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呆れたように目を据わらせた坂城が颯馬にバンザイのポーズを取らせ、Tシャツを脱がせた。あーあー、盛大にやったな、これは、と呟きながら坂城が洗濯機のある脱衣所へ向かっていく。唇を尖らせながら颯馬はクローゼットへ歩いていった。
坂城の部屋のクローゼットには颯馬の服が数着入っている。颯馬が夏休みに入り、本格的にこの部屋に入り浸るようになってからそれは徐々に増えていき、今では手ぶらで来ても一週間は泊まっていけるだけの着替えを置いておくようになった。
たとえばこの服がどんどん増えていって颯馬のひとり暮らしの部屋からすべての衣服がなくなる時が来たら、それは坂城と共に暮らせる時が来たということになるのだろうか。最近はずっとそんなことばかりを考えている。
家から、兄から逃げるように決めた進学先。確かに興味のある分野の勉強をしているが、熱望して入学を決めたわけではない。一番の理由は兄が颯馬に勉強させたいと言った分野ではなかったからだ。
学校を辛いと思うわけでもないはずなのに逃げ出してしまいたい。逃げて、この部屋の中でひっそりと、坂城だけに包まれて生きていきたい。そんな考えに支配されてしまうのは、もうすぐ行かなければならないからだ。実家に。
今は八月の上旬。一週間後には兄と会わなければならなかった。
できれば日帰りにしたいという颯馬の希望は、上手い言い訳が思い浮かばなくて結局叶わなかった。けれど、一週間は実家で過ごせと言った兄には勝ち、一泊二日で帰ってこられるようになった。
大丈夫、大丈夫だ、大したことはない。少し遅めに実家に行って、夕飯と風呂を済ませてすぐに寝てしまえばいい。次の日起きたら帰れるのだから。
不安になる度に自分へ言い聞かせる。けれどすべては拭い去れない。
兄と離れて暮らし、干渉されない快適さを知ってしまった今、再びあの息苦しい空間の中へ戻るのは怖くてたまらない。だから余計に坂城と暮らすことばかりを考えてしまうのだろう。
引出式の衣装ケースからTシャツを取り出して袖を通す。この部屋に置いておく颯馬の服が三日分に増えた頃、坂城が衣装ケースを一段空けてくれたのだ。颯馬がTシャツを着たのと同時に坂城がリビングに戻ってくる。
「颯馬」
「何?」
「卵、ふわふわトロトロのやつと米を包んでる感じのやつと、どっちがいい?」
「え?」
キッチンへ入っていく坂城を追いかけ、颯馬は首を傾げる。換気扇の下で煙草に火を点けた坂城が颯馬を振り返って目を細めた。
「オムライス」
「あ、えっと……」
坂城の目の前で立ち止まり、どっちがいいかなと考える。
「じゃあ、包んでるやつ!」
「了解」
ふ、と煙を吐き出す坂城を颯馬は見上げる。
「先生、作ってくれるの?」
「おまえの分はな」
「へ?」
「俺のはおまえが作れ」
「え、え?」
「何だよ、何で驚いてんの。元は全部作る気だったんだろ?」
「そうだけど……」
正直、坂城が帰ってきてくれてほっとしたのだ。作りたい、作ろうと思い立ったはいいが、自分が動く度にキッチンが酷いことになっていき、ケチャップを腹にくっつけた時点で気持ちが完全にしょげてしまっていた。これからするのは卵を溶いて火を通すだけの作業に見えるが、きっととんでもなく高度な技術を要求される場面があるのかもしれない。まともな経験のない颯馬が軽い気持ちで手を出していいものではなかったのだ、料理というものは。
自分の分は坂城が作ってくれるのなら安心だ。けれど坂城の分を颯馬が作るのであれば……。
最悪の場合、坂城の夕食はオムライスではなくチキンライスになってしまうだろう。
「先生、オムライス作れるの?」
「確か学生の頃に一度作った覚えがある」
「一度? 卵は? トロトロのやつ? 包むやつ?」
「薄焼き卵をただ乗っけただけ。しかも破けたし焦げた」
「……」
「ま、どーにかなるんじゃない?」
に、と笑った坂城が煙草を消した。
どうしよう。どうにもならない予感しかしない。
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