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坂城と会えなかったのは一か月と半分くらい。
今まで毎日会えていたのに、それが断ち切られてしまったことは、颯馬にとって予想以上に淋しいものだった。
多分、久しぶりに会えた今日、自分でも考えられない程の言動をしてしまうのはその淋しさの反動なのかもしれない。
だけど、肝心なことは何も言えていない。
また会いたい。だから連絡先を知りたい。
他の言葉は勢いで言えたとしても、その言葉だけは言える自信がなかった。
坂城の部屋を訪れてしまえばあとは帰るだけなのに、あと一歩を踏み出す勇気がない。
「……すっげー……」
部屋に入るなり、颯馬は仁王立ちで感嘆の声を上げた。
散らかっているという坂城の言葉で颯馬は生活感溢れる物が散乱している部屋を想像していたのだが、実際は違った。
確かに床の上には所々物が置かれているが、どれもぱっと見た限りでは楽譜ばかり。
リビングの中央にはグランドピアノが構えていて、その高級感のせいか、床に散らばる楽譜はインテリアにすら見えてしまう。
「んなとこに立ち止まってないで、奥に入ったら?」
ドアの傍に立つ颯馬を追い越し、坂城が笑いながらネクタイを緩める。
「先生、ピアノの近く行っても平気?」
肩に掛けた鞄を下ろし、颯馬は一歩足を踏み出した。
「ああ、いいよ」
その声が耳に届いた瞬間、颯馬はピアノへ向かって駆け出す。
音楽室にももちろんピアノはあったが、あれは学校の物。今ここにあるピアノは坂城だけの物で、何だか神聖な物のように見えた。
黒く艶のあるピアノ。部屋の照明を反射してキラキラとしている。指紋などひとつもない。
傍へ駆け寄り、思わず触れそうになった手を慌てて引いて、颯馬は坂城を振り返った。
「触ってもいいよ」
ジャケットを脱いだ坂城も、ピアノの傍へ歩み寄ってくる。
ふるふると首を振って、颯馬は坂城を見上げた。
「何か弾いて。聴きたい、久々に」
颯馬の言葉に坂城が片眉を持ち上げる。
「……何かっつってもねぇ」
「あ、時間的に無理? もう夜だし……」
「いや、一応ここ完全防音だし、二十四時間演奏オッケーだけど」
「じゃあ聴きたい! だめ?」
「……しょーがねぇな」
一曲だけ、と言った坂城がピアノの椅子に座って、腕時計を外した。
「リクエストは?」
「……先生が好きな曲」
坂城の横、少し離れた位置から颯馬は鍵盤を覗く。この位置から、いつも坂城のピアノを聴いていた。
「了解。んじゃ……」
すう、と息を吸った坂城の指が、鍵盤を叩く。
それと同時に溢れ出した音色に、颯馬はふわりと瞼を閉じた。
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