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 13  それは、高校の時にも卒業して再会した時にも、坂城がピアノで弾いてくれた曲だった。  曲名も歌詞もはぐらかされて、古い洋楽ということしか颯馬は知らないあの曲。  何となくわかっていたことだけれど、まどろみの中でそれはおぼろげな確信に変わった。  多分、坂城にとって意味のある曲なのだろう。  弾くことに意味があるのか、それとも誰かに聴かせることに意味があるのかはわからないし、そこにどんな意味が込められているのかもわからないけれど、坂城にとっては大切なことなのだろう。  以前に尋ねた時ははぐらかされた。今はどうだろう。聞けば答えてくれるだろうか。  それとも坂城から話してくれるのを待つべきなのだろうか。  教師と生徒という関係ではなくなった今、どの程度をどんなふうに近付いていけばいいのか迷ってしまう。  不思議だった。  坂城と恋人同士になれたらそこには遠慮などひとつもなくて、純粋に甘えて、真っ直ぐに想って、いつでも触れられるものだと思っていたのに。  けれど今、颯馬はベッドに横臥したまま、ピアノを弾く坂城を眺めている。昨夜初めて身体を重ねても、近寄っていくことにまだ戸惑う心があることに自分でも驚いていた。  不安があるのとは少し違う。この戸惑いもどこか温かくて、坂城へ向かうすべての感情をひとつにまとめて「好き」になるのかもしれない。  カーテンの隙間から直線的な夏の朝日が射し込んでいる。その光をグランドピアノが反射していた。椅子に座って曲を奏でている坂城の顔が眩しくて見えない。どんな表情をしているのだろう。そういえば、いつも坂城の綺麗な指ばかり見ていて顔を見つめたことはなかった。  颯馬は枕から僅かに頭を持ち上げた。それでも眩しくて顔が見えないので、颯馬はもぞもぞとベッドの中を移動する。改めて頭を上げると、颯馬が起きたことに気付いた坂城が演奏を止めて立ち上がった。 「おはよ」 「……俺の携帯のアラームの音、先生のピアノにしたい。そしたら毎朝気持ちよく起きれそうなのに」  残念、ピアノを弾く坂城の顔が見えなかった。溜め息と一緒に吐き出し、颯馬は仰向けに寝転がった。 「何言ってんだか」  苦笑しながら坂城が歩み寄ってきて、ベッドに腰を下ろした。それと同時にくしゃくしゃと坂城の手が颯馬の髪を撫で回す。 「おはよ、先生」 「もう昼だけどな」 「そんな時間?」  慌てて颯馬は起き上がった。壁掛け時計で今の時刻を確認すると十一時を少し過ぎていた。自分がどれだけ眠っていたのかではなく、一番に気になったのはいつから坂城が自分を待っていたのかということだ。部屋を見回した限りだと、坂城が先にひとりで朝食を摂った様子はない。  今日が休日とはいえこんな時間まで眠っていた恥ずかしさと坂城を待たせてしまった申し訳なさが頭の中でぐるぐる回る。そして、自分の身体が何ひとつ衣服を纏っていないことに気付き、爆発しそうな勢いで顔が熱くなった。 「あ、えっと、あの、お、俺の……」 「あー、服はそこにあるよ」  颯馬の言いたいことを理解した坂城がソファを指差す。綺麗にたたまれた自分の服に飛びつこうとして、はっと思い直して掛布団を被ったまま床へ降り立つ。今さらどうした、と背後で坂城が笑っているが恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。仕方ないだろう。  けれど、颯馬がソファへ辿り着くことはできなかった。床に足をつけた途端、自分の身体、特に下肢に上手く力が入らなかったのだ。 「う、わっ」  こんなことが起こると予想していなかった颯馬は、そのまま床に崩れ落ちた。そこでようやく、昨夜坂城としたことを思い出した。昨日初めて最後までしたのだ、と。  よく情事のあった次の日は腰が重いだの怠いだのという話を聞いたことがあるが、それとは少し違った。腰回りの骨がひとつなくなってしまったような感覚で、だから身体に力が入らないのだ。 「颯馬」  珍しく慌てた様子で坂城がベッドを下り、床に膝をついた颯馬の腕を取った。 「平気か?」 「……うん、びっくりしただけ」 「膝とか打ってない?」 「平気」 「腰は? 痛くない?」 「痛くないけど、……力入らない」  坂城に促されるまま床に座り直す。すると腕を伸ばした坂城が颯馬の代わりに服を取り、手渡してくれた。 「ったく、驚かせるなっつの」 「ごめん、でもありがと、先生」 「……」

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