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 背中を通り過ぎていく車のエンジン音。それに重なるようにしてクラクションが短く聞こえたのは、七曲目の再生が始まった時だった。  最初は気付かなかった。帰宅ラッシュの時間で駅前は混雑している。きっと行く手に邪魔な車でもあって、誰かが鳴らしたのだろうくらいにしか思わなかった。  だが、二回目に聞こえた時に、もしかしたらと思った。それでゆっくりとロータリーを振り返った。  自分のすぐ後ろに白い車が停まっている。車には詳しくないから車種はわからないが、大きな車だ。  運転席に座る人影が目に入った瞬間、颯馬はガードレールからずり落ちそうになった。  ――先生だ。  颯馬を見つめて小さく笑いながら、坂城が「来い」という手振りをする。 「!」  頭からヘッドホンを引き剥がして、颯馬はガードレールから飛び降りた。慌てて車へ走り寄って助手席のドアを開ける。  開けた瞬間、一気に高校時代の感覚に舞い戻った。 「先生!」 「よ、砂原。久しぶりだな」  早く乗れ、と坂城が苦笑する。ドアの隙間から滑り込むように、颯馬は助手席に座った。  ドアを閉めて、シートベルトをすると同時に車が走り出した。  会えて嬉しいとか、久々に見る坂城の顔に心臓が跳ね上がるとか、好きだと思う気持ちを置いてテンションだけが跳ね上がる。 「先生、どこ行くの!?」  窓の外を流れる景色から坂城へ視線を向け、颯馬は思いきり口を開いた。 「んー、どうしようか。とりあえず煙草吸っていい?」  ハンドルを握りながら坂城が言う。 「あ、うん、いいよ、大丈夫」 「窓開けて」 「うん」  窓を開けた途端、流れ込んでくる外気。カチリ、とライターの音が聞こえた。  坂城を振り返り、颯馬はその手元を見る。  煙草を挟む坂城の綺麗な指。  その手がたまらなく好きだった。  授業が終わって荷物をまとめて音楽室へ走る毎日。  他の誰よりも先に到着すると、誰もいない音楽室で坂城がピアノを弾いている時があった。  初めの頃は颯馬が教室に足を踏み入れると、坂城はピアノを止めてしまっていた。  何度か遭遇すると、もっと聞きたいという颯馬の声に少しだけ応えてくれるようになった。  曲名は知らないけれど、明るく綺麗な曲から暗く切ない曲まで、様々なものを聴かせてくれた。  颯馬は、ピアノを弾く坂城の手を見ているのが好きだった。  鍵盤の上を考えられないスピードで動く指にも驚いたが、綺麗な指を持つ坂城の手そのものに見惚れていたのだ。  そのうち、あんな手で触れられたらどんな感じなのだろうと考えるようになっていった。  多分それが、颯馬の想いの始まりなのかもしれない。 「……で、どうしようか」  煙を吐きながら坂城が言う。は、と我に返って、颯馬は慌てて前を向いた。 「明日、先生仕事だよね」 「まあな、平日だし。おまえも学校あるだろ」 「うん。……じゃあ、あんまり長くは遊べない、か」  颯馬の言葉に坂城が吹き出す。 「遊ぶっておまえなぁ。何、悩みがあるから会って話したいとか、そんなんじゃないわけ?」 「え?」 「さっきの電話。おまえちょっと暗かったから、それが心配で来たんだけど?」 「……」  じわり、と頬が熱くなった。  やばいな。暗くなってきたとはいえ、ここで赤面したら間違いなく見えてしまう。 「……何にもないって、俺ちゃんと言ったよ」  どうにか、その言葉を返す。  再び坂城が笑った。 「だから嘘言うなって言ったろ。声でわかるんだって。何かあったんだろ? 話してみろよ」 「……」  やばい、やばい。本当にこれは……。  坂城から視線を逸らして、颯馬は窓の外を向く。  声でわかるとか。心配だから来たとか。  嬉しいと思う自分を止められない。 「……」  ただ、先生に会いたかった。  その一言はどうしても言い出せず、颯馬はそのまま黙り込む。  やがて、坂城が深く長い息を吐き出した。灰皿で煙草を消している気配がする。 「……まあ、いいよ、いつでも。言いたくなったらで。いつでも聞くし」 「……」 「じゃあまあとりあえず、メシでも行くか?」 「……うん」  窓の外を向いたまま、颯馬は小さく頷いた。

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