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家族-2-
「イグル……」
魔力核の封印についての確認をしようとするが人の気配に言葉を止めると、ノックもなしに勢いよく扉が開かれた。
「アーク兄さん!」
蒼氷色《アイスブルー》の瞳をキラキラと輝かせ飛び込んできたのは末の弟だった。
小柄とはいえ勢いよく抱き付かれ、アークは半歩ほど後ろに下がった。
「ラヒーク、また大きくなったか?」
「へへっ。三センチ伸びたんだ」
ラヒークとは正反対に静かに入室する直ぐ下の弟の姿にアークは微笑を深くした。
「デューク」
「お久し振りです。兄上」
アークと握手を交わすと、ノエル家訪問の際何度となく顔を合わせているイグルとログに簡単に挨拶を済ませるとデュークはラヒークへ視線を移した。
「何時まで見苦しいマネをしているんだ、ラヒーク。早く兄上から離れなさい」
声音は優しいが、有無を言わさない物言いにラヒークは惜しみつつもアークから離れた。
「アーク兄さん。僕達たくさんお見舞いの品を買ってきたんだ」
そう報告するとラヒークは扉を開け、廊下に控えていた執事に見舞い品を運ぶように命じた。
「ここに来るまでの間に方々で珍しいものを買って来たんだ。きっと兄さんも気に入るよ」
モードン家からの道中に商店を見て回ったのが余程楽しかったのか、興奮気味のラヒークの姿にアークは自然と微笑みが零れた。
「そうか。有難う」
「ねぇ。品物が運び終わるまで、一緒にお茶しましょうよ」
「ラヒーク。兄上はお疲れなんだ。我が侭を言っては駄目だろう」
「でも……」
「大丈夫だよデューク。ラヒークおいで」
歓喜に飛び上がる弟と手招きし、ソファへと横並びに座った。
デュークは溜息を吐くとイグルとログへ向き直った。
「すまない。兄上と大事な話をしていただろうに邪魔をしてしまった」
「お気になさらないで下さい。七ヶ月振りにお会いになるのですから兄弟で積もる話もあるでしょう。我々は退出しますので、ごゆっくりどうぞ」
「有難う」
申し訳なさそうに眉尻を下げるデュークに対してイグルは微笑みで返し、ログと共に退出した。
夕食の支度が整ったとメイドが呼びに来た為、話を中断し兄弟三人が一階へ下りていくと、応接間前にイグルとログの姿があった。
アークを先頭に兄弟が入室すると、イグルとログもそれに続いた。
当主であるテールスを上座に、おのおの割り当てられた席へ着くと程なくして前菜が運ばれてきた。
談笑を交えての朗らかな食事が進み、メインディッシュが運ばれてくるのを待っていると、突如ラヒークは立ち上がった。
「帰還祝いのパーティーをしましょう」
父母の前だけあって言葉使いは気を付けているものの、食事中に立ち上がった息子にミスリアは冷ややかな目を向けた。
「何です、突然」
隣に座るデュークは眉を顰め、弟を嗜める。
「行儀が悪いぞ」
ラヒークは失態を誤魔化すように形ばかりの微笑みを浮かべると、静かに着席する。
「帰還祝いなら王によって執り行われたよ」
父テールスが笑顔で答えると、ラヒークは首を振った。
「そう言う仰々しいものではなくて、身内だけのささやかなパーティーです」
「身内だけのかい?」
「はい。そうすればアーク兄さんも親しき人と言葉を交わせますし、ダンスを踊ったりして帰還を実感出来ると思うのです」
ラヒークの提案にアークの忠実なる部下二人は顔を見合わせた。
会話はともかく、ダンスはどんな規模だろうと無理ではないだろうかと。
アークと踊れるとなれば、身内であってもなくとも貴族の娘が権力を行使して押しかけるに違いない。
そんな大勢の中から数人を選んで踊れば不満が出る事は想像に易く、心優しいアークはその日踊れなかった女性達を後日集め、ダンスパーティーをする。全員と踊りきるまでそれを止めない可能性が高い。
アークの心労と疲労を最小限に抑えたい二人は、上座に座る当主を見るとテールスも同じ事を心配してか、横目でアークを見ていた。
「どうでしょうか?」
「うーん。パーティーはいいけどね。ダンスはなしにしようか」
「なし…ですか?」
「アークはまだ本調子ではないからね」
テールスに言われ、ラヒークはハッとした。
「申し訳ありません。兄さんが思いのほかお元気そうに見えたので、配慮に欠けました」
素直に引き下がるラヒークにテールスは右手を上げ、言葉を遮った。
「謝る必要はないよ。アークを愛しているが故の提案なのだから」
「はい…」
