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食休みに上の空でテレビを見てから、先にシャワーを浴びた。颯馬が脱衣所の扉を開けると、坂城もソファから立ち上がってこちらへ向かって歩いてくる。
リビングと浴室を繋ぐ廊下ですれ違う時に、坂城が颯馬の頭をぽんと撫でた。すぐにでも抱きつきたい衝動が湧き、颯馬は背後を振り返る。けれど坂城は既に脱衣所へ入っていて、その扉が閉められるところだった。
心臓が痛い程高鳴っていた。鼓膜の内側で鼓動がずっと響いている。
緩く握った拳の中で指先が小さく震えている。恐怖を感じているわけではない。武者震いに近いのかもしれなかった。
息が苦しい。深く息を吸い込んでいるのに、頭に酸素が回っていない感覚がする。
ソファまで歩いていって、坂城が消したテレビをもう一度点けて適当な番組を見る気にはなれずに、颯馬はその場に座り込んだ。
廊下の壁に寄りかかって膝を抱える。
どうしたのだろう。今日の自分はどこかおかしい。
坂城に会っているのに、傍にいるのに、どこか遠いところにいるようだ。寂しさ、悲しさ、不安、苛立ち。そんな想いが嵐のように心の中を渦巻いている。
早く触れて欲しくて、早く触れたくてたまらない。こんなに強く願うのは初めてだった。
久しぶりに兄と電話で話したあの夜、部屋を訪れた坂城と身体を触れ合わせた。ふたりでするそういう行為に興味があったのは確かだが、あの時の感覚は「した」というより「された」と言った方が近い。
それから何度となく坂城と性的な行為をしてきた。同じ部屋で過ごす時間が増えたのだから自然とそういう雰囲気になることが多く、坂城に誘われることもあったし、颯馬からねだったこともある。けれどやはり、感覚としては「された」だった。
けれど今は違う。
今はただ、したい。それだけだ。
――先生。
先生。
抱えた膝に顔を埋め、颯馬は心の中で何度も呼ぶ。
食器を洗う時にわざと焦らしたことを気付かれていたのだろうか。その仕返しに今度は坂城が颯馬のことを焦らしているのか。普段よりも坂城の入浴時間が長い気がする。
微かに聞こえてくるシャワーが風呂場の床を打つ音は、まだ止まりそうにない。
強く、自分の膝を抱え直した。
どれ位そうしていたのか、不意にシャワーの音が止んだ。颯馬ははっと顔を上げて脱衣所の扉へ視線を向ける。浴室の扉が開閉する音、それからしばらくしてドライヤーの音が聞こえてきて、やがてそれも止まる。
立ち上がろうとしたその時、脱衣所の扉が開いて坂城が姿を現した。
「……颯馬」
廊下に下りた坂城が足元に颯馬を見つけ、目を丸くする。
立ち上がりかけた姿勢のまま、じっと坂城と見つめ合った。
「先生」
呼んだ瞬間、坂城に腕を掴まれて引き上げられた。立ち上がった颯馬の唇に、坂城が唇をぶつけるように押しつけてくる。
初めてと言ってもいい程、坂城の余裕が見えないキスだ。
壁に背を押しつけられて身動きが取れないが、それでもどうにか背伸びをして両腕を坂城の首へ回す。唇を食んでくる坂城に応えるように口を開けると、熱い舌が入り込んできた。
舌を絡め取られて吸い上げられる。上顎をくすぐるように舐められてぞくりとする。颯馬も坂城の舌を甘く食んで吸い上げた。
深く、深く、貪るようにキスを続け、互いに荒い息を吐いて唇を離す。
ふたりの唇を唾液の糸が繋いでいるのに気付き、颯馬は慌てて口を拭った。
「え、う、わっ」
突然、坂城が颯馬を抱きかかえた。ふわりと身体が宙に浮き、颯馬は坂城にしがみつく。
無言で歩き出した坂城がどこへ向かっているのか、それを考えただけで心臓が破裂しそうになった。
リビングへ足を踏み入れた坂城が、歩きながら壁のスイッチを拳で叩いた。ふ、と照明が消えて部屋が暗闇に包まれる。
奥のベッドへ辿り着き、颯馬はどさりと下ろされた。体勢を直す間もなく坂城がのしかかってくる。
再びキスで唇を塞がれ、颯馬は小さく息を詰めた。
「……やべぇ、今日、本気で余裕ねぇわ」
唇を僅かに離した距離で囁かれただけで背筋を這い上がってくるものがある。ふる、と身体を震わせて、颯馬は坂城の腕を掴んだ。
「今日、途中でやめなくていい」
「……」
「もう絶対泣かないし、痛いって言わないから」
「……」
「最後まで、したい」
そうやってちゃんと繋がれば、坂城を失うかもしれないという不安は消えてくれるだろうか。
きっと、そうだ。
間近で颯馬を見つめ、坂城が目を細めて笑う。
そして。
「……泣くのはいいよ」
「え?」
「痛いとは言わさないけど」
髪を撫でてきた坂城が再び唇を触れ合わせてきた。
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