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 授業が終わり、帰り支度をしていると、勇大が駆け寄ってきた。 「今日もバイト?」 「うん、でも今日は八時から」  颯馬が答えると、勇大が悪戯っぽく片眉を持ち上げる。 「じゃあどっか寄ろうぜー」 「勇大は? バイト」 「今日は休み」 「いいなー、俺も今日はダルい」  鞄を肩にかけ、颯馬は欠伸を噛み殺した。 「授業中こっそり寝てたんだろ?」 「うん。だから今度は寝すぎて眠い」  颯馬が答えると、勇大が大声で笑った。 「ちょっとは顔色良くなったな。よかったよかった」  眉を下げて笑い、颯馬は教室のドアへ向かって足を進めた。後から勇大もついてくる。 「そーいやさぁ、颯馬」 「何?」 「この前の用事って何だったの? 思いっきり急いでたけど」 「……あー、……うん」 「行かなきゃとか、待たなきゃとか言ってたけど、何、待ち合わせだった?」 「そ、んな感じ」  廊下を進み、エレベーターが混んでいるので階段を目指す。ここは五階。一階まで階段で下りるのは面倒だが、仕方がない。 「珍しいよな、約束忘れてたんだろ? あんだけ急いでたってことは」 「……珍しい?」  階段の手前で颯馬は勇大を振り返った。  頷いた勇大が隣に並ぶ。 「いや、俺のイメージだけど、おまえ約束とか絶対忘れなさそうな感じ。待ち合わせも時間五分前に到着、とかさ」  勇大に促されて階段を下りながら、颯馬は首を傾げた。 「そーかなぁ」 「だから勝手なイメージだって。颯馬と知り合ってまだひと月ちょっとか? 今のとこの印象ってこと」 「ふうん。じゃあ勇大はあれかな、待ち合わせ時間ギリギリで慌てて走ってくるタイプ」  颯馬が言うと勇大が得意そうに眉を上げた。 「残念。実は五分前行動きっちり身についてるんだな」 「え、そうなの?」 「そ。中高部活が厳しいとこでさ、時間厳守は基本中の基本」 「体育会系ってやつ?」 「まーな」  笑いながら、勇大が野球のジェスチャーをした。 「颯馬は? 高校の時、部活何やってた? 帰宅部?」 「何で最初に帰宅部が出てくるんだよ」 「そんなイメージ」 「どんなイメージだよ。……部活っていうか、同好会に入ってた」 「同好会……、へぇ……。何の?」  たん、たん、と足音を響かせながら勇大が頭の後ろで両手を組んだ。  踊り場に降り立って、颯馬は続ける。 「音楽史同好会」 「はぁ? 何だそりゃ」 「だろ」  予想通りの反応だ。颯馬は小さく笑う。  勇大が目を丸くして颯馬を見た。 「音楽史、って何?」 「……音楽の歴史」 「たとえばどんな?」 「え……、っと、……何て言うか」 「何で口篭るんだよ」 「だって俺、よくわかんないもん」 「……同好会に入るくらい好きなんじゃねぇの?」 「うーん、つまりね……」  一階に降り立ち、エントランスに向かって足を進める。  その間に、颯馬は音楽史同好会が実際はどんな活動をしていたのかを説明した。 「何そのフリーダムな活動」  颯馬の説明を聞いた勇大は、呆れたような羨ましそうな複雑な表情を浮かべた。 「放課後、仲いい連中で集まってわいわい騒ぐだけ?」 「そう。宿題やってる奴もいたし、オセロとかチェスとか、将棋とか、ひっそり持ってきてやってる奴もいたし、喋ってるだけの奴もいたし、ホントに好きに遊んでたよ」 「へえぇ」  エントランスから外へ出ると、街の喧騒に包まれる。 「何かたまに懐かしい遊びブームが来てさ、そういう日はみんなでイス取りゲームしたり、だるまさんが転んだやったり……。よくわかんないけど楽しかったなぁ。あとトランプは定番だよな、大貧民とか」 「……」  車の音にかき消されないように声を張ると、勇大がふっと目を細めた。 「……楽しかったんだな、ホントに」 「え?」  しみじみと言われ、颯馬は目を丸くする。 「いや、颯馬がそんなふうに笑うのは初めて見たから」 「……」  笑っていた?  ぴたりと足を止めて、颯馬は自分の頬に触れる。 「……」  楽しかったんだな、ホントに。  勇大の言葉がぐるぐると頭の中を巡った。  ……うん。  楽しかったよ。  楽しすぎて、永遠にあの音楽室にいたかったくらい、楽しかった。 「……っ」  卒業なんてしたくなかった。  音楽室があって、先生がいて、ずっと曖昧な距離のままでいたかった。  教師と生徒。そんな繋がりがなくなってしまえば、こんなに脆い関係なのだと気付くこともないまま。  ずっと、あの場所にいたかった。 「……え、颯馬?」  立ち止まった颯馬を振り返った勇大が、驚いた表情で駆け寄ってきた。 「な、何、どうした? 何か俺、変なこと言った?」 「……ごめ、……何でもない」  すん、と鼻を鳴らして、颯馬は無理やり笑みを作る。  溢れそうになっていた涙は、どうにか堪えた。

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