
「アニキって呼ぶんじゃねぇ!」
親しみを込めて呼んでいるのは分かるものの、自分より一回り近く年上の人間からアニキと呼ばれる居心地の悪さに怒鳴りながら進んで行くと、先頭までやってきた。
「お前、何やってんの?」
「成り行きと言うか何と言うか……」
苦笑いするアークを呆れ顔で見ていると、先頭に並んでいる団員が野次を飛ばした。
「ジェリドのアニキ。割り込みは駄目ですよ。ちゃんと並んで下さいよ」
「うるせぇよ。俺はこいつの友達《ダチ》なんだからいいんだよ」
態と見せつけるようにしてアークに抱き付いて見せると、あちらこちらからブーイングが起こった。
「友達だからってずるいぞー!」
「俺達にもアーク様の匂いを嗅がせろ!」
「温もりを寄越せ!」
揶揄うように舌を出して見せるジェリドに。
「後で抱きしめてアーク様の残り香を嗅いでやるからな!」
「アニキめ。後で髭面で頬ずりしてやるぞ!」
「アーク様の温もりを打ち消すべく俺達の筋肉でプレスしてやる!」
むさっ苦しい連中からの予告に、ジェリドは顔を顰め。
「誰だ、今、キモイ事言った奴! 呪うぞコラァ!」
子供が汚い物に触れた時にする清めのジェスチャーをすると、皆一斉に笑い。
アークも笑った。
握手会は中々終わらず、気付けば昼になっていた。
闘技場で昼食を取り、午後に握手会を再開させると、誰が言い出したかアークとの手合わせの権利をかけての決闘が行われる事となった。
まだ本調子ではないアークは決闘に待ったをかけたが、団員達は譲らなかった。
「団長が復帰されてからでいいんで、お願いします」
そう熱心に懇願され、今直ぐでなくていいならと要求を受け入れると、隣で見ていたジェリドが「お人好し」と溜息を吐いた。
くじ引きで対戦相手を決め、階位は関係なく戦って行く。
組み合わせによって一瞬で終わるものもあれば長引く試合もある。
団員達の躍動感溢れる剣技と闘技場を包み込む熱気にアークは興奮し、準決勝戦が行われる頃には自分も戦いたいと願っていた。
決勝が終わり、勝者が決まるとアークは自ら手合わせを願い出た。
「皆の戦いを見て魂が揺すぶられた。本調子でなくて悪いが、手合わせ願えないか?」
「おい!」
「大丈夫。少しだけだ」
腕を掴み押しとどめるジェリドに微笑み、その手を退けると近くに置かれた大剣を掴むと闘技場に降り立った。
闘技場の中心へ歩いて行くと、黒い影が立ちはだかる。
「相手なら自分がします」
「ログ……」
アークとログが同時に優勝者へ目を向けると、団員は副団長であるログへ譲るとジェスチャーで応えた。
「済まない。お前の相手は後日改めてする」
団員に断り、ログへと向き直ると、常に無表情に近い顔に心配の色が浮かんでいた。
「無理はしないで下さい」
「お前が相手なら問題ないだろう」
アークが剣を構えると、ログもそれに応えた。
自分がどれ程戦えるか分からないアークは、準備運動代わりに軽く剣を振る。
魔王の魔力核が発動し、シスと戦った時は身体を何かに乗っ取られ自分が自分でない感覚だった。
魔王の魔力核を抜き取ってから今日まで、日常動作以外で身体を動かしてはいない。
どれだけ動けるのか、戦えるのか、そんな不安を振り払うように剣を構えなおしログを見据える。
「始めよう」
アークの言葉を合図に二人は同時に地面を蹴った。
先程までとは打って変わり、静寂に包まれた闘技場に鋼の共鳴音が響き渡る。
二手三手と剣がかち合い、火花が青く赤く散る。
術式を使わない決闘では気力・体力・反射神経・筋力・剣技そして経験と勘が勝敗を決める。
気力は同等。
体力と筋力はログが上だが反射神経・剣技・経験・勘はアークの方が上だ。
長期戦であればログが有利。短期であればアークが有利となる。
決闘は短期だ。
魔王に捕まる前のアークならログに勝つ事が出来たが、今は分からない。
自分がどれ程のものか知りたいと、アークは深く踏み込んで行く。
接近戦から超接近戦へと変わり、ログの纏う黒衣が切り裂かれると同時にアークの青い衣服も切り裂かれる。
「アーク様!」
重く鋭過ぎる剣戟《けんげき》にログは思わず手加減を忘れて剣を払ったが、アークは直ぐに体制を立て直し剣を振りかざす。
焦り戸惑うログとは反対にアークは安心していた。
ずっと不安だった。
シスとの戦いで感じだ殺意と狂気。
