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 9 「おまえ、学生のひとり暮らしのくせに結構いいとこ住んでるのな」  部屋の中を見回し、坂城が感嘆の息を吐いた。一般的に見聞きするひとり暮らしの学生の部屋よりも広く、綺麗な物件だということは颯馬にもわかっていた。十帖程の洋室のワンルームで風呂とトイレは別。家電製品や家具なども新品で揃えられていて、不自由がないどころか凝ったインテリア用品まで置いてある。颯馬がどれだけ世間一般に疎くても、直感的にこれは違うと思っていた。すべて兄が用意したものだ。 「ここ家賃いくら?」 「……わかんない。全部、実家がやってくれてるから」  ああ、そういうことか、と呟いた坂城に緩く頷いて、颯馬はキッチンに立ち電気ケトルで湯を沸かし始めた。 「……コーヒーなくて、……先生、カプチーノでもいい?」 「何でもいいよ」  手持ち無沙汰なのか、坂城が室内を一周し、颯馬の手元を覗きに来る。見られると何故だか急に緊張してくる。颯馬は不揃いのふたつのカップにカプチーノの粉末を恐る恐るスプーンで量り入れた。 「……で、何があった?」  真剣に颯馬を気遣うような坂城の声に、スプーンを持つ手が小さく震えた。 「……大したことじゃないよ」  俯いたまま答える。 「……大したことじゃ、ないんだけど……」 「話してみろって」 「……電話があって、……兄と話した」 「……」 「最近全然連絡してなくて、久しぶりに声聞いたら、何か……」 「……そっか」  隣に立った坂城の手が、ぽんと頭に乗せられた。同時に電気ケトルの湯が沸く。  俺がやるよ、と言った坂城がケトルを持ち上げ、カップへ湯を注いだ。ふわりと甘い匂いが沸き立ち、颯馬は深く息を吐く。スプーンでカップを掻き回し、坂城がひとつ手渡してきた。  小さく礼を言って受け取り、冷ますために息を吹きかけた。 「甘っ」  すぐさまカップへ口をつけた坂城が声を上げ、苦笑する。 「こんな甘いの久々に飲んだ」 「先生、甘いもの飲まないの?」 「あー、ほとんど飲まない」 「すごいね」 「何がだよ」  笑った坂城に促され、颯馬はソファへ移動した。テーブルへカップを置いて腰を下ろすと、隣に坂城も座る。再びカプチーノを飲んだ坂城がもう一度甘いと零した。 「で、久しぶりに家族と電話で話して、落ち着かなくなった、ってわけか」  息と共に吐き出された言葉に、颯馬は頷く。 「……ごめんなさい」 「何で謝るんだよ」 「だって、先生にわざわざ来てもらう程のことじゃないだろ、普通は」  颯馬に視線を向け、坂城が呆れたように目を細めた。 「おまえの言う普通ってのが何だかよくわかんねぇけど、俺にとっては、恋人の様子がおかしければ駆けつけるのが普通なんだけど?」 「――……」  ……恋人。  恋人って言った。  颯馬の視線の先で坂城がほんの少し表情を崩した。  坂城のこんな表情は初めて見る。学校でも、颯馬とふたりでいる時でも決して見せたことのない顔だ。坂城と本当の意味で近しくなった相手にだけ見せる、特別なもの。それを今自分が見ている。  とくん、と心臓が小さく跳ねた。

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