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10-2
熱めの湯で濡らしたタオルで坂城が身体を拭いてくれたところまでは覚えていた。
ふと目を開けると、そこはソファではなくてベッドだった。隣に坂城の姿はなく、見回した部屋にも誰の姿もない。
照明は灯ったままで、ソファの上には衣服が置かれている。どれもが颯馬のものばかりで、坂城はすでに服を着たのだとわかる。
起き上がってぼんやりしていると、不意にベランダに通じる窓がカーテンの向こうで開いた。
「ああ、起きたのか」
煙草とライター、携帯灰皿を持った坂城がカーテンの隙間から身体を滑り込ませてくる。
「……先生、帰っちゃったのかと思った」
「帰らねぇよ。朝までいるって言ったろ」
「うん、でも……、いなくてびっくりした」
「ちょっとな。いろいろ言われるだろうけど、深夜で誰もいないからいいかと思って」
煙草を吸う仕草をする坂城に、颯馬はキッチンを指差した。
「換気扇あるし、部屋で吸っていいのに。先生いつも部屋で吸ってるだろ」
「自分の家ではな。さすがに人の部屋で勝手に吸ったりしねぇよ」
「じゃあ次からは勝手に吸っていいよ。俺、先生の煙草の匂い、結構好きだから」
部屋に入った坂城が窓を閉める。颯馬は掛布団を頭から被り、身体を隠すようにしてソファまで歩み寄った。下着を穿いて服を着て、それから掛布団をベッドへ投げると、坂城が笑いながらソファに座った。
「先生、明日何時にここ出る?」
「そうだな、五時半……、遅くても六時には出るかな」
部屋の時計を見ながら坂城の答えを聞く。
「そっか。あと四時間……。そろそろ寝ないとだめだね」
「じゃあ電気消すから、砂原ベッドに入れ」
「え、あ、うん……」
言われた通りに颯馬はベッドへ移動する。ソファから立ち上がった坂城が壁に歩み寄り、スイッチへ手を伸ばす。
「これで合ってる?」
「うん、そうだけど……」
頷くと同時に暗くなる。布団に潜った颯馬は坂城がここへ来るものだと思って待つが、聞こえてきたのはソファが軋む音だった。
「先生?」
「ん?」
「こっち来ないの?」
「シングルだろ? 絶対狭いって。俺はこっちでいいよ。おまえはそっちでゆっくり寝ろって」
でも、と言いかけて言葉を飲み込む。近づいたと思っていた坂城との距離が気のせいだったのかと疑いたくなる瞬間だった。
一緒に寝ないという意思表示をされただけなのに、告白を受け入れられたこともキスができるような関係になったことも、今互いの身体に触れ合ったことすらも不安に掻き消されそうになる。
颯馬が言葉を失うと、坂城の息だけで笑う声が聞こえてきた。
「……おやすみ、颯馬」
それはあまりにも自然な響きで最初は気付かなかった。けれど確実に鼓膜から胸の奥へと浸透していく。
「――……っ、お、やすみなさい」
颯馬、と。
自分の名前がこんなにも甘く鼓膜を震わせるものだとは知らなかった。ベッドの中で颯馬はぎゅっと瞼を閉じた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
坂城を好きだと思う気持ちは一体どこまで膨らんでいくのだろう。高校生の時からずっと、これ以上はないと思うくらい好きだという気持ちを持ち続けてきた。けれど颯馬の想いが叶った今、坂城に会うたびに、坂城に何か言われるたびに振り切れていく。
甘い時間を掻き消そうとした不安が反対に押し潰され、頭の中は坂城のことで一杯になる。
恋とは愚かで単純になることだ。
颯馬が坂城に夢中でいられる間はずっと、兄のことなど忘れていられる。
それだけでもこの恋に溺れるには十分な理由だった。
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