7 「……先生、これホントに食べていいの？」 　テーブルに並んだ皿を前にして、今さらながらに颯馬が聞いてくる。最後に味噌汁の椀を颯馬の前に置いて、坂城はため息を吐いた。 「食っていいから並べてんの。いただきますは？」 「い、いただきます！」 　ぱん、と両手を合わせた颯馬が箸を持ち上げ、食事を始めた。 　再び息を吐いて、坂城はキッチンへ戻る。換気扇を回してその下で煙草に火を点け、上に向かって煙を吐く。 　実年齢より幼いというか、他の生徒たちよりも頼りないとは思っていたが、まさかここまで危なっかしいとは思わなかった。 　――颯馬のことだ。 　アルバイトが終わったと連絡をもらい、坂城は自分の部屋に颯馬を招くことにした。 　車で迎えに行く間に夕飯を買わせ、駅前で颯馬を拾って自宅へ戻ってきた。学校帰りにそのままアルバイト先へ行った颯馬は重そうな鞄を肩にかけ、手にはコンビニエンスストアの袋を提げていた。 　そのビニール袋がやけに小さいとは思っていた。 　颯馬が夕食としてテーブルに広げたのはおにぎりがふたつ。目を丸くした坂城に、あとこれもあるよ、と鞄の中から飲みかけのペットボトルの緑茶を出した。 　まさかこれが夕飯だとは言わないよな、と坂城が問うと颯馬は首を傾げた。 　え、だって迎えに行くまでに夕飯買えって言ったの先生だろ。俺、言われた通りにしただけだよ。 　それなのに何でそんなことを言うんだよ、というような視線を返されて、坂城はため息を吐くしかなかった。 　さすがに食べ盛りの男子の夕食がおにぎりふたつはないだろう。これまでに颯馬を食事に連れて行ったことはあるが、その時は普通に食事をしていた。ライス、ステーキ、サラダ、スープ。すべて颯馬は平らげていた。 「おかずは？」 「売り切れだった」 「サラダとか」 「それも売り切れ。時間が時間だし、しょーがないよ」 「そもそも弁当なかったの？」 「……あったけど」 「何でそれ買わないんだよ」 「……焼鮭入ってたから」 　つまり焼鮭があまり好きではないということか。自分の好き嫌いを無視してでも食事量や栄養バランスに気を配ることをしないのは、颯馬がまだ若いせいだろう。坂城はこの部屋に颯馬を連れてきてから何度目かもわからなくなったため息を吐く。 　とにかく座れ、それで少し待ってろ、と言いつけ、坂城はキッチンへ足を運んだ。 　自分の食生活も必ずしも人に誇れるようなものではないのだが、それでも颯馬よりはマシだ。やかんで湯を沸かし、冷凍食品の唐揚をいくつか電子レンジで温めながらサラダを作り、盛りつける。最後に椀にインスタントの味噌汁と湯を注いで、颯馬の前に並べてやったのだ。 　おいしそうに唐揚げを頬張る颯馬を見つめ、坂城は煙草の煙を吐いた。一回り以上歳の離れた相手と深く関わるというのは、こういうことまで気にしてやらないといけないのか、とふと思う。まだ二十歳にもなっていない、一人暮らしを始めて間もない颯太の生活は、大人が多少の介入をしなければ簡単に堕落していってしまうだろう。それは自分が身をもってよく知っている。坂城が大学に入り一人暮らしを始めた頃のことを思い返せば……、それはもう、酷いものだった。 　外食をすれば好きなものばかりを食べ続けたし、弁当、インスタント食品、ファストフードが続いていた時もある。野菜不足だとわかっていたが、サラダを買う金があるなら覚えたての酒や煙草を買いたかった。夜な夜な友人を集めて朝まで飲み食いしては日が出てから眠るという昼夜逆転の生活にもなった。 　自分がこれまでしてきたことを、自分よりも幼い誰かにそのまま辿ってほしくないと思うのは大人のエゴだろうか。さすがに颯馬の性格上そこまで自堕落な生活にはならないと思うが、せめて食生活くらいは面倒を見てやらないと。 　そこまで考えて、坂城は自分自身に苦笑した。 　颯馬には自分のことなど忘れてもらいたい、本気になりたくないと言っていたのが嘘のようだ。それは間違いなく本心からの言葉だったが、そうやって颯馬を突き放していなければ抑えられないとわかっていたからだ。 　一度溢れ出したら止まらなくなる。それが怖くてたまらなくて、自分の心を囲っていった。 　颯馬にも自分にも嘘をついて積み上げていった堤防は、ほんの小さな綻びで決壊した。颯馬のたったひとつの言葉で脆く崩れ去ってしまった。 　――俺のことが嫌いなら、嫌いだってはっきり言えばいいのに。 　その言葉に返せるものが何もなかった。 　――俺はおまえが嫌いだ。 　それは嘘でも言えなかった。 　忘れてくれ、諦めてくれ。その言葉しか出てこなかったのは、颯馬から離れてくれなければ終わりは来ないのだと心の奥底ではわかっていたからなのだろう。 　それに気づいてしまえば、もう止められなかった。 　今まで抑えていたものすべてが溢れ出し、怒涛の勢いで颯馬へと向かっていく。 　無垢で幼い颯馬へと。