「アークの負担にならない程度のささやかなパーティーならいいんじゃないかな?」
テールスに言われ、ラヒークはキラキラと目を輝かせながら、大きく返事をした。
「はい!」
豪華な馬車がノエル邸へ続々と到着するのを二階のベランダから見下ろすのは、シム騎士団の紋章入りのローブを着た魔術師の二人だった。
一人は何処からかくすねてきた棒付きキャンディーを咥え、馬車から降り立つ令嬢の姿に頬を緩ませている。一人はゴテゴテと着飾った貴族達をただ冷めた目で見ていた。
近付く気配に二人同時に振り向くと、パーティー用の黒色の衣装に身を包んだイグルが立っていた。
「嫌味なくらいキマってんな、お前」
キャンディーを口から外し、律儀に感想を述べるダートに対し、美麗な友人の容姿など今更構う気のないジェリドは直ぐに本題に入った。
「それで、何で俺等を招集したんだよ?」
「今日のパーティーはささやかと言っても数百人が集まるものです。私とログだけでは手が足りません」
「給仕でもやれってか?」
「まさか。そんな事であなた方を呼んだりしません」
「なら、何だよ」
「あなた達には姿変えの術式で貴族の令嬢に扮して貰い、アークをガードして頂きたいのです」
予想外の役回りにジェリドは間抜けな返事を返した。
「は?」
顔を顰めるジェリドとは対照的に、悪戯好きのダートは楽しそうに笑う。
「貴族の令嬢が必要なら、普通に頼めば協力してくれるお嬢さんがいるだろ? 何で俺達に頼むんだよ」
「老若男女問わず、大抵の人は手の届く距離でアークと接すると魅了されてしまいます」
「あーー……」
アークとは術師学校中等部からの付き合いである。幾度となくそのような場面を見てきた二人は顔を見合わせ、乾いた笑いを零した。
「アークに免疫がある人にしか頼めないのです」
「そりゃあ、そうだろうけどよ……」
渋るジェリドとは反対に、ダートは貴族の令嬢とお近付きになるチャンスだと喜んだ。
「近付けたって相手はアーク狙いなんだぞ。不戦敗は確実だろうが」
「バカだなジェリド。勝ち負けじゃないんだよ。戦う事に意義があるんだ」
格言めいた戯言を吐く親友を胡乱な目でいると、イグルが割って入った。
「貴方は親友のピンチを見捨てるような不甲斐ない漢《おとこ》ではないですよね?」
信じて疑わないと言わんばかりの真っ直ぐな紫水晶《アメジスト》の瞳に見つめられ、ジェリドは頬を引き攣らせた。
「確かに俺は親友のピンチを見捨てたりしない。しないが、お前にだけはそう言うの問われたくねーからな!」
基本、主《あるじ》以外の人間に興味が持てない極端な性分のイグルに思うところがあるジェリドは、端正な顔を人差し指で差すが、差された本人は指など見えないと言うように話を進める。
「では、パーティーの流れとお二人の役回りについてお話ししましょう」
「無視すんなよ!」
「ああ。失礼しました。試すような物言いをしてすみません。今後は気を付けます。……それでは役回りについてですが……」
「おい、コラ!」
反省も謝罪も形だけのイグルに眉を吊り上げ、噛みつかんばかりの勢いな親友を宥めようとダートはジェリドの肩に腕を回した。
「まあまあ、ジェリド抑えて。こいつはこういう奴だろ?」
「そうだけどよ……」
「腹立てるだけ体力の無駄だから、な?」
「うぅ……」
分かってはいても一度立った青筋は直ぐに治まらない。歯噛みしていると静かな紫の瞳と合った。
「そろそろ話を進めても宜しいでしょうか?」
話の腰を折られて困ると言わんばかりの声音に、先程額に立てた青筋の隣に新しい青筋が立った。
身体が前のめりに親友をダートは渾身の力で抑える。
「どうどう。怒るだけ無駄。取り合えず深呼吸しような?」
グルグルと獣の如く唸り声を上げるジェリドを必死に宥めていると、その行為を無効化するように話を再開しようとするイグルに流石にダートの額にも青筋が立った。
「取り合えずお前は三分口開くなよ。開いたらお前の頼み事聞いてやんねーからな?」
穏やかではあるものの怒気を含んだ声に言われ、アークのガード役を逃す訳にはいかないと、白銀の魔術師は漸く口を噤んだ。
そんな三人のやり取りを室内から見ていたログはアークの前では忠実なる僕《しもべ》。その他の人間の前では望まれた姿を演じるイグルが素で接する事を止めない数少ない友人の存在を羨ましく思い、自然と笑みが零れた。
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