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 6 「幻想って……」  はは、と颯馬は乾いた笑いを零す。 「……幻想って、先生それ本気で言ってる?」 「それ以外にないだろ」  すぐさま、坂城が答える。  きつく拳を握りしめて、颯馬は坂城を見上げた。  だめだ。そう思うのに止まらない。  言ってはいけない。そう思うのに止まらなかった。 「……っ、何にも知らないのに、何でそんなこと言えるんだよ。俺がどんなふうに先生のこと考えてるのか、何にも知らないのに、何で幻想だって言い切れるんだよ」 「……知らなくてもわかるよ。おまえぐらいの年頃にはよくあることだ。大人に憧れるっつーかな。それをおまえは勘違いしてるだけ」 「違う」 「違わない」 「違うよ!」 「……砂原、おまえさ……」  まるで幼い子供に言い聞かせようとしているような坂城の口調。その話し方を好きだと思う気持ちは確かにあるが、今だけは苛立ちが湧き上がってくる。  坂城の言葉を遮って、颯馬は声を張り上げた。 「だって、幻想って言うけどさ! 俺、先生のこと考えてひとりで……、……ひとりでしたこともあるのに」  目の前の信号が赤に変わり、坂城がブレーキを踏む。  車が止まるなり、颯馬は運転席へ身体を乗り出した。  ぶつけるように坂城と唇を触れ合わせて、颯馬は声を押し出す。 「……こういうことしたいって思う相手が兄代わりだなんて、先生は本気で思うわけ?」 「――……」 「……ッ」  助手席に身体を戻すと、颯馬はシートベルトを外す。  こんなことをしてしまっては、これ以上車に乗っていられない。  ちょうど今は赤信号で停車中だ。降りてしまおう。  ドアを開けようとした颯馬の腕を坂城が掴んだ。 「バカ、危ないだろ」 「いいよ、今赤信号だし、すぐ降りる」 「いいから乗っとけ。っていうか、……わかったよ、ちゃんと話そう」  信号が青に変わり、前の車が一台ずつ動いていく。坂城がブレーキを離す前に、颯馬は慌ててシートベルトを締め直した。 「……時間、あるだろ?」  深く長く息を吐いた坂城が、ゆっくりと車を発進させた。 「どっかテキトーな場所でゆっくり話そう、砂原」  坂城の言葉に颯馬は頷かなかった。また最初から自分を振る言葉を聞かなければならないのかと思うと、気が重くなる。  逃げ出したい気持ちで満杯になった心をどうすればいいのかわからないまま、颯馬は窓の外を見つめていた。  車は街中を抜け、いつの間にか川沿いの道を走っている。毎年夏になるとこの河川敷で花火大会が行われて物凄い数の見物客で埋め尽くされるが、今は誰の姿もない。ぽつぽつと街灯が丸い光を放っているだけだ。  がら空きの駐車場に車を止め、坂城が外へ降り立つ。颯馬もその後に続いた。  駐車場から芝生の敷かれた緩やかな坂を上がり、遊歩道へ出る。目の前に広がる河川敷も、その先の広い川もただ暗く、どう願ってみても坂城との間に流れる空気を明るい雰囲気に戻してくれる手助けにはなってくれそうもなかった。  坂城の連絡先を聞く勇気はなかった。告白する勇気もなかった。振られる覚悟もなかったし、諦める覚悟もなかった。  それでも引き返せないところまで来てしまった。好きだと言葉にはしていないけれど、坂城は颯馬の気持ちを知っているし、自分からキスもした。  本当は逃げ出したくてたまらないけれど、ここから走り去る勇気もない。ここに佇むのなら、話をしなければならない。  話をするなら、やはりきちんと好きだと言わなければ。

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