あれが少しでも自分の中に残っていたら――と。
それは杞憂だった。
ここまで戦ってもあの禍々しい感情は湧き起らない。
大丈夫だと、一瞬気をそらせた隙にログの剣が眼前にあった。
とっさに剣で防いだが、アークの身体は地面に倒れ込んだ。
「アーク様。お怪我は?」
慌てて駆け寄るログを手で制する。
「済まない。決闘中に意識をそらせてしまった」
自力で立ち上がろうとするが、身体の異変に気付いたアークは動けなくなった。
どこか痛めたのかと、ログは巨体を屈めアークを伺い見るが、大丈夫だと言うばかりだった。
ケガかないならとアークの腕を肩に掛け抱き起すと、不自然な姿勢と困ったような表情にアークの身に何が起こっているかに気付けた。
「ログ。そいつ俺が治療室連れて行くから寄越せ」
ジェリドに手を差し出され、どうするべきかアークへ目を向ける。
「彼に連れて行って貰うから離してくれ」
救護要員として剣術師の自分より魔術師のジェリドを選ぶのは至極当たり前の事だが、何か引っかかるものを感じ、手を放すのを躊躇った。
「ログ」
アーク呼ばれ、渋々その身体をジェリドに預けた。
「お前は闘技場の連中を解散させとけよ」
そう言い残し、ジェリドはアークを横抱きにして闘技場から出て行った。
ジェリドに抱えられ、まともに顔を見られないアークは伏し目がちに詫びた。
「済まない。迷惑を掛けて」
「気にすんなよ。俺とお前の仲だろうが」
その言葉が何を指しているか、数日前まで少年期の記憶を見ていたアークは苦笑いした。
「お互い酷い目にあったからな」
「今更隠すような事もないだろ?」
「そう……だな」
曖昧に微笑み、落としていた視線を上げジェリドを見る。
「正直、ログには頼りたくなくて……その、助かったよ」
イグルに次いで忠誠心の強いログに頼りたくない理由。
幾つか思い当たるものがあるが、どれが正解かなどどうでもいいジェリドは敢えて何も聞かずに歩いた。
治癒室と言う名の仮眠所に着くと、アークをベッドへと下ろしそのまま振り返る事なく扉へと戻る。
「結界張っておく」
「ありがとう」
「隣の部屋に居るから、落ち着いたら壁を叩けよ」
「ああ」
治癒室から出て行き結界が張られるのを確認し、漸くアークは集中を解いた。
力を抜くと同時に身体が震え、汗が一気に噴き出した。
――何故だ?
魔王の魔力核は取り除いた。
剣の手合わせしても、狂気に彩られた殺意は湧き起らなかった。
全て元に戻ったはずなのに、何故こんなにも身体が熱いのか。
手合わせで欲情を駆り立てるものなど何もなかったというのに、昂っている自身の下半身に手を伸ばすとソコは痛いくらいに張りつめていた。
全身が心臓にでもなったかのようにドクドクと脈打ち、解放を促す。
騎士団宿舎の治癒室で性を吐かすなど冗談ではなかったが、処理しない限り帰る事はおろか立ち上がる事も出来ない。
興奮と嫌悪がない交ぜになり、そっと目を閉じる。
言い訳を探すが何も見つけられず、罪悪感に苛まれながらズボンのボタンを外した。
取り出した性器すらは既に透明の液体が漏れ出ていた。
羞恥から顔を背け、ただ只管にソレを手で擦った。
半年もの間ゼクスとフェイに強要された淫らな行為が記憶を過り、慌てて頭を振り、下唇を噛んで振り払う。
――あんなもの思い出してなるものか!
何も考えないようにして、擦り続けた。
時間はかかったが何とか射精する事は出来た。
だが、終わりではなかった。
まだ足りないと、体内《なか》が催促するように蠢《うごめ》く。
何を欲しているのか分かるだけに、アークの絶望は凄まじかった。
何もかも魔王の魔力核の所為だと思っていたが、そうではなかった。
淫らな身体になったのは魔力核とは関係なかったのだ。
『それはお前が生きている限り続くぞ』
ゼクスの笑い声が聞こえるようだった。
疼き続ける身体とゼクスの傲慢な笑みの残像に、堪らず甲殻鎧の術式で短剣を作り己の太腿に突き刺す。
鋭い痛みで淫靡な欲求は一瞬にして引き、鈍い痛みと共に背に汗が吹き上がる。
赤く染まる太腿を見ながら思う。
このまま身体中の血液が流れ、全て元に戻ればいいのにと。
願ったところで叶わないと涙を零し、アークは流れ続ける血を見つめ続けた。
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