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「だーめ、お預け」 「……何で?」 「言っただろ、俺腹減ってんの。おまえだってそうだろ。さっき玄関で抱きついてきた時に腹鳴ったの聞こえたよ」 「……食べたら?」 「ん?」 「食べたらする?」 「……使った食器片付けたらな」 「……何でそんな余裕あるの? ……大人だから?」  最後の颯馬の言葉を聞いて、坂城の眉がぴくりと動いた。深く煙草を吸い込み、煙と一緒に低い声を吐き出す。 「余裕なんかあるわけねぇだろ。こっちは必死に我慢してんだよ。俺がおまえに何をしたいと思ってんのか、ちゃんとわかってる?」  坂城が颯馬に何をしたいのか。それは。 「痛い思いも怖い思いもさせたくないって言ったろ。そのためにゆっくり慣らしてるけど、そのたびにこっちはお預けくらってるようなものなわけ。我ながら大人気ないとは思うけどね、こんな状況で余裕なんかあるわけないって」 「……」 「途中でやめるのも結構根性いるんだよ。それはおまえもわかって」  こん、と坂城の長い指が颯馬の額を小突いた。余裕はないと言いつつも、鼻歌交じりでコンロに火を点ける坂城の背に、颯馬は膨れ面をする。  もう途中でやめなくていい。  そんなことを今言ったら今度こそ本気で怒られそうなので、その言葉はぐっと堪えて飲み込んだ。  醜くて激しくて、坂城のすべてを乞う欲の塊。  多分それは、そういうことだ。  自分のすべてを坂城に差し出して、坂城のすべてを自分のものにしたい。  心も、身体も、全部。  永遠に。 「颯馬、皿取って」  言われた通り食器棚からふたり分の皿を取って坂城へ手渡す。  テーブル拭いて、冷蔵庫にサラダがあるからテーブルに運んで、それからこのバゲットも運んで、と早く食事にありつきたい坂城の指示に従って食卓の用意をする。最後に坂城からシチュー皿を受け取ってテーブルへ並べ、ふたりで向き合って椅子に座った。  いただきます、と手を合わせて黙々と食事をする。坂城が点けたテレビからお笑い番組の漫才師の声と観客の笑い声が聞こえてくるが、坂城も颯馬も笑わなかった。じっとりと重い無言の雰囲気。ほんの少し空気が揺れただけで大爆発を引き起こしそうな緊迫感。  少なくとも颯馬の中には焦燥と憤りのようなものがあった。何に対しての感情なのか、それを考えると答えはひとつだ。  抱きしめてほしい時に抱きしめてくれないから。  キスをしたいのに応じてくれないから。  甘やかされることに慣れた颯馬は、小さなお預けでさえ我慢できなくなってしまった。だめだと言われたら余計に欲しい。後でと言われたら今すぐに。できないと言われたらしたくなる。  食事を終えて水の入ったグラスに口を付けながら、颯馬は向かいの坂城を見つめた。  坂城も静かに視線を返してくる。 「……食い終わった?」 「うん」  ごちそうさまでした、と言って席を立つ。ふたり分の食器を下げて、わざとゆっくり洗った。  約束のキスの後に坂城が何を求めているのかは既にわかっている。自分が何を欲しているのかも充分わかっている。  坂城を焦らしているつもりが、同時に自分も焦らしている。颯馬の隣、換気扇の下で煙草を吸う坂城を見上げながら濡れた手を拭き、向き直る。 「……先生」 「ん?」 「……今日、泊まりたい」 「……いいよ」  初めて、泊まる理由を言わなかった。

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