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「……砂原」  足を止めた坂城が遠くを見つめたまま口を開く。 「どうしたら諦めてくれる?」 「……どうして諦めなくちゃいけないの?」  自分でも驚くほど弱々しく震えた声だった。颯馬はきつく拳を握りしめる。 「俺だって諦めようって何度も思った。けど無理だった。何をしてても俺は先生のこと考えるし、何かあるたびに先生のこと思い出して苦しくなる。諦めろって言うなら、どうやったら諦められるのか、先生教えてよ」 「携帯から俺の連絡先を消せ。それで今周りにいる友だちを大事にしろ。勉強も、バイトも、何でもいいから打ち込め。そしたら忘れるよ」 「……消せって言うなら、何で俺に連絡先教えたりしたんだよ。あの時断ればよかったのに」  坂城に向き直り、颯馬は顔を上げた。 「先生、さっきからずるいよ。幻想だとか諦めろとか、そんなんばっかりでさ。俺のことが嫌いなら、嫌いだってはっきり言えばいいのに」  颯馬に視線を向けた坂城がおもむろに煙草を取り出した。口に咥え、ライターで火を点ける。 「言ってよ。嫌いだ、おまえのことは恋愛対象として見れないって。子どもだから、男だから、理由も何でも言ってよ。そしたら俺だって諦められるかもしれないだろ」 「……」 「俺にしてくれた特別扱いは全部ただの気まぐれだったとか、そもそも特別扱いされてたなんてのは勘違いだって言うなら、ちゃんと打ち砕いてよ」 「……」 「俺は好きだって言うから。先生は俺のこと嫌いだって言って。そしたら終わるよ。そうしたいんだろ」  煙草の煙が風に乗って流れてくる。颯馬の髪を揺らし、後方へ舞って消えていく。  深く息を吸い込んで、颯馬はようやくそれを口にした。 「……俺は先生が好き」 「……」  向かい合った坂城の表情は何も変わらない。煙草を咥えて、真っ直ぐに颯馬を見つめている。  俺はおまえが嫌い。次に聞こえてくる言葉はそのはずだった。  けれど、颯馬の視線の先で河川敷へと身体を向けた坂城が、脱力したようにしゃがみ込んだ。 「……おまえさぁ」 「うん」 「俺がいくつだか知ってる?」 「……二十九」 「おまえは」 「十八」  坂城が深く煙草を吸い込んだ。 「一回り以上も歳の離れたヤツに俺は本気になりたくないの。わかる?」 「え?」  坂城の言葉の意味がわからない。颯馬は目を丸くするが、坂城は構わず言葉を続けていく。 「昔ね、まだ教師になりたての頃に一度道を踏み外したことがあるんだよ」 「踏み外す?」 「一人の生徒に懐かれて、そいつの卒業間近に手出して付き合って。俺はわりと本気だったんだけど、すぐに振られた。高校卒業して大学入って、新しい環境と新しい人間関係に夢中になって俺は綺麗さっぱり忘れられたんだよ」 「……」 「おまえもきっと、そうなる」 「ならないよ」 「何で言い切れるんだよ」  髪を掻き回して坂城が苦笑する。颯馬は一歩、坂城へ歩み寄った。  今はそれが許される気がした。 「まあとにかくね、それ以来そういうのはやめようと思ったわけ。俺は教師だし、生徒に手出すのはいろんな意味でだめだろ、どう考えても。後悔もしてるし反省もしてる。だからもうやらない」 「……俺はもう生徒じゃないよ」  一瞬、坂城が口を閉ざした。煙草を吸い込み、煙を吐き出し、再び吸い込み、また吐き出す。 「その一件で思い知ったんだけど……」 「……うん」 「俺、独占欲強いのよ」 「え?」 「嫉妬深いし」 「う、うん……」 「支配欲も、多分強い」 「……え、っと」  坂城は何が言いたいのだろう。わからなくて惑う颯馬の耳に、ほんの少しおどけた声が届いた。 「それでもいーの?」 「――……へ?」  ゆっくり坂城が立ち上がり、颯馬へと歩み寄ってくる。 「それでもいいのかって聞いてんの。多分、おまえが思ってるよりも『優しい先生』じゃねぇよ、俺」 「え、え、え?」 「はい、早く答える」 「い、いいよ!」  答えた瞬間、間近で坂城がふっと笑う声が聞こえた。  それと同時に煙草の匂いに包まれる。  頭に手が触れ、引き寄せられて、唇に柔らかなものが触れた。 「――……んっ」  今自分がどういう状況に置かれているのかを理解するには時間が必要だった。  颯馬の視界が何で塞がれているのか。数回瞬いて気付く。坂城の顔だ。  唇に何が触れているのか。何度か吸い上げられて気付く。坂城の唇だ。  ということはどういうことだ。理解できそうになったが、口の中に入り込んできた柔らかな何かに思考は掻き消された。 「……ん、……んっ!?」  颯太の舌を絡め取り、口の中を動き回っているのは坂城の舌だ。  キスをされている。ようやく状況は理解したが深く舌を絡めるようなキスは初めてで、というか車に乗っている時に勢いで坂城にしたのが初めてのキスだったし、何をどうすればいいのか颯馬にはわからない。  硬直した颯馬から唇を離し、坂城が囁いた。 「俺は本気になりたくないって言ったのに、おまえがさせたんだからな。責任取れよ」 「――……え、う、……うん」  その言葉の意味を理解するにも、颯馬には時間が必要だった。

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