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第3話

確かに、自分が調書を取っていた。 小松という名前の男で、女性と2人で飲んでいて、痴話げんかのたぐいだろう、小競り合いをしていたのだ。主に女性の方が小松を殴っていたのだが、居酒屋にいた他人がまずいと思い警察に通報した。東城が調書を取ったのだ。男性と女性とそれぞれに事情を聞いた。 だが、本人たちはお互いに告訴するといったことはなかった。 「確実に身元が判明するまでは、まだ公表はされません。かなりの確率で小松だと考えられます。2年前に、小松は行方不明になっていて、家族が届け出をしています。ご遺体は頭を鈍器で殴られており、殺人事件の可能性が高いです。そこで、小松について関連情報を収集していたら、この調書がでてきました」 「それで?」 「この時の話を詳しく教えてください」 「詳しくって言っても、そこに書いてある以上のことはないぞ。2年以上も前のこんなケチな喧嘩覚えていないし。それに、高田さんが一緒に対応してくれたんだ。そこに印鑑もあるだろ」 広瀬は黙ってページをめくっている。何考えているのか、さっぱりわからない。 自分の恋人ながら思うが、こう無表情だと、夜中に薄明かりで見たら不気味な、整いすぎた白い陶器の人形のようだ。 広瀬って仕事の時こんな感じだったかな、と東城は思った。家で会っている広瀬はもっとリラックスして、表情もある。まあ、少しは、であるが。 だけど、大井戸署にいたときは、基本はこんなだったような気もする。何の感情もなさそうな美しい顔と、何も映さない目だ。 広瀬からは淡々と何点か具体的な質問をされたが、どれも返事ができないものだった。 「この件、問題になっているのか?」 「殺人事件で、その前に傷害事件があったとなると、問題になる可能性はあるそうです。行方不明の届の際に配慮が必要だったのではないか、とか」 「行方不明者になってたなんて知らなかった。それは別な係の問題だろ」 「そうですね」と広瀬はうなずく。 「なんか、あるのかな?変なことには巻き込まれたくないんだけど」あまりにも広瀬が平板なので、うっかり弱気な発言をしてしまう。 「どうでしょうか」と広瀬は確たる返事をしなかった。そして、書類をしまった。「また、この件で、大井戸署からご連絡がいくかもしれません」 「えー。それは、いやだな。俺、もう、関係ないだろ」 広瀬は答えず立ち上がる。 「これで用件は終わり?」 「はい」 東城は時計を見た。「もしよければ、コーヒーでも一緒にどうだ?せっかく来たんだから」 広瀬も壁にかかる時計を見る。「いえ、この後、別件がありますから」と言う。 「別件?本庁で?」 「はい」 「じゃあ、俺の調書の件は、ついでな感じ?」だとしたら問題は軽い。最初からそう言ってくれればこんなに焦らず済んだ。 ところが、「そういうわけではありません」と広瀬は律儀に否定した。「今日はお時間頂ありがとうございました」彼は軽く頭をさげ、すたすたと会議室を出て行った。 東城は、開いたドアを見て、ため息をついた。 なんだってあんなによそよそしいんだろうか。 そりゃあ、こんな職場で、会いたかったとか言って抱きつかれても困るけど、少しくらい笑顔とか、親しそうな感じとか、もっとあってもいいだろうに。 自分をからかってあんな態度をとっているでもなんでもなく、彼は、本当に不器用なのだ。仕事とプライベートの中間を上手くとるようなコミュニケーションができないのだ。それはわかっているのだけど。

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